月夜噺

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「ねえ、月をみてみない?」 黙って、いや、言葉を発せずに話を聞いていた私に千里がそう言いました。気付くと、先程まで夜空を覆っていた雲はどこかへと消え、煌々とした月明かりが村を照らしておりました。 「満月、綺麗だから、見てみない?」 「……うん」 私は了承してしまいました。 同意を得た彼女は、小さく笑ってこれからの流れを説明し始めました。方法は、私の記憶からいなくなってしまった妹が提案した方法でした。 私は、彼女に従いました。 横に並び、お互いが自分の両目を隠し、カウントダウンが始まります。 「1!」と彼女が叫んだ瞬間、私の掌は私の両目を隠していました。 少しして、隣に並んだ千里の方に目を向けますと、青白い光の中に吸い込まれるようにふらふらと歩いて行く彼女の姿が見えました。ゆらゆら、ゆらゆらと揺らめきながら、その体は宙へと浮いて行きます。そして、一層青白い光が彼女の体を包むと、すっと月へと吸い込まれて行きました。 月へと吸い込まれていく瞬間、私は、「ああ、今、彼女の記憶は全て消えたんだ」と、悟りました。 どのくらいの時間そこに立っていたのでしょうか。 我に返った私は、そのまま1人で東京へと帰りました。翌日、様々なニュースを見ていても、行方不明者の報道はなく、友人達にも電話やメッセージで彼女のことを尋ねてみてはみたものの、誰1人存在を覚えている者はおりませんでした。 今でも、ふと、何故あの時月を見ようという提案を受け入れてしまったのだろう、千里が手を離すだろうことは分っていたのに何故止めなかったのだろうと、罪悪感が沸き立ちます。 こうしてこのお噺をするのは、千里の記憶が消えてしまった分、新しく皆様に彼女のことを知ってもらうため。それだけが私ができる唯一の罪滅ぼしだと思ってのことでございます。
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