雨と犬と小面と

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雨と犬と小面と

雨―小面― とある名家があった。そこの娘は大変美しいと評判で、頭もよく器量も良かった。しかしそれを鼻にかけることもなく誰に対しても優しく穏やかな娘だった。 両親は子煩悩だが甘やかしすぎることはなく、名家野菜に恥じぬよう娘を育てた。 愛犬のヤマトは番犬として非常に優秀で、その娘によく懐いていた。 そんな家族を妬むものも少なくはないのである。 ある日私は夢を見た。雨の中を一人で歩いている夢で、とても寂しい気持ちになった。 体の上に重いものが乗っている感覚がして、目が覚めた。目の前には愛犬のヤマトが怪訝な顔で乗っている。どうしたのかと思っていると、突然私の顔を引っ掻き始めた。 最初は戯れているだけかと思ったが、段々とヤマトの顔が険しくなり力も強くなった。 「痛い!やめて!どうしたの!?」 必死に顔を守りながらそう言うが、それは止まず。振り払おうにも顔を守るのに必死でうまく身動きが取れない。 「助けて!!誰か来て!!」 大声を出した瞬間、ヤマトは驚いたのか更に強い力で引っ掻いた。 顔を守っていた私の腕と、腕の間からヤマトの爪が当たった私の顔が盛大に裂けた。 あまりの痛さに悲鳴も出なかった。 遠のく意識の中、父が駆けつけてくれた姿と、ヤマトの悲しそうな顔が見えた。 なんということか。番犬として飼っていたヤマトが急に娘に襲いかかっていたのだ。娘の血だらけの姿を見て血の気が引いた。すぐに救急車を呼ぶよう家内に伝え、ヤマトに対して怒りを覚えた私は使用人に殺処分するよう言いつけた。 家内は驚いたようにこちらを見た。殺処分なんて!と言っていた。今はそれより早く電話をしてくれと怒鳴ってしまった。 ヤマトは悲しそうな顔で、キャンキャン鳴き暴れながらも数人がかりで引きずられるように檻に入れられ連れて行かれた。その姿を見て罪悪感を持ったが、娘の腕や顔に怪我をさせた以上は致し方ない。そういえばヤマトは妻が連れてきた犬だったか。しかしそれどころではない。 急いで娘の怪我の状態を確認し、止血作業に当たった。元来血というものが苦手な私だが、娘の一大事となれば冷静に――正しい方法かは分からないが――応急処置に当たれるのだなとどこか他人な私が見ていた。 遠くで救急車のサイレンが聞こえてくる。もう少しだ。 頑張れ。アヤ………。 病院にて。 「娘さんの傷は腕も顔も十数針縫うほどのものでした。最善を尽くしましたが傷跡は残るでしょう。幸い、一番大きな傷は頭皮に近い額側で、髪の毛などで隠せる位置ではありますが…。その他細々とした掻傷もありますが、まだお若いのでいずれは目立たなくなるかと思われます。」 それは仕方がない。親として、娘がどんな顔になろうとも愛することには変わらない。 問題は娘の心だ。これまで美しいと持て囃されていた顔を失って悲しむだろう。傷跡を理由に虐められたりバカにされたりして傷付かないだろうか。 家内は横で呆然としている。医者の話を聞き終わった私達はまだ目は覚めていない娘の病室へ行った。 家内は包帯で巻かれた顔を見ながら頭を優しく撫でて声をかけている。 見た目に左右されずに幸せになるように。 あなたの未来が明るいものであるようにと。 雨の中を歩いている。私の手は血にまみれているが怪我ではない。私の血でもない。雨が降っているのに手の血は落ちない。 ここは知らない道。林の中の一本道で一人、歩みを止めない私。 この先に行ってはいけないような気がする。 ぼんやりとそう思うが足は止まらない。 でももうなんでもいい。なんだか疲れてしまった。 どうしてそう思うのかは分からない。何があったかも覚えていない。ぼんやり歩いている私を認知している私。 あら、これは夢かもしれない。 気づいた瞬間に動けるようになった。 そうだ、私はヤマトに…… ヤマトがどうしてあんなことをしたのかは分からないが、きっと何か事情があったはずだ。起きてヤマトに会いたい。 言葉は分からないけど。 また襲われるかもしれないけど。 会わなければいけない気がする。この道の先にヤマトはいない。引き返そう。 振り返った瞬間、能面をつけた男が目の前にいた。 目を覚ますと暗い灰色の天井が見えた。ここはどこだろうか。 「アヤ!」 名前を呼ばれた方を見ると、両親が泣いている。 曰く、あの日から1ヶ月経っていた。 怪我や出血量に対して一向に目を覚まさなかったと。 ところで、どうして格子越しにいるのかしら? 医者はすぐに目が覚めるだろうと言っていたのに、1週間経っても娘が目を覚まさない。 一体どういうことか。医者も原因は不明だがショック、心の傷が原因ではないかと言っていた。 早く目を覚ましてくれ…。また元気な笑顔を見せてくれ…。祈るばかりの日々だった。 そんなさなか異常は起きた。 娘は個室だが、近くの病室にいる患者たちが次々に原因不明の不調や完治しかけの病が悪化、新たな怪我をした。最初は偶然かと思ったが、日が経つにつれてどんどん娘の病室を中心に広がっているようだった。 しまいには娘の看護をしてくれている看護師、主治医までもが怪我や不調を訴え始めたと話題になった。 娘や私達には特に何もなかった。 周りから白い目で見られ、医者から一度退院してみてはと提案された。 娘の状態自体は安定しているので、あとは目を覚ますだけだからと。 最初はどういうことかと怒りかけたが、娘の病室を中心にというのが気になったので引き下がった。 娘を家に連れて帰ってきたが、やはり目は覚まさない。 今度は家の使用人たちが不調を訴え始めた。長年我が家に仕えてくれている者まで、普段しないようなミスをして怪我をした。 怪我や不調で辞職や休職が相次ぎ、人手はかなり減っていた。 ある者が一人で掃除をしていたら階段から突き落とされたが、状況的に周りには誰もいなかったということもあった。 家政婦が残り2人になってしまったが、しかし私達家族には何もない。 近隣の家にも不調者が出始め、これはいよいよ何かあると思い、専門家に頼ることにした。 父から譲り受けた『当主の努め』という手帳の最後に、総祖父の代から交友関係の神社があるのだと記載されていたからだ。昔から我が家に呪術の類がくると祓ってもらっていたようだ。正直半信半疑だが。 代替わりしてからお互い交流は無くなっていたようで、父も頼ったことはないだろう。 ダメ元で連絡してみたところ向こうも二つ返事で来てくれることになった。 なんでも、我が家方面から嫌な気配がしてきたから祖父(先々代)に連絡を取るよう言われていたのだとか。ちょうど私から連絡が入り、快諾してくれたようだ。 随分と若い、メガネを掛けた男が来た。彼が今の宮司だという。こんなに若い子に任せてしまって大丈夫なのだろうか。 アサキと名乗った彼は家の前を見て一言、 「この家の周りだけずいぶんと地面がぬかるんでいるんですね」 と言った。 気付かなかった。そんなばかなと思うが、本当にぬかるんでいた。なぜ今まで気付かなかったのか。 とりあえず私は彼に家の中を見てもらった。 この家はどうしてこんなに広いんだろ。さすが名家って感じ。 あとはなんでこうもまあお面をつけた人が歩いてるんだか。使用人かなぁ。 ぶっちゃけ気味悪すぎる。 2人だけつけてない人がいたけど、どうしてだろう?偉い人なのかな? ていうか、嫌な気配が全体的に漂ってて発生源が突き止めにくい。もしかしてこの家全体か?あのぬかるみか? はーーーーー。面倒な仕事引き受けちゃったかなぁ。 なんて思いながらも一通り案内してもらって、いよいよ娘さんの部屋の前に来た。 ふーむ、特に強い気配も感じないけど…。 中を見せてもらえないかお願いした。 やや渋られたが、入れてもらえることになった。 そういえば飼い犬に襲われて怪我した娘さんが寝てるんだっけ? 悪いこと頼んだかなぁ。 でも他の部屋は見せてもらってーーまあ、どこもかしこも嫌な気はあったけど強くはないからーーあとはここしかないもんね。 けどドアが開いた瞬間ちょっと後悔した。 アサキさんが部屋の中を見て少し顔をしかめた。無理もない。包帯が巻かれた娘が寝ているのだから。 しかしそこまで青ざめるほどか? いや…怪我人は見慣れないか。私も娘じゃなかったらきっと…いやいや、集中しよう。 「どうですか?何かわかりましたか?」 私の問いかけに、アサキさんは随分考えてから答えた。 「うーん…。はっきり申し上げますと、娘さんから悪い気が出ているようです。誰かに呪われたか、あるいは娘さんが何かをしてしまったか、ですね。ご家族には影響ないようですが……」 驚いた。なぜ我が娘が…。誰かの恨みを買ったのだろうか。何かをしてしまったとはどういうことなのか…。 驚く私にアサキさんはさらに説明をしてくれている。 「何かをした、ということについて誤解を恐れずに言うなら、例えば道端に祀られている何かを誤って壊してしまったとか、軽率にお祈りして好かれてしまったとか。霊に同情してしまったとか色々です。他には、神々などは一目惚れであちら側に連れて行こうとすることもありますね。」 なかなか非現実的な話が過ぎる。 到底、ハイそうですかと受け入れられるものではない。 しかしながら娘から悪い気が出ているがその原因ははっきりしないのだとか。もう少し調査が必要なようだが、このままでは家族以外の悪影響は酷くなるばかりだそうだ。どこか人が寄り付かないようなところに隔離した方がいいと言われた。 実際近隣住民からも遠回しに苦情が来ている。恐らく病院での話も聞いたのだろう。 隔離するのに適した場所はあるだろうか。そうだ。『当主の努め』に、昔使っていた牢が記載されていたはずだ。たしかそこは所有する山の中腹にあったはずだ。そこは私有地で閉鎖されているから人も寄り付かないだろう。 愛娘をそんなところに閉じ込めるのは心苦しいがやむを得ない。周りの不調の原因が娘と言われてしまっては決断せねばなるまい。 アサキさんにその話をすると、そこに貼る御札を用意してくれるとのことだ。それでさらに悪い気が広まらないようになるだろうと。 急いで原因を究明しよう。 アサキさんと強い握手を交わした。握った手はえらく冷たかった。 当主さんと握手を交わした。すんごく頼られてるけど正直俺の手に負えない気がする。 まだまだひよっこだし。だから宮司を継ぐなんてしたくなかったのに。 帰路につく中、 じいちゃんがやればスムーズに解決しないかな… なんて今年79歳になる祖父に押し付けようとしている祖父不幸の孫…と思いつつ、己の家族たちに相談する内容をまとめる。 父はそういった力が弱くて、「だめだ!力になってやれない!」と満面の笑顔で断るだろう。そして父は母に引っ叩かれるだろう。いつものやり取りだ。 ため息が出そうになるのを我慢した。 あの部屋。 ドアを開けた瞬間にブワァっと悪い気が溢れ出してびっくり。 あんなにヤバそうなのは初めてかもしれない。 寒気が止まらなかったし、娘さんもなんかお面つけてたし。あれ、何だっけ。小面ってやつか。 顔を怪我した娘に小面の面つけてたのは何でだろう。 家にいた人達も含めて聞いてみればよかった………いや、聞いていいことなのかな? あんまり他人の家庭事情に踏み込むのもなぁ…。 脱線を繰り返し、思考はまとまらないまま家に着いた。 格子越しに見た両親はなんだかやつれていて心配になってしまった。 「どうしたの?大丈夫?」 涙ながらに大丈夫だと答え、私の心配をしてくれている。 顔は痛まないか、具合は悪くないか…と。 「大丈夫だよ。ところで、なんで閉じ込められてるの?」 両親が悲しそうな、申し訳無さそうな顔をした。 どうやら今私は呪われているらしい。そのせいで隔離を余儀なくされていると。 閉じ込められているのは私だったのね…。 「アサキといいます。初めまして。」 壁の横からスッと出てきたお兄さんが挨拶をして、細かな事情を説明してくれた。 私は横になったまま挨拶は失礼だと思い、起き上がって近づこうとしたがアサキさんにそのままで大丈夫だと言われた。優しいお方ですね。 呪われた原因は分かっておらずのようで、心当たりはあるかと聞かれたけど、そんなものはなかった。これまで謂われなく恨まれたり妬まれたりしたことはあったけど… 何か不思議な体験をしたかも聞かれたけど、うーん。 特に何も……あ! そういえば夢を見ていたような…?でも何だか思い出せない。悲しい気持ちがしたことしか分からない。 手がかりなしとうなだれる3人を見てふと、思い出した! 「そうだ!ヤマト!!ヤマトはどこ?!」 突然出た名前に両親は驚いている。 でも私はヤマトに会わなくてはいけない。 「ヤ…ヤマトは…」 口ごもる両親をまくしたてる。 ヤマトには会わせられないという両親。どうしても会いたい私で押し問答。 「ヤマトならご無事ですが、少し離れたところにおります」 割いるように澄んだ声が聞こえた。使用人のテルさんだ。 「旦那さまから殺処分を命じられましたが、命令が冷静ではなかったと判断し、隔離のみにとどめております。現在は暴れることなくおいでです。」 命令違反に関して父はなにか言いたげだったが安堵した表情をしていた。 ありがとう!!本当に。テルさんの判断はいつも正しいわと母が涙声で言った。 テルさん自身、彼女の母親の代からうちに仕えてくれている。だから両親も贔屓目に見ている部分があるようで、自己判断での行動をたまにするし、許されている。強い人だわ。 「テルさんありがとう!すぐにヤマトに会わなくてはいけないの。連れてきてくれる?格子越しなら大丈夫でしょう。あ、皆さんは念のため離れていてください。」 承知しました。少々お待ちください。と素早く行ってしまった。 アサキさんはなぜヤマトに会いたいのか尋ねてきた。 「なんとなくです。ヤマトは人を襲うような子ではありません。事情を聞かなくてはいけないのです。」 言葉は分からないが。確固たる意志を主張した。 誰にも有無は言わせない。 娘さん…アヤさんが目を覚ました。起きてからはぼんやりしているようだった――小面と包帯で表情までは分からないが―― 小面をつけている本人も気にしていないようだし、これはこの家の習慣でいいんだろうな。 幸い隔離してから近隣の不調は止まり、苦情も来なくなったそうだ。病院の方も落ち着いたらしい。自宅療養中は医者と看護師が訪問してアヤさんの様子を定期的に診てくれたが、短期間なら影響ないようだ。 アヤさんを隔離することは医者と決まった看護師以外伏せているのできっと周りの人たちはまだ家で療養中だと思っているだろうなぁ。口止め料高いだろうなぁ。あ、守秘義務があるから大丈夫なのかな?律儀に守ってるならの話だけど。 まあとりあえず不調の原因をアヤさんだと思わせない作戦。成功してるといいなぁ。 アヤさんが両親と話をし、徐々に覚醒してきたようなので自己紹介をして、事情を説明する。 理解が早いというか、状況に動じてないあたり、大物になりそうな子だ。 いくつか質問をするがこれといった収穫なし。アヤさんから何か聞けたら進展したんだけど仕方ないね。いっそ掲示板にでも相談しようか…なんて冗談半分に考えていたら突然。 「そうだ!ヤマト!!ヤマトはどこ?!」 アヤさん渾身の大声にびっくり。一ヶ月寝てたのに元気だなぁ。 -----------ここまで 【雨と犬と小面と】タイトルは適当。 なぜこういうのは小面が映えるのかしら。 神職、医療職、怪我の治療などの知識はほとんどないので雰囲気で読んでください。
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