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送り狼
「待たせたな、遥香」
辻村さんは窓際のソファーで雑誌を読んでいた私の頭をポスンと叩くと、片付けた店内を確認するように見渡す。
「うん、よし。じゃあ、帰るか」
「あ、はい」
私が立ち上がるのを待って、照明を落とした。
外に出るとドアに鍵をかけて、アーチ型の門をくぐるとセキュリティーシステムを作動させる。
「それで、遥香はどこに住んでるんだ?」
そう聞かれて私は遠慮がちに答える。
「……立川です」
「……た、立川?遠すぎだろ」
思った通りの反応だ。
都心までの通勤時間は約1時間の立川市。
就職したら引っ越すつもりでいたのだけれど、結局ずるずると学生時代に借りたアパートに住み続けている。
「そうですよね、遠いです。すいません」
「なるほどな、だから素直に待ってたわけだ。でもまあ、いいさ」
すると辻村さんはすぐに戻ると言い残して、店の裏手側へと走って行く。
おそらく車を取りに行ったのだろうと私は辻村さんが戻ってくるのを待った。
それから間もなくして、大きなエンジン音を響かせた大型のバイクが目の前で止まった。
私はたじろいで、数歩後退する。
あまり詳しくはないけれど、たぶんハーレーというやつだ。
こわごわと顔を上げてみると、バイクにまたがっているのは辻村さんだった。
車で送ってくれるのだと思い込んでいたから少し驚いた。
「遥香、早く乗れよ」
「……バイクにですか?」
「そうだけど……もしかして、不満?」
辻村さんは真面目な顔で聞き返す。
「そんなんじゃありません。だだ、バイクは乗ったことがなくて……不安で」
「そっか。でもきっと、大丈夫だよ。ほら、これ」
そんな私に向かって飛んできたのは、ゴーグル付きのヘルメット。
あわてて受けとめたそれを、まじまじと見つめる。
初めて触ったけど、意外と軽いんだ。
それに辻村さんのと比べると少し小さい気がする。おそらく女の子用なんじゃないかな。
そこまで考えて、ハッとする。
これ、彼女のなんじゃないかって。さっき言ってた野良猫の子。
もしそうなら、私を送り届けて怒られるのは、辻村さんの方かもしれない。
それで彼女と喧嘩にでもなったりしたら、やっぱり私が練習台にならなきゃならなくなるし。
……それはすごく困る。
「なにしてんの、遥香」
「え……、やっぱり送ってくれなくていいです」
「今更なにいってんだよ」
「……でも、いろいろと問題があるかと」
「いいからそれかぶって、後ろに乗れって」
しびれを切らしたのか、辻村さんはバイクから降りると私からヘルメットを取りあげて勢いよくかぶせた。
それからアゴ紐を調節しながら締めると、羽織っていた皮のジャケットを私の肩にかけた。
「それ着ろよ。今日は暖かい方だけど、走ると寒いから」
「でも私が借りちゃったら、辻村さんだって……寒いんじゃ」
「気にすんな、オレは大丈夫だから」
そんなはずないのに。
そうおもってジャケットを返そうとする。
すると辻村さんは、手のひらを私に向けて制止する。
「遥香。こういう時男はさ、素直に甘えてもらった方が喜ぶんだ。だから、かわいくありがとうってごらん」
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
辻村さんにペコリと頭を下げるとそろりと袖を通す。
これやっぱり、すごく大きい。
袖からは指の先しか出ないよ。
そういえば私、男の人の服を着るのは初めてだ。
辻村さんの匂いがして、なんだか抱きしめられているみたい。
そう思ったら急に恥ずかしくなってしまって。
私は騒ぎ出す鼓動をなだめながらバイクの後ろにまたがった。
思いの外、辻村さんとの距離が近くて驚愕する。
そんな私に辻村さんはいった。
「ちゃんと掴まれよ」
「はい、掴んでます」
私は辻村さんのシャツを少しつまむようにして掴まっている……つもり。
「もっとくっつけ」
「……え、でも」
分かっているけど、これ以上くっつくなんてできない。
「でもじゃない。オレの腰に腕回して体くっつけろ。じゃないと振り落とされるぞ、いいんだな」
「それはいやかも」
さすがに、振り落とされるのは困る。
遠慮がちにそっと腕を回すとグッと手首を掴まれた。
「ほら、自分で自分の手首掴んで」
「……はい」
私の返事をまって、走り出したバイク。
どうか、私のドキドキが辻村さんに伝わりませんように。
そう願いながら、回した腕に力を込めた。
風を切る音がとにかくすごくて……それから、辻村さん背中から伝わる体温がとても心地よかった。
覚えているのはそれくらい。
「遥香、着いたぞ」
だって、そう声をかけられるまで私は、ずっと目を閉じたままだったから。
ゆっくりと瞼を押し上げると、私の住んでいるアパートの真ん前。
「ここでいいんだよな」
「……はい、そうです」
そろりとバイクから降りて地面に両足を付けると、まるで体がふわふわと浮いている感じがする。
例えていうなら、ジェットコースターから降りた時のあの感じ。
「おい、大丈夫か、遥香」
「大丈夫です」
いいながらよろめいた私を辻村さんはとっさに抱き留める。
「ちゃんと歩けるか?何なら部屋まで送っていくけど」
「だだだ、大丈夫です」
辻村さんの腕の中で、私は必死で首を横に振った。
すると辻村さんは小さく息を吐き出して、ヘルメットをコツリと叩く。
「……んなふうに嫌がるなよ。送り狼になんてならねえから」
「……そ、そういう意味でいったんじゃなくて、ほんとに大丈夫ですから」
「わかったって」
辻村さんは私がかぶっているヘルメットのアゴ紐を外すと、ゆっくりと持ち上げる。
「じゃあ、また明日。仕事が終わったら店に来いよ。待ってる」
いきません。そう言おうと顔を上げた瞬間。
辻村さんの唇が私の額に降ってきた。
あまりの驚きで固まる私の体からするりと手を離すと、辻村さんはバイクにまたがった。
「おやすみ、遥香」
ハッと我に返った時には、バイクのテールランプは闇に埋もれてしまうほど小さくなっていて、一瞬で離れたはずの辻村さんの唇の感触だけが、ずっと消ずに残っていた。
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