不審者、連行される

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不審者、連行される

バタンと扉がしまると、その人は、私を解放した。 「そこにいて、明かり付けてくるから」 そう言って私に背中を向ける。 ふとドアに目をやると、カギが掛かっていないことに気が付いた。 逃げるなら今かもしれない。 そう思ったのに。 「逃げても無駄だよ。オレ足早いし」 私の考えなんてお見通しだったみたいだ。ガクリと肩を落とす。 「じゃあ、不審者さん」 店内に明かりが灯ると、その人は私の肩を叩いた。 「だから、私不審者じゃないんですって」 「何言ってんの、夜中に店の柵に頭突っ込んで覗いてたら十分不審者だろ」 言いながら思い出し笑いをするその人を睨みつけると、さらに笑われてしまう。 「もう、そんなに笑うことないじゃないですか」 絶対楽しんでる! 趣味悪くない? 「わるいわるい。本当、からかいがいのある女。あんた、名前は?」 「大西です。大西遥香。近くの会社で事務員してます」 「ふーん、遥香か」 早速呼び捨てなの? 「あなたは?」 「オレは辻村(つじむら)。ここのスタッフ。それじゃあ、遥香。そこに座って」 鏡の前に置かれた椅子を指差した。白い漆喰の壁に馴染むようなアンティーク調。座り心地も良さそうだ。 でも、 「座ったらなにするんですか? まさか変なこととかしないですよね?」  確認しておかないといけない。 「変なこと?さあ、どうでしょう。遥香に拒否権なんてないの、分かってるよね。大人しく従ってもらおうか」 「従わなかったら?」 「そく、110番」 「わ……分かりました」 私は再び肩を落とすと、辻村さんに言われるがまま、その椅子に座った。 「よし、いいこいいこ」 辻村さんはまるで子供に言うみたいにそう言って、鏡越しに私の顔をみつめる。 「そう、そうやって大人しく座ってればいい」 ほほ笑むと柔らかに弧を描く切れ長の目。 すっきりとした鼻に、口角の上がった薄い唇。 髪型は大胆なアシンメトリーのツーブロック。 服装に限ってはいたって普通。 シンプルな白いシャツに、紺色の細いパンツを着ていて、足元はスニーカー。 それなのに、すごくお洒落にみえるから不思議だ。 「実は今夜、メイクモデルお願いしてた奴にドタキャンされてさ」 辻村さんはいいながら私の肩に後ろからタオルをかける。 それから前髪を半分に分け、クリップで止めた。 「ドタキャン……ですか」 そう聞くと、事情はともあれ少し気の毒に思ってしまう。 「そう。迎えに行ってやったのに今日は気分じゃなくなったとか言っちゃって。あいつはいつもそうなんだ。まるで野良猫みたいに気まぐれな奴でさ。まあ、最近忙しいみたいだから仕方ないのかなって思って」 辻村さんは苦笑いする。その人がどんな人なのかは分からないけど、すごく親密な関係に思えた。 「それで、取りあえず店に戻ってきたら遥香がいたってわけ」 「じゃあ、私はその人の代わりにメイクの練習台になればいいんですね?」 「大正解」 「だったら、脅したりしないで始めからそう言ってくれたら協力したのに」 何をされるのかが、やっと分かってホッと胸を撫で下ろしたのも束の間。 「あそう。始めから言えばいいんだ。じゃあ、この後ベッドまで付き合ってくれる?」 いきなりそんな事を言われたら返す言葉すら見つけられなくて。 私はただ、真っ赤な顔で首を横に振るだけしかできない。 「……冗談」 笑いをこらえながら辻村さんは言って、私の頬に触れた。 「かわいいな、遥香は。それにしてもきれいな肌だね。あんまり、メイクとかしないの?」 かわいいと言われたことに関しては、どう反応していいのか分からなかったから、そこだけ聞かなかったことにして答える。 「ほとんど、しません」 そんなことよりも、なによりも、胸が苦しくてしかたがない。 ほんの少し触れられてただけだというのに、私の心臓はうるさいくらいに大騒ぎしてる。 これ以上何かされたら、破裂するかもしれない。 そう不安を募らせたのだけれど。 「じゃあ、そろそろ始めよっかな」 その瞬間、辻村さんの表情が変わる。 今までのどこかふざけた雰囲気も感じられない。 鏡越しに私を見つめる眼差しは、真剣そのもので。 ああ、この人ってやっぱりプロなんだ。 そう思ったら、私のドキドキは鎮まり、不安はいつのまにか消えていた。 「遥香は今まで、化粧品にかぶれたりしたことはない?」 私がコクリと頷いたのを確認すると、辻村さんは「了解」そういってメイクボックスを開けた。 「まずは、クレンジングから」 中からクレンジングクリームを取り出して、手慣れた様子でちょんちょんと私の顔にのせる。 「目、閉じてろよ」 辻村さんは器用に指を動かして、殆どしていないに等しい私のメイクを落としていく。 目を閉じたからだろうか。 さっきよりももっと、辻村さんの指が私の頬に触れているというのに、私の心臓が再び騒ぎだす事はなくて。 よかった。とホッと胸をなで下ろす。 マッサージを兼ねながら馴染ませたクレンジングクリームを丁寧に拭き取ると、今度は収斂化粧水でパッティングする。 それから保湿効果の高い化粧水をたっぷりと肌に浸透させ、乳液で肌全体を整えた。 「遥香の肌は、少し赤みがあるから下地はイエローベースにして部分的にグリーンをのせるといいんだ」 何を言われているのかがよくわからなくて、ただただ頷く。 それにしても、ファンデーションを塗るまでに、どれくらいの時間をかけるんだろう。 私のメイク時間は、朝の5分。 それだけなのに。 「次は、ファンデーション。遥香にはこれかな」 チラリと薄目を開けてみると、辻村さんは悩みながらかわいらしいボトルを手に取った。 コロンとした瓶に、白いリボンが巻き付いたようなデザイン。 フタは透明なクリスタルで、金の留め具が高級感を醸し出している。 「それ、かわいいですね」 私は、思わず声を上げた。 すると、辻村さんは満足そうにほほ笑む。 「だろ、これはうちのオーナーがプロデュースしているコスメライン」 まだ、一般発売されていないというそれは女心をくすぐる工夫がちりばめられていて、尚且つプロ仕様の本格派コスメだという。 「すごい方ですね」 そんなオーナーのことは、何度か見たことがある。 事務所での打ち合わせに訪れるたびに、女子社員が大騒ぎになる。 まるで、ファッション誌から抜け出てきたような素敵な人だった。 「本当にすごいよな、旺介(おうすけ)は。有り余る才能をオレにも分けて欲しいよ」 「……旺介?」 「辻村旺介。ブランのオーナー」 「辻村……旺介さん」 思い返してみれば、契約書の名前は辻村旺介だった。 それに、よく見ると二人はよく似ている。涼しげな目元が特にだ。 「もしかして、兄弟……とか?」 「正解。旺介はオレの7歳年上の兄。まだまだあいつには及ばないけど、でもいつか、超えてやろうって思ってる。だから、練習あるのみ」 辻村さんはそういうと、瓶のフタを開けた。 すると、甘い花の香が広がる。 「いい香りですね」 「オレには甘過ぎるけどな」 確かに、女性好みの香りかもしれない。 辻村さんは、ファンデーションを手に取ると私の顔にのせていった。 ファンデーションを塗り終えると、今度はふわふわのパフでパウダーをのせ、大きなブラシで払う。 「これ、パール入りだからすごくツヤが出るんだ」 そういわれて鏡を見ると、透明感のあるきれいな肌に変わっていた。 「……すごい。全然ちがう」 思わず前のめりになる私に辻村さんは呆れ顔だ。 「ほら、ちゃんと座ってろ」 「あ、はい。すみません、つい」 「後はポイントメイクで終わりだ。完成したら気が済むまで見ていいぞ」 辻村さんは、私の座っている椅子の背もたれを掴むとクルリと回転させる。 「だから、それまではお預けだからな」 「分かりました」 鏡を見れなくなった私は、辻村さんの手元を見つめていた。 大きな手。 ほっそりとしてはいるけれど、男の人らしい節の目立つ指。 その指先は、器用という言葉で言い表せないほど、とてもしなやかに動きながら細かな作業を続けている。  程なくして、メイクを完成させた辻村さんは少しだけ考えるそぶりをしながら言った。 「なあ、遥香。髪も切っていい?絶対にかわいくなるから」 かわいくなる。そう言われたら、断る理由が見つけられない。 でも、腰までの黒髪ロングをバッサリ切られてしまうのは抵抗がある。 「……少しだけならいいですけど」 私がコクリと頷くと、辻村さんはハサミを手に取った。 「じゃあ、少しだけ」 言いながら毛束を指で挟んで引き出すと、高い位置で切りそろえていく。 「こうすると、レイヤーが入る。少し軽く動きが出るようにするからな。それより、遥香。だいぶカットしてないだろ」 「はい……1年くらい切ってません。普段は結んでしまうのであまり気にならなくて」 「なんだそりゃ。もっと気にしろよな」 呆れた声でたしなめる。 「……すみません」 「まあ、いいさ。切り応えがある方が面白いし」 パサパサと落ちてくる毛束をぼんやりとみつめていたら、いつの間にかクロスが外された。 「よし、完成」 辻村さんは椅子を回して鏡の方へ向けた。 「ほら、もういくら見ても構わないからな」 そういわれて鏡の中をのぞく。すると目の前には、見知らぬ自分がいた。 「……すごい」 私は椅子から立ち上がると、鏡の前に立った。 こんなにも自分が変われるなんて思ってもみなかった。 自分で言うのは可笑しいかもしれないけど、すごくかわいい。 「……まるで、魔法みたい」 私がそう言ったのを聞いて、辻村さんは笑う。 「魔法だなんて、大げさ。遥香は意外と少女趣味なんだな」 「そんなに笑わないでください。少女趣味でもありません。本当に、そう思ったんです」 「じゃあ、差し詰め遥香はシンデレラで、オレが魔法使いのばあさんか。それ、おもしれえ」 自分で言ってまた笑い出す。 もしかしたらこの人は、とんでもない笑い上戸なのかもしれない。 ひとしきり笑った後、辻村さんは私に向かって言った。 「じゃあ、今日はここまで。続きは明日にしてそろそろ帰るか」 「……続きって、明日って、今日でおしまいじゃないんですか?」 聞き間違いかと思って聞き返す。 そんな私に、辻村さんはにこりとほほ笑む。 「もちろん。だってオレ、遥香のこと気に入っちゃったからなー。これからは、オレが呼んだら必ず練習に付き合えよ」 「呼んだら必ず?」 開いた口がふさがらず、ポカンと間抜けな顔で辻村さんを見上げた。 「そう。いっとくけど、不審者に拒否権はないからな」 辻村さんは余裕の笑みを浮かべる。 「なにそれ、信じられない」 「信じなくてもいいさ。ちゃんということ聞いてくれれば」 抗議にはまるで動じない。 「でさ、今日はもう遅いから送っていこうと思ってるんだけど。もしかして、男に送ってもらったら遥香の王子様が怒る?」 王子様と言われて小野原さんの顔が浮かんだけれど、私の王子と言うわけでもない。 しかも、私が何をしようと怒ったりはしない。 だって、興味すら持たれてないんだから。 「……そんな人、いません」 「じゃあ待ってて。すぐに片づけるから」 出会ったばかりの男の人に本当に送ってもらってもいいのだろうか。 送り狼なんて言葉もあるくらいだし。 そんな不安を抱きながら、素直に待っているバカはいないのだろうけど。 終電を逃し、尚且つ給料日前で金欠の私は、そんなバカ女にならざるを得なかった。
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