むらさき髪の人魚

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――なんてウソ。 期待に反した言葉を返すのは、こちらも心の負担が大きい。 美姫はため息をついて窓から夜空を見上げた。もう夜泳ぎに行くのは止めよう。 「ねえ、スーくんにいつ会ってくれる?」 千明が大根やらキャベツやら鰤のアラ等を運び込んでいる。美姫の好物ばかりで、産地厳選の。 絶ーっ対に会うもんか。自分には無関係だ。 「ねえ、きれいな満月だよ。お姉ちゃん、今日は出かけないの?」 「……もういい。疲れるから」 美姫はソファに身を投げ出した。 「行けばいいのに。お姉ちゃんの言葉、みんな待ってるのに」 「何の言葉? みんなって何よ」 「『むらさき髪の人魚』――お姉ちゃんのことでしょ?」 千明はスマホを操作すると美姫に見せた。 「えっ?」 美姫はソファに飛び起きると、そのSNSの画面を凝視した。 『とにかくガツンと言ってくれる』 『未練を断ち切ってくれるんです』 『こういう竹を割ったようなアドバイスくれる人、最近あまりいないから』 『幸運の女神様』 「何なのーっ!」 美姫が叫ぶと共に、千明が肩をすくめた。 「いいじゃん。こういうの、お姉ちゃんらしいよ。無愛想だけど突き放せない、何らかの愛ある言葉を残す」 「どこがよ。毒しか吐いてない。向こうが勝手な解釈して勝手に幸せ気分になってるだけでしょ」 「でもどっか親身だってこと、気づいちゃうもんだよね、言われた方は」 美姫は千明を睨んだ。 「……あたしの泳ぐ先、あんたが世の中にリークした?」 「あ。テヘ、バレちった?」 「……あんた無責任ね。あたしが昨日、どんな願い事言われたかわかる?」 美姫は首をかしげるだけだ。思ったら一直線に突き進むことに長けているが、想像力が足りない。 「来年も○ちゃんと同じクラスにして」 「甲子園で優勝させて」 「タワマンで日照が遮られるからどかして」 「一軒しかないコンビニが潰れた。何とか復活させて」 「円安で会社が大打撃。何とか1円でも戻して」 「ママの病気を治して」 千明は返事をしなかった。だんだん泣き出しそうな顔になっていった。 「こんなのにいい加減な答えを返せる? 何の力もない偽女神なのに。あたしにできること、何もないよね」 美姫の怒りに、千明は唇をふるわせた。 「ごめんなさい……あたしはただお姉ちゃんに、もっと自信を持って欲しかったの」 「大きなお世話よ。あたしは今を満足してる。それより他人様を振り回したこと、どうにか責任取りなさい」 千明はさすがにしゅんとなって、うなだれたまま小さくうなずいた。 「わかった……全部まがい事だって告白して、ちゃんと始末はつけるから」 そう言って料理のタッパーも忘れて出て行った。今日はタクシーで帰るから、と言い残して。 美姫は見送らなかった。また、やりきれない思いが湧いた。 遠い昔、花冠を作るためにシロツメクサをたくさん集めてきた千明。美姫が自分の赤茶けた髪が嫌いなことを知って、いっぱいの花冠を飾ればきれいだよ、と。 美姫はそのシロツメクサを全部捨てた。そんなもの、要らない。隠したって髪の色やクセは変わらない。千明のようにつややかになるわけじゃない。 その翌日に千明は自分の髪を切った。以来、伸ばさなくなったのだ。 瞳の劣等感を知った時も、千明はお小遣いを叩いてサングラスを買ってきたりして。 要らない。そんなもの、要らない。 美姫から心変わりした男を全員、千明はパンチを喰らわせて決別した。それだって余計なお世話だった。 美姫が拒否するたびに千明はしゅんとした。そのしょげ具合に、美姫は胸が痛くなって心が重くなって。いつもいつも自分が嫌になった。 それほどに千明は、お節介で見当違いで迷惑で――優しかった。
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