第二章

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 教室にはすでに多くの生徒がいて、雑音が飛び交っている。 篝は窓際の自席に座って、いつも一緒にいる二人の男子と話している。 クラスの誰とでも喋る明るい性格で、運動神経抜群の伏見佐助。 穏やか性格とハニーフェイスが特徴的な曽根真澄。 そして学校で一番美形な王子様の水名月篝。 個人主義の三人はクラスの中心人物ではないけど、三人とも背が高くてかっこよく、女子人気が高い華のある三人組だ。他の男子みたいに子供っぽかったり、妙に背伸びしたりしているところがなく、いつも自然体で落ち着いている。 京香の一押しはもちろん篝だ。白くてつるりとした肌、アメリカ人の彫りの深さと日本人の繊細さのいいところばかりを抽出した美貌は目の保養になる。 篝に見惚れていると、刺々しい視線を感じた。 振り向くと、自分のグループの女子がすでに集まっていた。 京香は鞄を肩にかけたまま、慌ててそちらに駆け寄る。 「みんな、おはよう」 わざとらしいくらい口角を上げて明るい声で挨拶すると、華やかなオーラを放つ三人が顔を上げて、揃って「おはよう」と返事をした。  中心にいるのはいつも通り、ショートヘアのサラサラの黒髪にぱっちりとした大きな目が愛らしい美少女の王島莉奈(おうじまりな)。 彼女の机の周りに集まっているのは、茶髪のサイドテールと猫目が特徴の元気溌剌な三森真理子(みもりまりこ)と、毛先だけ緩く巻いた黒髪のロングヘアでクールビューティな早瀬彩実(はやせあやみ)だ。  真理子が猫目を細めて、グロスで輝く唇を薄く引き伸ばす。 「京香さぁ、篝クンに見惚れてたでしょー。もしかして、篝クンにホの字とか?」  意地悪な笑みに背筋が冷えた。京香は慌てて首を横に振る。 「ち、違うよ、真理子ちゃん」 「本当かなー」 「本当だよ、私なんかが水名月くんを好きだなんてありえないよ」  眉を八の字に下げた京香を見て、莉奈が愛らしく顔を顰める。 「からかっちゃダメだよ、真理子。京香が違うって言ってるんだから信じてあげなくちゃ」 「ゴメンゴメン、莉奈。そうだよねー、京香ごときが篝クンを好きなわけないよねー」 「そうよ、真理子。そんな身の程知らずじゃないわよ。ねえ、京香」  彩実の言葉に首を縦に振りながら、京香は複雑な気分だった。 確かにイケメンな上にスポーツ万能で頭脳明晰の篝の彼女になれるかもなどと夢見るほど、おめでたい頭はしていない。 だけど、好きになるくらい自由じゃないか。それを身の程知らずだなんて。  文句を言いたい。だけど、たとえ茶化して笑いながら「酷いよ」と言ったとしても場が白けるのはわかっていた。あえて、道化を演じる。 「彩実ちゃんの言う通りだよ。私なんかに惚れられたら、水名月だって迷惑だよ」  井戸端会議をするおばちゃん連中のように手を振ってあははと笑ってみせると、莉奈達がどっと笑った。 選択肢は間違っていなかった。京香はホッと胸を撫でおろす。 「アタシ、すごい噂聞いたんだよねー」 「なになに、すっごく気になる。教えて、真理子」  莉奈が顔の前で両手を合わせてねだる。ぶりっ子だと嫌われそうな行動も、莉奈がすると板についていて可愛い。 同性の真理子でさえ、デレデレした顔にしてしまう。 「知りたがりだなー、莉奈は。いいよ、教えたげる。ウチのクラスの担任、鷹代センセーの噂話」 「へえ、鷹代先生の噂なんて珍しいわね、私も聞きたいわ」  彩実も身を乗り出した。真理子が口の横に手を立て声のトーンを落とす。 「鷹代センセーさ、生徒と付き合ってるらしいよ。バスケ部の友達が、ウチのジャージ着てる子が先生の部屋に入るのを見たって」 「うそ、意外だわ。誰なのかしら?ねえ、莉奈」 「ほんと、誰だろうね」  そう答えた莉奈は僅かながら得意げだ。その理由を京香は知っている。 去年の冬のことだ。六限目に日本史を教えていた鷹代が、授業で使った昔の日本地図を置き忘れていった。 帰りのホームルームの時にそれに気付いた当時の担任の須藤に、京香は日直でもないのに室地図を片付けるよう頼まれた。 大人しくて従順そう外見だからか、しばしば雑用を押し付けられる。 内心むかつきながら社会科準備地図を返しに行った京香は、偶然とんでもないものを見てしまった。 社会科準備室で、莉奈と鷹代が抱き合っていたのだ。  当時、京香は莉奈と違うクラスだった。 妖精みたいに可憐で性格もいいと評判だった莉奈のことは知っていたし、隣のクラスで体育が合同だったけれど、喋ったことは一度もない。自分とは住む世界が違う人だと認識していた。 京香に気付いた二人は慌てて離れた。 京香は何も見ていないふりをして古びた日本地図を棚に置き、準備室を飛び出した。ノックもせずにドアを開けてしまったことを激しく後悔した。  逃げるように準備室を後にした京香を、莉奈が追いかけてきた。 「さっきのは忘れて。おねがい」  上目遣いで手を合わせる莉奈があまりに愛らしくて、京香はどきまぎした。 「も、もちろん」 「ありがとう。わたし三組の王島莉奈。あなたは?」 「えっと、四組の佐野京香です」 「今日のことは二人だけの秘密ね、京香。約束だよ」  天使のような笑顔を浮かべ、莉奈が小指を差し出す。 細くて折れそうな莉奈の指に、京香はおずおずと自分の小指を絡めた。指切りをするなんて何年ぶりだろう。むくむくして短い自分の指が不格好で気恥ずかしいけど、ちょっと嬉しかった。 一年生の時は、その日以来莉奈と喋る機会はなかった。だが、二年生になって莉奈と同じクラスになった。 おまけに担任はあの時彼女といちゃついていた鷹代だ。 「同じクラスだね、京香」 莉奈が微笑みかけてくれた。 自分のことを覚えてくれていた嬉しさと、人気者の莉奈と知り合いいう誇らしさで胸がいっぱいだった。 自分と同じ地味で目立たない子からの驚嘆交じりの視線がくすぐったかった。  ずっと地味なグループでひっそりとしてきた京香の中に、仄かな欲望が芽生えた。 クラスの中心人物のグループの一員になって、もっと堂々と学校生活を楽しみたい。男子とも喋れるようになりたい。そんなささやかな願いだ。 男女問わず仲良くできるのは中心グループの特権だ。彼らには他にもたくさんの特権がある。中でも一番羨ましいのは、いじめに遭わない権利だ。 地味なグループの人は大人しく静かに息をしているだけでも、スケープゴートに選出されることがある。 それは運の問題であり、選ばれた子に非はない。唐突に襲い来るその不幸を防ぐことは殆ど不可能だ。そんな理不尽に怯えて学校生活を送るのは嫌だった。  莉奈に上手く取り入ることで、中心グループに入る目論見は成功した。新しいクラスになってから二カ月、京香は順調な学園生活を送っている。 今だって、顔が広い中心人物しか知らないような噂話に参加できている。 気苦労は多いけど、もう地味なグループには戻りたくない。ましてや、安曇の二の舞はごめんだ。 京香は視線だけを廊下側の安曇の席に向ける。彼女の机の上には、小さな紙コップが置かれていた。 そこには青紫の愛らしい花が生けてある。 ロベリア、花言葉は不吉、悪意。教えてくれたのは安曇だ。彼女の家は花屋で、花にとても詳しい。  ロベリアを飾った、いや、飾らせた犯人の見当はついている。真理子か彩実に違いない。 安曇の机の花を見て何人かがヒソヒソと笑っている。粗末な紙コップに飾られた悪意。教室に渦巻く陰険な空気。 ああ、いやだ。京香は安曇から目を背け、莉奈達の方に向き直る。 「ねえ、真理子、鷹代先生のアパートでの目撃情報っていつごろの話かしら?」 「えーっと、先週金曜日」 「先週の、金曜日?」  聞き返した莉奈が一瞬だけ怖い顔になった。真理子と彩実は気付かなかったようで、笑っている。 莉奈ちゃん、どうしたんだろう。一人ハラハラしていると、ドスドスと重たい足音が近付いてきた。  巨体を揺らしてやってきたのは手塚風花(てづかふうか)。 昨日までは黒髪のツインテールだったのが、焦げ茶に染められ、細かいパーマをかけておろしている。 カラーリップを塗った唇がやたらとピンクに輝いて下品だ。 「おはよう莉奈ちゃん、真理子ちゃん、彩実ちゃん。あと、京香も」  とってつけたしたように言われて、京香は憤然とする。 明らかな扱いの差。莉奈達に同じことをされてもしょうがないと思えるが、風花だと腹立たしい。 風花に私を見下す権利なんてない。京香は密かに風花を睨む。 目が小さくて団子鼻で可愛くない顔、だらしなくブヨブヨと太った体。脚なんて大根みたいだ。勉強もスポーツも中の下で、気も利かないし空気も読めない。あだ名なんてデブタブウカだ。  中心グループに入れるような人物ではないのに、風花は必死に莉奈達に気に入られようとしている。 風花が無理やり会話に入ってきたり、グループの一員みたいな顔をしたりしても、莉奈は優しいから何も言わない。 だけど、真理子や彩実はいつも風花を馬鹿にしていて、パシリのように扱っている。それなのに、風花は自分が莉奈達に気に入られていると思っている。 救いようがない。  変化した髪型をアピールするように、風香が髪を掻き上げる。チラチラとこちらを見る視線が鬱陶しい。  呆れる京香の傍で、莉奈は風花の髪型を見て微笑んだ。 さっき一瞬見せた怖い表情は見間違いだったのだろうか? 「おはよう。風花、髪型変えたんだね。ラーメンみたいでかわいいね」  華やかな笑顔でのたまった莉奈に、真理子が膝を叩いて爆笑する。 「ちょっ、やめてよ莉奈。ラーメンはないわ。ブウカは食いしん坊だから、ラーメン好きすぎて頭から丼につっこんだとしか思えなくなるじゃん。ねえ、彩実」 「やめてよ、真理子。本当にありそうで怖いわよ」  真理子と彩実が腹を抱えて爆笑する。風花はショックを受けた顔になった。 ざまあみろ。京香は心の中で密かに意地悪く笑う。 風花の反応など気にせずに笑い続ける真理子と彩実。莉奈が頬を紅潮させて、頬を膨らませた。 「ち、違うもん。もう、真理子のイジワル!わたし、そんなつもりで言ったんじゃないよ。ごめんね、風香」  首を傾けて眉根を軽く寄せる莉奈に、風花はわかりやすく笑顔を浮かべる。 「気にしないで。莉奈ちゃんは天然だから。そういうちょっと不思議なたとえをして褒めてくれるとこ、好きよ。髪型、気付いてくれて嬉しいっ!」 人によってころころ態度を変える。だから、風花は嫌いだ。 白けた気分で風花を見る。無理やり莉奈達の輪の中に入りながら、時折ちらちらと向けてくる視線が鬱陶しい。 なんであんたみたいな地味な子がここにいるの。風花の視線はそう訴えている。 その見下した表情が、いつも京香を苛立たせる。 合宿、風花と同じ班や部屋にならなくてよかった。心底ほっとする。 六月の合宿での部屋割りと班を決める時、担任の鷹代はくじ引きで決めることを提案した。 班決めやグループ作りで余る恐怖に晒されることが多かった京香は、くじ引きであることにほっとした。 だが、鷹代の提案は生徒に却下された。 せっかく修学旅行代わりの行事でくじ引きなんて嫌だと、多くの生徒達がごねたのだ。 結局、好きにグループを作ることになった。  二年六組のクラスの人数は男子十三、女子十五人の計二十八人。行動の班は男女混合で五班作るので、五人の班が二班、六人の班が三班できあがる。女子は一班に三人。 せっかくクラスの中心グループである莉奈のグループに入れたのに、三人だと自分が必ず余ってしまう。 風花と二人で放りだされる可能性が高いと、京香は焦っていた。 だが、彩実が風花を連れて他のグループにいる友達の沙也と組んでくれたので、京香は莉奈と真理子と同じ班になれた。ちなみに六人班だ。  合宿のホテルの部屋は男女それぞれ四部屋で、女子は三人部屋が一組、あとはすべて四人部屋だ。 京香は莉奈、真理子、彩実、と同じ部屋になることができた。  だけど安心できない。合宿は自由行動も多い。 毎回毎回、風花がかまってオーラ全快のハイテンションで入り込もうとしてくるのかと思うと、今からうんざりだ。  不安要素はそれだけではない。行動班の男子も不安だ。 一人目は赤く染めた短髪を鬣のように立てピアスをした赤塚辰也(あかつかたつや)。クラスで一番背が高い真澄の次に背が高く、筋骨隆々とした身体のボクシング部ヘビー級のホープで、鋭い目つきが恐ろしい。 莉奈が彼と仲がいいことに神経を疑ってしまう。 二人目は彼の右腕を気取った岩城。そこそこかっこいいことを鼻にかけ、女子に点数をつける嫌な男だ。 三人目は学級委員長の最上翔太(もがみしょうた)。ムードメイカーだけど、爽やかな見た目に反して性格がチャラくて苦手だ。軽薄な性格という点では、茶髪のウルフカットが特徴的な赤塚の子分の川瀬と張る。  そもそも、京香は集団行動が嫌いだ。修学旅行やキャンプの前はいつも緊張で憂鬱と腹痛に襲われる。今回もそうだ。  大丈夫、私はクラスの中心グループの一員になれたんだ。きっと、楽しい合宿になるに決まっている。 京香は自分に言い聞かせて、押し寄せる不安の波を払いのけた。
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