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彼女だ。
もう二度と会うことは叶わないと思って
いたその人の姿に、僕は時を忘れ立ち尽く
してしまう。
最後に会ったのはいつだったろう?
気が遠くなるほど時が過ぎているという
のに、彼女はほとんど姿形を変えないまま
そこにいた。
「やば。間に合わないからそっから投げ
てよ!!」
制服姿の男の子は、息子なのだろう。
通路で声を張った彼女を見上げている。
くっきりとした目元と面立ちが、彼女に
良く似ていた。
「もうっ、ちゃんと受け取ってよ!?」
「おけ!」
「せーのっ!」
彼女の手から放られた鍵を、駐輪場の前
に立つ男の子が両手で受け止める。
「ナイスキャッチ!!」
彼女の声に白い歯を見せると彼は自転車
に跨り、颯爽と走り始めた。その背を見送
る彼女を、僕はその場所から見つめていた。
遠い昔に閉じ込めたはずの想いが溢れて
仕方なかったが、いまの彼女の幸せを壊し
たくはなかった。
――彼女はもう、他の誰かのものなのだ。
その現実を胸に、僕はただ、彼女の姿を
この目に焼き付けた。
そして遠くから見守るだけと自分に言い
訳をしながら、僕は朝に晩にその道を通る
ようになった。
それから一年が過ぎたある夜。
或いは彼女に会えるかも知れないと思い
ながら橋に差し掛かった僕の耳に、
「フミヤカワイイ、フィ♪」
と、鳥の囀りが聞こえた。
「……まさか」
自転車を止め辺りを見回してみれば民家
の花壇ブロックに、ちょこんと黄色い鳥が
佇んでいる。
橙色の丸い頬が愛らしい、オカメインコ。
いつかの朝、彼女の口から聞いたその名。
「フミヤアイタイ、フミヤ、フィィ♪」
間違いない。
彼女の鳥だ。
助けを求めるように鳴くその鳥に、僕は
自転車を降り、そうっと近づいた。
「こっちへおいで。一緒にお家に帰ろう」
フィ、フィ、と囀りを真似るように口笛
を吹いてやると、やがて、首を捻って考え
込んでいたその鳥がパタパタと飛んでくる。
そして僕の肩に止まると、大人しく羽を
すぼめた。
「よし、いい子だ」
横目で笑みを向けると、僕は自転車を引
き、ゆっくりと彼女のマンションへ向かう。
この鳥と共に僕を見つけた彼女はどんな
顔をするだろう?その瞬間を想像する胸は、
期待よりも不安の方が大きかったけれど。
きっとこの子が『幸せの黄色い鳥』にな
ってくれると信じ、僕はじっと彼女を待ち
続けたのだった。
=完=
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