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恋と星占い
「……素敵に変身かあ」
コーヒーが入ったマグカップを両手で包み込みながら、私はため息交じりに呟いた。
何としても王子との恋を実らせたいのだけれど、どこをどうしたらいいのか皆目見当もつかない。
「変身がなんだって? おはよう」
そういいながら隣のデスクの椅子に座ったのは、栗田倖(くりたさち)。
私の頼れる先輩だ。
見た目はかなりゴージャス。
サチさんはよく、夜のお仕事の人に間違えられるらしい。
年齢は、私の5つ上。
気前が良くて、明るくて、面倒見のいい姉御って感じのサチさんは、私が処理しきれない仕事を抱えて喘いでいると必ず助けてくれるのだけど、昨日まで有給休暇中だったのだ。
たしか、会社社長の彼氏と二人で軽井沢だったはず。
「おはようございます、サチさん。えと、今朝の占いのことで……」
「占い?大西がそんな話するなんてめらしいじゃん。って、おっ!髪切った」
いつものことだけど、サチさんは朝から元気いっぱいだ。
私と真逆。
だからこの勢いについていくことは到底無理なのだけれど、決して嫌なわけではない。むしろパワーをもらえる感じがする。
「はい、切りました。少しだけですけど」
そう答えるや否やサチさんは、私の頭をまるでワンこのようになでまわして、くしゃくしゃにする。
「いいじゃん、かわいいかわいい」
「もう、サチさん。やめてくださいよ。それより軽井沢はどうでしたか?」
私はサチさんの手から逃げるようにして、手櫛でもつれた髪の毛を整えた。
「ごめんごめん。大西がかわいいからつい。そうそう軽井沢、楽しかったよ。はい、これお土産のラスク」
サチさんはおしゃれな紙袋を私に差し出した。
「ありがとうございます。これ、今話題のやつですね」
「そう。美味しいよ」
ホクホクしながら受け取ると、サチさんは私をじっと見据える。
「それとこれ、貸してあげる。素敵に変身したいならこれで勉強するといいわ」
そう言いながら私のデスクの上にファッション誌を数冊のせた。
「……あと。もし何か困ることがあったら、いつでもいいなよ」
やっぱり、サチさんのこういう所が好きだ。
プライベートな部分にずかずかと踏み込んだりしないし、無下に突き放したりもしない。
いつか私も、こんな素敵な人になれたらいいのに。
「ありがとうございます、サチさん」
私は小さく頭を下げた。
するとサチさんはニコリとだけ笑って、パソコンの電源を入れる。
「ほら、大西。もう9時だよ。仕事仕事」
いいながら手首にしていたシュシュで長い髪をひとつにまとめると、大きなループのピアスがゆらゆらと揺れた。
その横顔を見て、私は思う。
今まで恋愛相談なんてしたことがなくて、しかもいろいろなことが起きてしまったから、どこをどう話したいいのかが自分でもよく分からないのだけれど。
これからもし、私の中できちんと整理が出来て、全てを話す勇気が持てたら。
その時は、サチさんに話を聞いてもらいたいなって。
正午過ぎになって、私は昼食を買いに会社の外へ出た。
この辺りにはコンビニやスーパーがなくて少し不便なのだけれど、ランチタイムの時間になると移動販売のワゴン車が数台やってくる。
味は意外にも本格的で、値段はかなりリーズナブル。
それを目当てに、近くの会社のOLさんたちが集まってちょっとした行列ができることがある。
私のお気に入りは、アジアン料理のお店。
タイやベトナムなどの定番メニューが日替わりで楽しめる。
今日は海老ワンタンのフォーかナシゴレン。
私はフォーを選んだ。
少し深めの容器に注がれた琥珀色のスープに大きな海老ワンタンが浮いている。
立ち上る湯気を封じ込める様に透明のふたがパチンとかぶせられて、半透明のレジ袋に入れられた。
「はい、お待ちどう。600円です」
お金を渡して商品をうけとると、こぼれないように大事に持って帰った。
会社に戻った私は、自分のデスクでひとり、まだアツアツのフォーをすすった。
サチさんはというと、わが社のデザイナーと施工業者との打ち合わせに同行している。
長引いたら直帰する。そういっていたから、今日はもう帰らないかもしれない。
昼食を食べ終えた私は、給湯室で入れたお茶を飲みながらサチさんが貸してくれたファッション誌に手を伸ばした。
「……ラルゴだって」
私の年齢よりも、ほんの少しお姉さん向けの雑誌。
確かに素敵に変身できそうなファッションアイテムが満載だけど、果して私に似合うのだろうか。
ペラペラとめくっていると、大きな見出しと共に見覚えのある顔が目に飛び込んでくる。
「若き美容界のカリスマ、辻村……旺介」
そこには、新規移転した『ブラン』が数ページにわたって特集されていた。
最初の見開きページには、オーナーである辻村旺介の写真とインタビュー記事。
お洒落な帽子をかぶって太めのフレーム眼鏡をかけたその姿は、まるでハリウッドスターみたいで、辻村(弟)さんにはない落ち着いた大人の雰囲気を醸し出している。
これでまだ30代前半というのだから、凄いとしか言いようがない。
プロデュースしているというコスメラインの話題にも触れていて、今後は一般向けに発売する予定だという。
感心しながらページをめくると、ヘアメイクを施されたモデルさんが青空の下で、はじけるような笑顔を浮かべていた。
「かわいい子だな」
私と同じくらいの年だろうか。
小さな顔と長い手足には、マキシ丈のワンピースがとてもよく似合っている。
その写真の隅に写り込んだオリーブの木を見つけて、私はブランの庭だと分かった。
けれど、何も知らない人が見たら、まさか日本で撮影されただなんて思わないだろう。
どこをどう見ても南仏。
これを作ったタブレで働いていることをとても誇らしく思える。
最後のページにはスタッフの写真があった。
並んでお店のソファーに座っているふたりの女の人はとてもお洒落だ。
そしてその後ろに立って居るのはあの辻村さん。
「……仏頂面だ」
思わずプッと吹き出した。
「どうしてもっとこう自分をよく見せようとか思わなかったんだろう」
これでお客さんから指名してもらえるのかな……なんて本気で心配してしまったのだけれど。
幸いそれは、取り越し苦労で終わることになるのだった。
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