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 月が綺麗な夜だった。僕は一人、気晴らしに家の周りを散歩していると、脇道の黒ずんだ茂みから一匹の「犬」が僕の前に出てきた。その動物は首輪をしていないし、真っ黒な毛並みはどこかベタついているように見える。そして、獣臭い。野良犬だろうか。しかし、野良犬なんて今どきいるとは思えない。それに、犬にしてはサイズが大きすぎる気もした。 『私は、狼だ』  どこかから、地を這うような低い声がした。僕は周りを見渡す。 「誰?」  しかし、周りに人の気配はない。いるのは、目の前の「犬らしきもの」だけだ。 『私だ、青年』  僕は「狼だと言い張る」生き物に視線を移した。その動物の眼は月の光を含んでいるのか、淡く脆い輝きを持っている。狼ならば、もっと猟奇的な眼をしているはずだが、そこに鋭さは皆無だった。 「君は、話せるのかい?」  ただ、「狼だと言い張る」彼は首を横に振って、『青年の心に訴えているだけだ』と淡々と言った。 「それが、僕には音として聞こえている」 『そうかもしれない』  実に奇妙な現象だった。まず、「狼だと言い張る」動物がいること、その動物が日本語で僕にメッセージを送っていること、それから、その動物が僕に対して敵意を向けていないこと。 『青年』  その動物は訴えるような目で僕を見ている。 「なんだい?」 『一つ、頼み事がある』 「頼み事?」 『月を食べてほしい』  
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