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「……うわ、恥ずかし」
嘉一との再会に幸せな未来を想像してし
まった自分が滑稽で……凪紗は独り言ちる。
後ろ手にぶら下げた紙袋が、歩くたびに
所在なさげに揺れていた。
大丈夫。
あの時に比べれば、ぜんぜん辛くはない。
彼と再会して日も浅いし、もともと独り
で生きていくつもりだったし。
わたしは、大人の迷子なんかじゃない。
「……頑張っていっぱい貯金して、老後
はラグジュアリーな老人ホームにでも入ろ
っかな」
そんなことを呟いて顔を上げると、凪紗
は唇を噛み締め、商店街を去ったのだった。
「週刊誌の校閲が済みましたので確認を
お願いできますか?ええ、はい。ファクト
チェックも完了しております。入稿も間に
合うと思いますので。はい、ではよいお年
をお過ごしください。失礼致します」
担当者とのやり取りを終え、電話を切る
と、凪紗は、ぐっ、と両手を天井に伸ばす。
「終わった。これで年明けまで自由だぁ」
年内の仕事が無事に終わった開放感に拳
を握り締めると、凪紗は手を下ろしすっく
と立ちあがった。
そしてスウェット姿のままゴミをまとめ
始める。翻訳の仕事が片付けば部屋の掃除
に、ゴミ捨てに、玄関にしめ飾りを掛けて、
明日はお節を買いに行ってと年越しに備え
やることは山ほどある。
史也はすでに冬休みに入っているのだが、
友達と合コンに行くとかで帰ってくるのは
明日の二十九日だった。
「これで彼女でも出来たら、益々帰って
来なくなっちゃうねぇ、ぴぃ助」
「フミヤアイタイ、フィィ♪」
ゴミ箱を手に鳥かごの前に立ち、両羽を
広げて見せるぴぃ助に愚痴る。仕事が終わ
るといつも放鳥してやるのだが、うっかり
また外に逃げられてしまっては、堪らない。
「待ってて、ぴぃ助。ゴミ捨ててきたら
遊ばせてあげるからね」
凪紗の言葉にコテっ、と首を傾げたオカ
メインコに目を細めると、凪紗はキッチン
や脱衣所のゴミをまとめた。
カステラを渡せなかったあの日から一週
間が過ぎていた。次の週の予約をキャンセ
ルしたこともあり、あれから嘉一とは顔を
合わせていない。何度かLINEが鳴ったが
それを見る勇気もなく……凪紗は既読なし
スルーをしていた。
それでも彼から着信はなかった。
だからあれが彼の本心なのだろう。
これで良かったのだ。
あの時、カーテン越しに嘉一の気持ちを
聞くことが出来て本当に良かった。
家に帰ってから自分で食べたカステラは
あまりにしっとりとして美味しく、思わず
涙が零れてしまったけれど。
その涙を知るのは、鳥かごの中のぴぃ助
だけだった。
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