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「やめてよね。あたしそんなつもりじゃないから!」
美姫は広げた地図の湖に赤マジックで×をつけた。そしてその先でてんてんと辿るのは、川、沼、海。それにジムや学校等のプール。要するに、水の溜まっている場所である。
「お姉ちゃん、今夜は? 泳ぎに行かないの?」
昨日から泊まりに来ている妹の千明が、テキパキとおかずをタッパーに入れ分けながら聞いてきた。
千明は頼みもしないのに、定期的に大量の食材を持ってくる。無農薬とか新鮮朝採れ野菜など、何かしら健康そうだと思えば即買い。もうほとんど趣味だ。そして分けに来る。でも料理するのは美姫で、それを半分持ち帰るちゃっかり屋である。
「……今日は街のジムにする」
「そお。そおね、今夜は新月だし……暗いと森の奥は怖いよね」
数年前、美姫は祖父母の持っていた別荘を引き継いで、一人でここに移り住んだ。自宅の火事をきっかけに。
空き巣に入られ、出くわした美姫が追いかける間に、両親を祀った仏壇の線香が倒れ、火が出た。
そもそも人との関わりが苦手。火事のゴタゴタでますます辛くなった。
そうして辺鄙な交通事情の悪い森の外れに。26という若さで隠居したかのように世の中と距離を置いた。
両親も他界。車も運転できる。リモートワークのパソコン仕事で収入もある。特に都会にいる必要もない。
庭の小さな畑で野菜も作るし鶏も飼って卵も得る。誰とも関わらずありのままの自分でいられる。そんな今の暮らしを始めてから、心身共に健やかだ。
「たまにはうちにも来てよ。あたし、お姉ちゃんをまだスーくんに紹介できてないし」
千明は結婚したばかりだった。式はまだだけど入籍は終わり、やたらに「スーくんに会って。そしたら式を挙げる」と言ってくる。
「あたしが会わなくたって何の支障もないでしょ。どうせ会ったって『残念な方に当たらなくて良かった』とか思われるだけよ」
ここで、千明が美姫の髪をピシッと叩いた。
「お姉ちゃんの悪い癖。どこが残念な方よ。そんなきれいな髪。きれいな瞳」
千明に言われると嫌味にしか聞こえない。
美姫の髪は赤味がかったクセ毛で、千明は短くカットしているがつやのある柔らかな髪質。薄い光しかない左右違う色の美姫の目とは対照的に、そのハッキリとした黒の両目は会う人に一瞬で好意を抱かせる。
「さてジムに行こうっと。駅まで送るからさっさと支度して」
美姫は一つ息をついて会話を打ち切った。妹といえど、たまに人と話すと疲れる。かみ合わないから余計にだ。
美姫はキーを取ると、渋る千明を押し出した。
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