0人が本棚に入れています
本棚に追加
夕方トイプードルを連れて近所を歩くと、同じく犬を散歩させている人たちに遭遇する。
特に、住宅街から大通りへと抜ける真っ直ぐな道。俺が勝手に「わんわんロード」と呼んでいる付近だ。
片側は民家が並んでいるけれど、反対側は川の土手みたいに盛り上がった草地で、その状態が200メートルか300メートルくらい続いている。ちょうど犬の散歩に適しているようで、俺も定番のコースにしているのだった。
犬を連れた人に出会えば「こんにちは」と挨拶するし、お互いの犬同士が道端で遊び始めれば、軽く立ち話もする。話題は当然、それぞれの犬に関することが中心だ。
そもそも「近所を歩く」といっても、ひとつふたつ隣の町会あたりまでは足を伸ばすし、例えば「わんわんロード」も既に別の町会だ。また俺自身が元々、あまり近所付き合いしていなかったせいもあって……。
相手の名前もどこに住んでいるかも知らないけれど、その人が連れている犬の名前や年齢などは把握している。そんな顔見知りが増えてきた。
俺が犬を散歩させる「夕方」は、だいたい5時か6時頃。ただし犬がそれまで我慢できなくて、うるさく催促する場合は、4時くらいに出かけることになる。
要するに、毎日微妙に散歩の時間は違うわけで、そうなると出会う相手も変わってくる。犬の散歩なんて短ければ10分か15分、どんなに長くても1時間以内だろうし、たとえ散歩コースが同じでも、それぞれの散歩時間が重ならなければ、会う機会は失くなる道理だ。
だから「毎日会う」なんて相手はいないはずなのだが……。
不思議なことに、ほぼ毎日――正確には週に5日か6日――出会う者がいた。白いポメラニアンを連れた女性だ。
――――――――――――
年齢は30歳くらいだろうか。
つばの広い麦わら帽子を目深に被っているから、顔の一部は隠れている。ただし見えている範囲から判断する限り、すらりとした鼻筋や艶を帯びた小さめの唇など、かなり美人な印象だった。
背中まで伸びた長い黒髪や清楚な白いワンピースも、いかにも美人に似合いそうなイメージだ。おそらくワンピースは、愛犬のポメラニアンに色を合わせているのだろう。
その格好がよほど気に入っているらしく、彼女はいつも同じ服装だった。いや俺がファッションに無頓着な男だから「同じ服装」に見えてしまうだけで、実際には別の服。同じ一枚のワンピースを使い回すとは考えにくいし、似たような白い服を何着も持っているのだろう。
俺はそう思っていた。
うちのトイプードルは人懐っこくて物怖じしない性格のため、どんな犬や飼い主と出会っても大はしゃぎするが、中でも麦わら帽子の彼女は特別らしい。
彼女に撫でてもらったりすると、俺や家族が同じことをした時以上に凄く喜ぶ。よほど彼女は犬扱いが上手なようだ。
彼女が連れているポメラニアンもよく遊んでくれて、うちのトイプードルが興奮のあまり飛びかかっても、全く嫌がらないほどだった。
初めて彼女と会ったのは、ちょうど今みたいに暑い時期。だから最初は、麦わら帽子や半袖のワンピースも季節感にマッチしていたのだが……。
10月や11月になり、少し肌寒い季節となっても、彼女は同じ格好を続けていた。
少し奇妙に感じたものの、だからといって問いただすほどの話ではないし、そんな仲でもない。それまで通り「犬の散歩で出会う顔見知り」という関係の付き合いを続けて……。
ある時、ひょんなことから夏服の理由が判明する。
うちのトイプードルが彼女や彼女のポメラニアンと戯れ合う姿をスマホで撮影したら……。
彼女たちは、どちらも画像に写っていなかったのだ。
――――――――――――
スマホの写真を見て、最初に思い出したのは「吸血鬼は鏡に映らない」という話。有名なのは「鏡に映らない」だが、吸血鬼を扱った映画や小説の中には、確か「写真にも写らない」設定にしている場合もあったはず。
続いて頭に浮かんできたのが「宇宙人が人間に化けている」的なSF映画。肉眼では人間そっくりに見えるけれど、写真機やビデオカメラなど、機械を通すと正体が見えてしまう……みたいな物語だ。
吸血鬼にしろ宇宙人にしろ、どちらも人外の化け物だろう。今までは空想上の存在、単なるフィクションに過ぎないと思っていたが、もしかすると、この麦わら帽子の彼女は……。
そこまで考えた段階で、自分の考えの誤りに気づく。
もしも画像に写らないのが彼女だけならば、吸血鬼や宇宙人という解釈も可能かもしれないが、そうではなくて彼女の犬も同様なのだ。
人外の化け物とはいえ、吸血鬼も宇宙人も人型生物。ポメラニアンは該当しないはず。
ならば……。
ここでようやく別の可能性に思い至る。
幽霊だ。
考えてみれば、彼女たちと初めて出会ったのは、ちょうどお盆の頃。それこそが、幽霊という何よりの証ではないか。
そもそもお盆とは、あの世の霊が一時的に現世に戻ってくる時期。麦わら帽子の女性と彼女の愛犬は、おそらくお盆でこちらへ来たものの、あの世に帰りそびれた霊たちなのだろう。
幽霊だから、もはや疲労を感じることもなく、夕方の散歩も長め。毎日何時間も歩き回っているに違いない。
――――――――――――
「わん! わん、わん!」
うちのトイプードルは今日も、麦わら帽子の彼女とポメラニアン――白色の幽霊コンビ――を見かけると、嬉しそうにそちらへ駆けていく。
手綱を手放さないよう、しっかり握りしめたまま、俺も犬に合わせて足を速める。
「こんにちは。ありがとうございます、いつも遊んでいただいて」
「いえいえ、こちらこそ。メルちゃん、元気ですものね。本当に可愛らしくて、連れて帰りたいくらいですわ」
「ははは……。それはさすがに勘弁してください」
最初の頃はお互い「こんにちは」だけだったが、今では軽い冗談も交わす間柄だ。
正直、自分でも驚いている。相手の正体が幽霊だとわかった上で、それでも普通に接することが出来る自分自身に。
もちろん俺には特別な霊感なんて備わっていないし、これまでの人生で幽霊を目撃したことも一度もない。後にも先にも、彼女たちだけだ。
こうして実際に出会うまで、そんなものいるはずないとか、もしも実在するとしても恐怖の対象でしかないとか思っていたが……。
百聞は一見にしかず。事実は小説より奇なり。
うちのトイプードルが懐いている以上、俺も怖さは感じないのだ。おそらく彼女たちは、下手な人間よりも良い人だったり、良い犬だったりするのだろう。
(「白いポメラニアンの女」完)
最初のコメントを投稿しよう!