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「ジョンの散歩、今日も優子が行ってくれるのかい?」
「うん、任せて!」
元気よく母に返しながら、私は愛犬と一緒に家を出た。
「気持ち良い朝だね、ジョン」
「ワン!」
人間の言葉そのものはわからずとも、表情や態度などで伝わるのだろう。ジョンも嬉しそうに鳴いてくれた。
こうして愛犬と散歩していると、犬は暑さが苦手な動物だとよくわかる。特に夏真っ盛りの頃は、アスファルトが熱くなるらしく、足の裏が焼かれるのを嫌がって、日陰は歩くけれど日向は走ることが多かった。
でも、それも少し前までの話だ。そろそろ夏も終わりであり、散歩しやすい季節になったのだ。
ジョンも今日は走ったりせず、家を出てからしばらくの間、ひたすらトコトコ歩いていたのだが……。
「ワン! ワン、ワン!」
大声で吠えたかと思ったら、いきなり走り始めた。
私が手にする手綱を振り払う勢いだ。手放したら大変なことになるので、当然しっかり握っておく。
ジョンとしては首輪の部分を後ろから引っ張られる形になり、もう前足は宙に浮いている。後ろ足だけでピョンピョン跳ねる様は、古い映画で見たキョンシー歩きを彷彿とさせる姿だった。
「こら、待ちなさい!」
興奮するジョンに、制止の言葉をかける。
慌てている様子を装いながらも、ジョンがこうなった原因を察して、心の中では嬉しくなってしまう。
想像した通り、すぐにその姿が見えてくる。私たちとすれ違う向きの通行人だ。いや、歩きではなく走っているのだから「通行人」という言い方は相応しくないのだろうか。
正確に表現するならば、ジョギング中の男の子だった。
「こんにちは。今日も元気ですね」
「はい! うちの子、元気すぎて……。いつもすいません」
すれ違いざまに、彼は微笑みながら挨拶してくれた。私も笑顔で返すが、言葉のやりとりはこれだけだ。ジョギング中なので、彼は立ち止まったりしないのだ。
「ワン! ワン!」
私たちの短い会話を邪魔するかのように、ジョンが再び吠える。彼に向かって飛びかかっていくが、彼はヒョイッと横に避けるだけで、やはり立ち止まる素振りは見せなかった。
そんな彼の背中を、ボーッと眺めていたら……。
「ワン!」
ジョンが彼を追いかけ始めた。
「こら、そっちじゃないでしょ!」
と一応は叱るものの、私は「仕方ないなあ」という表情を浮かべて、ジョンについていく。
散歩ルートがここで、強制的にUターンの形になったのだ。
彼はチラリと後ろを振り返り、私たちが追ってくるのを確認。
振り切るためにスピードアップするのではなく、逆に速度を落としてくれた。こうなると、やや変則的だが、彼も含めて二人と一匹で一緒に散歩している気分だ。
「わざわざありがとうございます!」
私が叫ぶと、彼がまたチラッと振り返ってくれた。私と目が合って嬉しそう……と感じてしまうのは、さすがに私の思い込みかもしれない。
私は運が良いのだろう。
愛犬を散歩させる道が、一目惚れした相手のジョギングコースと重なっており、こうして毎朝のように一緒になれるのだから。
いつもジョンが彼に飛びかかっていくことに関して、どうやら彼は「人懐っこい犬だから、誰にでもそんな態度を見せる」と思っているらしい。
でも、それは大間違いだった。ジョンは人見知りの激しい犬であり、基本的に家族以外には懐かないのだ。
それなのに、彼に対する扱いが「家族」並な理由は……。
最初の頃、彼が落として気づかなかった汗拭きタオル。それを私が拾って、そのまま拝借。私自身の宝物にするだけでなく、ジョンにも匂いを覚えさせたからだ。
もちろん、こんなストーカーっぽい行為は、彼には絶対内緒。いつか彼を私の部屋に招けるような仲になったら、少し勿体ないけれど、あのタオルは処分する必要があるだろう。
(「犬の散歩とジョギング少年」完)
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