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 「やっぱりそうかな。子どもが自立して 親元を離れると、その寂しさで心にぽっか り穴が開いたみたいになるやつよね?」  「そう。シングルマザーは特に悪化しや すいのよ。それこそ、片時も離れず愛情を 注いできた我が子がある日を境に自分の元 を巣立ってしまう。生き甲斐だった子ども の存在が目の前からいなくなると虚無感に 襲われたり、ネガティブ思考になったりし ちゃうの。あ、凪紗の場合は『ミッドライ フクライシス』も絡んでるかも」  「ミッド、ら???」  聞き慣れない単語に凪紗は目を瞬く。  「四十代から五十代が迎える第二の思春 期を、ミッドライフクライシスって呼ぶの。 わたしたちの世代ってちょうど人生の折り 返し地点でしょう?その世代が、これから 先の人生に悩んだり、葛藤したり、不安に なったりしてしまう。噛み砕いて言うとね、 大人の迷子ってこと」  「大人の迷子か。確かに、これから先の 人生を考えると不安かも。史也には史也の 人生があるし、母親のわたしが寂しいから といって、息子に寄りかかることもできな いし」  改めて口にすると、無性に悲しくなる。  凪紗がシングルマザーとなったのは息子 の史也が三歳の時で、以来、母子で身を寄 せ合って生きてきたのだ。  英文週刊メディアの翻訳をしていたこと もあって、凪紗は完全在宅で仕事と育児を 両立していた。頼れる親は既になかったが、 その分親子の時間は濃密で辛いと思うこと も寂しいと思うこともなかった。  唯一、子どもに対する愛情が希薄だった 元旦那に会わせてやれないことだけが不憫 で、悲しかったけれど。父親と母親、両方 の役割を自分がすればいいと決心したのは いつだったか。  凪紗の愛情を一身に受けて育った史也は 目立った反抗期もなく、高校に上がっても 二人で買い物に出掛けたり、一緒にゲーム をしたりする仲良し親子だった。  だから漠然と思っていたのだ。  きっと、息子が自分から離れていくのは ずっと先のことなのだろうと。  けれど、その日は突然やってきた。  自宅から通える大学を受けると言ってい た史也が、夏休み直前に遠方の国立大学を 受けると言い出したのだ。どういう心境の 変化があって史也がそう決めたのか。凪紗 はついに訊くことはできなかったが、受験 を終え、大学近くのアパートへ引っ越すと、 あっという間に息子の存在は遠くなった。
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