本文

27/29
前へ
/31ページ
次へ
 「大好き、嘉一」  言い終えた瞬間、凪紗の唇が塞がれる。  その感触はやはり、あの頃とほんの少し 違ったけれど。唇の端を擦る髭にいまの彼 を感じながら首に腕を回せば、時を埋める かのように二人の唇が深く甘く重なり合う。  ここが公道であることも忘れて互いの温 もりを求め合うと、やがて名残惜しそうに 嘉一が唇を離した。  「……あの夜、本当は君を帰したくなか った。あのままどこかに連れ去りたかった」  一筋の髪を手に取り、それに口付けなが ら上目遣いに嘉一が言う。彼が何を言わん としているのか……それを悟ってしまえば、 じんと身体の芯が震える。  「あ、えっと、もし良かったら……」  うちに寄ってく?  そう口にしようと開きかけた凪紗の唇は、 けれど次の瞬間、思わぬひと言に遮られた。  「公衆の面前でナニやってんの?」  突然聞こえた声に悲鳴を上げそうになり、 凪紗は瞬時に声がした方を向く。すると、 そこにはいるはずのない息子、史也の姿が。  「史也っ!?えっ、なんで!!??」  冬天の夜空に、凪紗の頓狂な声が響いた。  「なんでって。合コンボツったから一日 早く帰って来たんだけど。もしかしてオレ、 邪魔だった?」  右手でボストンバッグをひょいと背負い、 もう片方の手を腰にあて二人の顔を史也が 見比べている。思わぬ息子の登場に我に返 ってみれば、ぽつりぽつりと夜道をゆく通 行人が好奇の眼差しを向けていた。  年甲斐もなく恋にうつつを抜かしていた 自分に、凪紗は熱くなった頬を両手で覆う。  嘉一はと言えば、やはりバツが悪そうに 俯き、頭を掻いていた。  「この間病院に来たとき、やたらめかし 込んでるなと思ってたけど。やっぱりそう いうことだったか」  ふむふむ、と頷きながら言う史也に凪紗 はぐうの音も出ない。  「ごめんなさい。実はね」  「なんでそこで謝るのさ」  「えっ、だって」  すまなそうに項垂れた母親に史也は肩を 竦めると、くるりと嘉一を向いた。  「息子の小戸森史也です。母がいつもお 世話になってます」  慇懃に頭を下げた史也に、嘉一も慌てて 自己紹介をする。  「初めまして、本宮嘉一と申します。僕 の方こそいつもお世話になっているんです。 お母さんとは僕の経営する接骨院でご縁を いただきまして」  「接骨院の先生ですか。母さん、いい人 みつけたじゃん」  そう言って、にかっ、と笑う史也に凪紗 は戸惑いを隠せない。ほのぼのと挨拶を交 わす二人を交互に見やりながら、ボヤいた。  「なんか、こんな形で紹介することにな っちゃったのに、史也が冷静過ぎてお母さ んどんな顔していいかわかんないんだけど」  複雑な顔をして言った母親に、史也は、 ぷっ、と吹き出す。
/31ページ

最初のコメントを投稿しよう!

105人が本棚に入れています
本棚に追加