第四章

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それでも朝はやって来る。 窓から光が差し込んで目を覚ました京香は、窓の外に広がる美しいオーシャンビューに苛立ちを覚えた。朝日を弾いて輝く淡いブルーの海、白い砂浜にはまるで現実味がない。そして、昨夜起きたことにも。  莉奈達に何一つ文句を言えないまま、自分に起きたことを鷹代や月山にも打ち明けられないまま、今日のプログラムが始まった。  今日行うのはパカブだ。パカブは森の中に張り巡らせた巨大な網で遊ぶ空中アトラクションで、トンネル状の滑り台や吊り橋、迷路があったりする。 他にも広々と張られた網の上で跳ねたり、球技を楽しんだりできる。近年日本に上陸したばかりだが、すでに爆発的な人気を誇っている。 夜泉島の森はパカブに適しているからここにアトラクションを作らせてくれと頼みこまれて、少し前に設置したばかりらしい。 すでにパカブ利用の予約を開始していて、夏はパカブ目当ての客が沢山訪れる予定だそうだ。  翡翠の森を見上げて京香は溜息を吐いた。  巨大な網の中で莉奈達が岩城達と男女混じってはしゃいでいる。向こうの方では、篝達が学級委員長の最上や他の活発な男子を交えてドッチボールをしている。みんな誰もが楽しそうだ。普段笑みを浮かべない篝でさえも、口元を綻ばせている。  どうして私一人だけこんな目に遭うの?  惨めさに襲われる。莉奈達のグループの一員だった頃に戻りたい。切実に願っている自分の浅はかさに泣きたくなる。 楽しそうにしている岩城や莉奈達が憎い。 京香は拳を握り締め、彼らに鋭い目を向ける。  真理子が風花を強く突き飛ばした。網を大きく揺らしながら風花が悲鳴を上げてごろんと転がる。 ひっくり返った虫みたいに足掻いてやっと立ち上がった風花を、今度は彩実が突き飛ばして転がした。 網が大きく揺れ、莉奈は近くにいた赤塚にしがみついて「転んじゃう」と楽しそうな悲鳴を上げる。 「ブウカ、ミートボールみたいよ」 「やっば、めっちゃ揺れるんですけどー」  彩実と真理子がケラケラ笑うと、風花も一緒になって笑い、突き飛ばされて転げながら道化を演じてみせる。 私もあんなふうだったんだ。必死に莉奈達を喜ばそうと、友達だった安曇に嫌がらせをしたり、ドジっ子を演じて見せたりしていたんだ。 風花を見ていて、いかに自分が滑稽だったかを思い知る。それでもまだ、あの地位に戻れたらと考えている自分が情けない。  過去の自分を投影したような風花を見ていて居たたまれなくなった。京香は木に凭れて座り込み、膝を抱える。 「佐野、オマエは遊ばないのか?」  いきなり鷹代に尋ねられて、京香は驚いた。彼と一対一で話すのはこれが初めてだ。 「鷹代先生……、その、サボってるわけじゃ」 「咎めたわけじゃねぇよ。小田とか小西とかもパカブで遊んでない。そういや、安曇も小説読んでたな」 「あの人たちと、一緒にしないで下さい」  思わず零れた失礼な本音。京香は自分の言葉に眉を顰める。 鷹代に怒られるかもしれないと身構えるが、鷹代は相変わらずヘラリと脱力した顔をしていた。 「佐野にとって小田とか安曇と一緒は嫌なことなんだな。華やかでいたいってのは悪いことじゃねぇけど、アイツらと過ごすのもアイツらなりの良さがあると思うぞ。あっ、別にアイツらが地味ってわけじゃねぇからな、言うなよ」 「はあ……。あの、結局何の用なんですか?」 「ん、ああ。オマエ、前まで王島と仲良くやってなかったか?班も部屋も同じだし。なのに、なんで一緒に遊ばないのかなって思って。何かあったのか?」 「べつに、なんでもないです」 「ならいいけど。もしオマエが一人でいることに悩んでいるなら、いつでも相談に乗るぜ。まあ、月山先生の方が適任かもな」  一人でいることを指摘されて無性に腹が立った。京香は勢いよく立ち上がる。 「平気です。鷹代先生になんて相談することなんてありません」 「そうか、ならいいけど……」  相変わらずぼんやりした顔の鷹代に背を向けて、その場を去ろうとした。その時、真上から視線を感じた。 顔を上げると、莉奈が冷たい目でこちらを見下ろしていた。鷹代と二人で喋っていたから、嫉妬されたのかもしれない。  莉奈に蔑むような目を向けられるが耐えられなくて、京香はその場を離れた。 空中アスレチックがある辺りから少し離れた場所に安曇が座っているのが見えた。陰気な双眸がぼんやりとこちらを見る。 思わず「あ」という声を漏らしてしまった。ここで話しかけないのは変だろう。 「ゆきちゃ……安曇さん、こんなところで何しているの?」 「見たまんま、読書だけど」 「ターゲットが変わったんだから、もうみんなのところに入れるでしょ」 「別に、そんなことどうだっていい」  思わず嫌味を言ってしまったことに後悔したけど、安曇のふてぶてしい態度と眼鏡の奥の陰気な目に対する苛立ちが勝る。鷹代との会話でささくれ立っていたこともあり、つい安曇に八つ当たりをする。 「ねえ、なんでそんな目で見るの?」 「ごめん、意味がわからない。そんな目って?」 「私が可哀想だっていう目だよ。安曇さんの方がずっと可哀想でしょ、なのに、私を憐れむような目で見ないでよ」 「あたしは可哀想じゃない。だって、王島の仲間になんて最初からなりたくないから」 「強がらないでよ、そういうとこが可愛くないの!」  京香は理不尽に安曇を怒鳴りつけて走り去った。 どこに行きたいかわからないけど、ただ皆がいる場所を離れたかった。無茶苦茶に森の中を歩き回っていると、いつの間にかホテルの裏側辺りにきてしまった。 坂道を下った処に木戸の入り口が見える。秘密めいた扉だ。気になって近付いていく。 扉にはステンレスの打掛錠がしてあるのみで、簡単に開けることができた。内からは鍵が掛けられない仕組みで、外側には防犯上の意味がない簡単に開けられる鍵。ミステリーめいたものを感じながら中に入った。 ひんやりとした空気が頬を撫でた。入るとすぐ十段ほどの土の階段となっている。ドキドキしながら階段を降りて、ようやく京香はこの場所の正体に気付いた。  壁際に山ほど置かれた氷と雪。大きな肉の塊が吊るされたハンガー、野菜の入った木箱、米俵などの食材が置かれている。 日本酒やワインを並べた棚もあった。どうやら食材の貯蔵庫のようだ。 外の打掛錠は恐らく、猿や猪などの野生動物対策につけられた鍵だ。 「なんだ、氷室になってるのね」  私は此処をなんだと思って中に入ったのだろう。秘密でも隠されていると思ったのか。さっきまで無駄にドキドキしていた自分が馬鹿馬鹿しくて、乾いた笑い声が漏れる。  立ち上がろうとした時、かちゃりと嫌な音が背後で聞こえた。同時に差し込んでいた光が途絶えて、辺りが夜のように暗くなる。  暗くて地面の凹凸に躓きながら、なんとか階段を登って絶望する。開いたままだったはずの木の扉が閉まっていた。風でしまっただけであることを祈りながら両手で扉を押すが開かない。外の打掛錠がおろされている。 「うそっ、いやっ、いやっ!開けて、私、まだ中にいるのっ!」  扉を叩きながら叫ぶが誰も答えない。完全に閉じ込められたようだ。 へなへなと京香は地面にへたり込む。 風や動物の悪戯ではあるまい、確実に人間が犯人だ。 だとしたら誰が犯人か。  真っ暗闇はあまりに怖い。土の壁を探って電気のスイッチを探す。指にプラスチックが触れた。 凹凸を押すと階段と下の貯蔵庫内に一つずつあるオレンジ色の裸電球に明かりが灯る。頼りない光だがないよりはましだ。  手始めに打掛錠が衝撃で外れることを願って扉に体当たりしてみるが、木の扉は思ったより頑丈なつくりでびくともしない。 扉に穴を開けられるようなものはないかと貯蔵庫内を漁るが、酒瓶か吊るされた肉ぐらいしかない。この木の扉を破ることは不可能だろう。誰かが来てくれるまで、でられなさそうだ。 「なんで、私ばっかりこんなことに―…」  ボロボロと涙が零れた。厄災にでも気に入られたのだろうか。まるで魔の一年だ。 四月当初は順調なスタートだと思っていたのに、いつの間に坂道を転がっていたのだろう。身分不相応に篝と親しくなった罰か、或いは莉奈のグループにしがみついて安曇を裏切った罰か。 もしかして、安曇が私を閉じ込めたのだろうか。ついさっき安曇に酷いことを言った。安曇はそんな自分の後をつけてきて、仕返しの機会を疑っていたのか。 さっきだけじゃない。友達だった安曇を捨てて莉奈達のグループに入り、安曇が真理子や彩実を筆頭とする女子達から苦痛を受けているのを目の当たりにして、京香は何もしなかった。 いや、それどころか彼女の筆箱を隠したり、彼女がアニメや漫画が大好きなオタクだとばらして彼女を馬鹿にしたりもした。保身の為に彼女を人柱にしたのだ。恨まれているに決まっている。 でも、だからなんだって言うの?誰だって、いじめから逃げたい。やらなきゃやられるなら、しょうがないじゃない。 悪いのはいじめを生み出す真理子や彩実で私に罪はない。安曇だって同じ立場だったら、私と同じことをしただろう。  安曇が犯人に違いない。一度はそう思ったが、よく考えてみると違う気がした。もう一人、心当たりがある。莉奈だ。 いじめをしているのは真理子と彩実であって、天然で優しい莉奈は何も知らない。ずっとそう思っていた。でも、天使の顔の下に悪魔が潜んでいたとしたら。 さっき鷹代と喋っている自分を見下ろしていた莉奈の顔を思い出すと、背中に震えが走った。無慈悲かつ憎しみを宿した大きな猫目。莉奈が主犯の可能性だってある。 少なくとも昨日、シュノーケリングの後でなくなったパンツをみんなに見せびらかすように持ってきたのは、確実にわざとだった。 莉奈は天使の顔をした悪魔なのか。  嫌な妄想に囚われて京香は頭を振る。誰も信じられなくなりそうだ。  膝を抱いていて座り込み、暫くじっと助けを待っていたが、一向に誰も来ない。剥き出しの肌に纏わりつく冷気で、身体の芯から凍えそうだ。ハーフパンツに半袖という服装でこんな寒い場所に長くいたら、風邪を引くどころか凍死してしまう。 嫌だ、こんな場所で死にたくない。 京香は立ち上がり、食糧庫の中に脱出の助けになるものはないか探った。 「ひぃっ!」  氷室の奥の棚の上の方に置かれた箱を覆った黒い布をはぎ取った京香は悲鳴を上げた。  愛らしい装飾が施された箱の中には頭蓋骨が入っていた。 二つの真っ黒な虚ろがじっとこちらを見ている。頭蓋骨大きさはちょうど自分と同じくらいだ。 本物を見たことがあるわけではないから断定できないが、恐らく人のしゃれこうべだ。  何故こんなところに頭蓋骨があるのか。 疑問も当然あったが、それ以上にこの薄暗い陰気な空間で骸骨と二人きりだということに対する恐怖が勝った。 土の階段を駆け上り、京香はドアを叩いた。 「いやぁっ、死にたくない、出して、出してぇぇっっっ!」  叫びながら助けを呼び続ける。だけど、やはり誰もこない。恐怖が溢れて、目の前が真っ暗になった。 プツンと糸が切れる音が頭の中で聞こえたのと同時に、京香は意識を手放した。
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