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野辺山の山中にて
ゴールまでには、8のチェックポイントがあった。保健センターが最初のチェックポイントで、その先で野辺山を越える。松原湖を経由し、長野の総合体育館を目指す。各ポイントでは、お茶やお菓子、地域の名物料理が振る舞われるらしい。
これがもっと距離も時間が短ければ楽しめるのに。あまりに過酷な上に、スタート時間が夜9時のため、リタイア希望者を乗せる巡回車もあるようだ。
「ではスタートです! みなさん、無理をせず頑張ってください!」
係の人の声に従って、約1000人の老若男女が一斉に歩き出す。ウダウダ言っていたが、これから始まるちょっと過酷な「夜のピクニック」に、楽しくなってきている自分もいた。ひとりでの参加だが、周りにたくさん人がいるのでそこまで寂しい感じもしない。
出発の高揚感に騙されて、初めはどんどんペースを上げ、快調に野辺山に入っていった。どの人も頭に懐中電灯をつけていて、大勢の人が暗闇を歩く様は、まるで地上に延長した銀河のようで。普段は体験できない幻想的な風景を前に、「やっぱり来てよかったな」という気持ちにもなっていた。
だが、フルマラソンを軽くこえる距離の強歩大会が、ただ楽しいだけなわけはない。野辺山の最高地点を目指して歩く頃に、雪が降り始めたのだ。
寒さで筋肉がこわばり、前に進む力が徐々に削がれていく。まだゴールまで40km以上残っているのに。
視界が雪でまだらになる中。漆黒の闇世を照らす朧げな街灯の下で、ついに私は立ち止まってしまった。
いつの間にか先ほどまで一緒に歩いていた人たちは姿を消し、心細さが増す。
ふと、子供の頃に自分に向けられた、母の笑顔を思い出した。
––––あんなに迷惑かけられたのに、こういう時思い出すのはあの人の顔か。
いつの間にか、雲の切れ間から月が覗いていた。
流れゆく黒い雲を縫うようにして、青白い月光が夜道を照らす。
ひとりぼっちになってしまった自分を見守るように光る望月を見上げ、ポロリ、と涙がこぼれた。かじかんだ手で頬を拭うが、どうにも止められない。
「大丈夫?」
背後から声をかけられ、心臓がはねた。
振り返るとそこには、体育館で会釈をし合った、あの若い男の姿があった。
「君は、お母さんが好きだったんだね」
「え?」
見ず知らずの男に、まるで心を読まれたのかの如くそう言われて驚きを隠せない。だいたい、いつから背後にいたのか。
こちらの反応が全く気にならないかのように、飄々と彼は続ける。
「周りの人から、生活を切り詰めるくらい仕送りするのは、異常だと言われたんだね。お母さんは君に頼りすぎで、毒親だと。そう言われて君は傷ついていたんだね」
「なんで……」
「でも君はお母さんが好きだったから最後まで支えた。いいじゃないか、他人の言葉なんか気にしなくて。人間はラベリングが好きだよね。お母さんは『いい母親』だったのか『悪い母親』だったのか、そんなの結論出す必要ない。ただ心のままに、弔ったらいい」
一体この男は何者で、なぜ急に説教を垂れ始めているのか。
私はしばし唖然と、その男の顔を見つめていた。
「ぼさっとしてないで、歩いたほうがいい。立ち止まってるほうがキツくなると他の参加者が呟いていた。君はそんなに、体力がある方ではないんだろう?」
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