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時々、円周率は思うことがある。
もし万一だが、転生するという事態が起きた場合、次、自分はなにになりたいだろうか、と。
正直、思いつかない。
なぜならそこそこ今の生活が心地よいからだ。
美味しい(カリカリのドッグフードの上に柔らかい魚の身をほぐしたものがかかっているとなおうまい。鶏のささみも可)ご飯と、毎日欠かさず連れていってもらえる散歩。日常的にかけられる「可愛いね」の声。
これだけで十分満たされているように思う。
しかも円周率の兄貴的存在である中学生、コウタロウはまあまあ良い人間だと思う。
女性に対し若干興味が強すぎるのか、歩道橋の下を通るときちょっとだけ身を屈めて、誰か女の子来ないかな、と待ち構えるくせに、いざ女の子が通りかかると「いかんいかん、そんなことしちゃだめだぞ、円周率」となぜか円周率のせいにしたりすることには閉口する。また、共に歩いている円周率に向かって「お前は背が低いからいいなあ、スカートの中が見放題……いや! 世界が違って見えていいよな!」などと慌てた口ぶりで言い直したりするのもどうかとは思う。
思うが、そんなコウタロウも悪くない。
だからまあ、転生するにしても、次もここがいいなあ、なんて思う。
とはいえ、スカートの中にそれほどに面白いものがあるとは円周率には思えない。
あまりにコウタロウがスカートの中に興味津々のため、試しにコウタロウの母親のスカートの中へ潜り込んでみたことがある。
・・・まずまず暖かくて居心地は悪くなかった。
悪くなかったが、「円周率! めっ! エッチな子ねえ」とコウタロウの母親に背中をぽいん、と叩かれスカートの中から追い出されたのには参った。
あれはなんだか妙に寂しかった。
コウタロウもスカートの中へ入りたいのだろうか。
そんなことをつらつらと考えていて、円周率は気づいた。
スイミングスクールの看板が変わっていることに。
以前は胸の大きなお姉さんが描かれた看板だった。
コウタロウはそのお姉さんの胸に顔を埋めるのがなにより好きだった。
円周率は知っている。
自分の名前、円周率がお姉さんのパイからπを連想してつけられたことを。
しかし、看板は変わってしまった。
円周率は看板をひたと見つめる。背中を向け、こちらに大きくお尻を突き出した状態で飛び込み台の上から振り向いているお姉さんの看板を。
コウタロウも看板のお姉さんのお尻をじっと見つめている。
スカートの中が大好きなコウタロウだ。当然お姉さんのお尻にも顔を埋めるに違いない。
だとしたら……次の世で自分に付けられる名前は円周率では絶対にない。
なんという名前にされるのだろう。
ふるふるしている円周率の前でコウタロウは思案する。
そして、
「お前の名前、この場合だとω(オメガ)かなあ」
ぼそりとコウタロウが呟いた。
オメガ。
悪くない響きである。
いや、円周率より断然カッコいい名前である。
オメガ、賛成である。
思わず円周率は尻尾を振る。
けれど本当のことを言うと……名前の響きよりも嬉しいことが円周率にはあった。
それは……今、この瞬間、コウタロウがお姉さんのお尻を見て、円周率の名前に思いを馳せてくれたこと。
それこそが円周率は嬉しい。
だってコウタロウにとってもあのおっぱいの大きなお姉さんの看板が特別であり、その特別な看板から名前をつけてくれた、その思い出を大切に覚えていてくれた、ということなのだから。
やっぱり転生するならここがいい。
コウタロウがここにいるここがいい。
転生した結果、オメガだろうが円周率だろうがそこはそれほど問題ではない。
コウタロウとまたこうして散歩できるなら、次も自分は自分でいたい。
だが円周率は気づく。いつもお姉さんの胸に楽しそうに顔を埋めるコウタロウがお姉さんのお尻には顔はおろか、手も触れなかったことに。
コウタロウにとってやはりパイの方が偉大だということだろうか。
だとしたら……転生した後もまた円周率がいい。
そしてできるなら看板もあの、おっぱいが大きいお姉さんの看板がいい。
「円周率」
次の世もコウタロウが嬉しそうに名前を呼んでくれる、そんな名前を持つ自分でいられますように。
などとあてどなく思いながら、今日も円周率はコウタロウの隣で尻尾をついと巻いて歩いている。
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