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「冷静も何も。母さんにそういう相手が
出来て欲しいなと思って家を出たんだから、
オレとしては喜ばしい限りだよ」
うんうん、と満足げに頷きながら言った
息子に、凪紗はぽかんと口を開ける。
「ちょっ、それどういうこと!?じゃあ、
わざわざ遠くの大学に行った理由って」
「や、もちろんそれだけが理由じゃない
けどさ。でも、オレがいつまでも傍にいた
ら母さん、自分の幸せ探そうと思ってくれ
ないじゃん。二人でいれば寂しくないけど、
オレだってずっと一緒にいられる訳じゃな
いんだし。だからお互いのためにも家を出
ようと思ったわけ」
「……っ、史也」
いつの間に、この子は親の心配まで出来
るようになったのだろう?まさかそんな風
に思っていたなんて知る由もなかった凪紗
の肩に、ぽん、と嘉一の手がのる。
「親想いのいい息子さんじゃないか」
「うん」
何よりの誉め言葉に凪紗は目を潤ませる。
するとその凪紗に、ずいっ、っと史也が
ビニール袋を差し出した。
「えっ、な、なに?」
突然、顔の前に突き出されたそれに凪紗
は潤んでいた目を白黒させる。
「半年遅くなったけど母の日。目が疲れ
るとか言ってたからさ、アイマスクにした」
「嘘っ、憶えててくれたの???」
ビニール袋を受け取れば、中にはクリス
マス仕様のラッピングが施されたアイマス
クが入っている。
母の日とクリスマスの両方を兼ねた素敵
な贈り物に、凪紗は涙を堪えられなかった。
「ありがとう、史也。もうお母さん胸が
いっぱいでっ」
ぽろぽろと大粒の涙を流し始めた母親に、
史也は「泣くなよぉー」と呆れた顔で嘉一
と笑みを交わす。
「そろそろ家に入ろ。めっちゃ寒いから
温かいラーメンでも食いたいな」
照れ隠しか、すん、と洟を啜り史也が先
をゆく。その背中に二人で顔を見合わせて
いると、くるりと史也が振り返った。
「ほらぁ、二人とも早く!」
「はいはい」
足元に転がっていたゴミ袋を慌てて捨て
ると、凪紗は嘉一とエントランスを掛けて
ゆく。来年の冬も、その次の冬も、こんな
風に三人で過ごせたらいいな。
そんな未来を胸に描き、凪紗は幸せな夜
を過ごしたのだった。
◇◇◇
あの道を通ったのは、偶然だった。
前の晩から降り続いた細雪に、いつもの
道が凍って見えたのだ。だから僕はひとつ
前の十字路で、自転車のハンドルを切った。
冬ざれの街はひっそりとしていて、普段
と少しだけ違う景色が視界を流れてゆく。
ぽつぽつと駅に向かって歩く人を交わし
ゆったりと自転車を走らせれば、やがて、
荒川水系の支流である川に差し掛かった。
けれど橋を渡り、定食屋の角を曲がろう
としたところで、僕は聞き覚えのある声に
自転車を止める。
「史也っ、自転車の鍵忘れてる!!」
澄んだ空気を震わせるその声に、心臓が
締め付けられるのを感じながら僕は辺りを
見回した。すると、マンションの通路から
女性が身を乗り出しているのを見つける。
その顔を認めた瞬間、僕の心臓はさらに
ぎゅっと痛みを訴えた。
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