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「今日はいけると思ったのに!」  私はそう声を張り上げてから、机に突っ伏した。  今日は卒業論文の進捗状況について、教授に報告をするために大学へやってきた。  私は意気揚々とプレゼンをしたが、教授はお気に召さなかった。  見事にこてんぱんにされてしまったのである。 「お前の卒論テーマは面白いと思うけどな。ありがちすぎて、却って論拠を示すのが難しくなっているんじゃないか?」  机に肘をついて頭を抱えている私に向かって、同期が声をかけてきた。  私は唇を尖らせると、すぐさま同期に向かって反論をする。 「ありがちなところがいいのに! 考古学はロマンでしょ?」 「お前はさ、そのうち鞭を持って現場に行きそうだな。頼むから暴れまわって遺物を破壊するなよ」  同期は某テーマパークにもアトラクションが存在する映画の主人公のことを言っているのだろう。  私の頭の中に、誰もが一度は耳にしたことがある有名なテーマソングが流れる。 「誰がフェドーラ帽をかぶって現場に行くか!」  私は頭の中の曲を打ち消すように、同期にツッコミを入れた。  同期はそんな私を呆れた顔で見つめながら話を続ける。 「冗談はともかく。今ならまだテーマ変更が間に合うんじゃないか?」  同期は私に問いかけながら、自分の持っているリュックの中から一冊のファイルを取り出した。 「ああ! それが貸出中だったのって、アナタが持っていたからか。すっごい探したのに」  同期が取り出したのは、かつて同じゼミに所属していた先輩の卒業論文だった。  ファイルに書かれているタイトルは『縄文人と犬との関係について』だ。  まさに私が卒業論文のテーマとしていることなのである。 「お前が教授に何度も徹底的に打ちのめされても立ち向かっていくから、縄文犬(じょうもんけん)のことが気になっちまったんだよ」  同期があははと笑いながら、先輩の卒業論文をペラペラとめくっている。 「俺だって実家で猫を飼っているから、ペットが愛おしいって気持ちはよくわかるぜ?」  同期は机の上に置かれた自分のスマホを指でつついた。  彼のホーム画面が愛猫であることは知っている。 「だけどさ、縄文人が最初から愛玩目的で犬を飼育することがあるはずだっていうお前の意見には、俺も賛同はできないぜ」  同期はそう言いながら、手にしている先輩の卒業論文を机の上に置くと、ゆっくりと立ち上がった。  彼はそのまま研究室の中を歩き、本棚の前で足を止めた。 「先輩だって、狩猟の相棒として飼育されていた個体が、引退後に余生を人間と過ごすこともあるって結論じゃん。最初から愛玩目的だけで飼育されることはないだろうってさ」  同期はそこまで話すと、棚の中から一冊の本を取り出した。それを私に向かってずいっと突き出してくる。 「先輩の主張はわかるよ。そういうケースが実際のところほとんどだったんじゃないかなって、私だってそう思っているもの」  同期が手にしているのは、とある遺跡の発掘調査報告書だ。  その報告書には、縄文時代の犬の埋葬について記されている。  私は同期から発掘調査報告書を受け取った。 「この遺跡で発掘された犬の骨格は歯の一部が欠損しているから、元々は狩猟目的で飼育されていた個体が埋葬されたという意見に異論はないの」  私は手にしている発掘調査報告書の該当するページを、即座に開いた。  何度も目を通したため、ページの番号は覚えてしまっている。 「だけどね、この遺跡で発見された()だって、人間と同じように埋葬されていたのよ。ということは、埋葬をした人間は犬という動物に対して、深い愛情があったのは間違いないのよ!」  私が熱く語ると、同期はこりゃ駄目だと肩をすくめた。 「まさかとは思うが、教授にもその愛を語ったんじゃないだろうな」 「もちろん!」 「根拠とか事例とか、具体的なことは示さなかったのか?」  私は報告書をゆっくりと閉じて、表紙をびしっと指差した。 「まさにこの遺跡での発見が事例であり、根拠の一つよ。私なりに理由を肉付けしたつもりだけど、そもそも感情って理屈じゃないでしょう?」    同期は呆れた顔をして頭を横に振った。  その様子に、私は首を傾げる。  別の遺跡では、人と犬が別々ではなく、一緒に埋葬されていた事例だってある。  私はそれほどおかしなことを自分が言っているとは思っていない。 「だって、犬が言葉を発して、人間と一緒に埋葬してくれと頼むことはできないじゃない。共に埋葬されているということは、人の方から死んだら愛犬と一緒に埋葬してくれと頼むしかないわけで……」  死しても共にいたいというのは、どれほど深い愛情を犬に対して抱いていたのだろう。  私ははじめてこの報告書を読んだとき、感動したことを覚えている。 「人と犬が一緒に、それも丁重に埋葬されている。それ自体が何らかの感情があった証と解釈するのはおかしくないはず」  私は熱く語っていたが、同期は相手をすることが面倒くさくなってしまったらしい。  棚の中にある別の本を手に取って読みはじめてしまった。 「古代の人々は、犬という存在を狩猟の相棒という合理的な理由だけで傍に置いていたわけではない。共に埋葬されているということが、人が安寧に過ごすために、犬に対してひたすら癒しを求めた結果であると思うわけよ!」  同期はもう相槌すらしてくれない。  それでも私は、自分の意見を聞いてもらいたくて語り続ける。 「教授もゼミのみんなも、縄文人の生活環境ではただの愛玩動物の飼育に時間と労力を割くわけないって否定するよね。そんなのは生きていく上で無駄なことだからって」  教授にボロクソに言われた後なので、私はとにかく自分の意見を吐きだしたかった。 「だけど、現代人だってペットを飼うのは必ずしも生きていく上で必要なことじゃないもの。それでも、人は動物と一緒に暮らすという選択をする。縄文人だってきっとそう。無駄なことに価値を見いだす可能性は否定できないでしょ?」  最後に私が問いかけると、ようやく同期は読んでいた本から顔を上げた。 「……長々とご高説どうも。どこかの漫画家みたいなことを言っているけど、やっぱり俺はどうかと思うぜ」  同期の冷めた物言いに、私は熱くなり過ぎたと気づかされた。
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