水上 月子

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水上 月子

アキは月子の横で穏やかな寝息を立てて眠りこんでいる。 月子はアキの右手首に付けられた水晶の珠数にチラリと目をやり、次に手首から先のない、つるりとした左手首に触れた。 かつて、この先に付いていた左手はバスケットの試合で数えきれない程のスリーポイントシュートを生み出し、アキは将来を 嘱望(しょくぼう)されていた。 今日は普段より少し高いレストランで、2人はささやかなアキの就職祝いを行っていた。 「アキが警察官になるなんて思っても見なかった。」 政府のダイバシティー構想の一環もありアキは左手欠損のハンデを乗り越えて警察官に採用された。 「ノアが国に推薦してくれたらしいよ… 当の本人は何も言わなかったけど。」 アキはそう言うとニコニコと笑いながら、ナイフとフォークで綺麗に取り分けたイノシシの炭火焼きを口一杯にほう張り 「うまっ」と小さく頷いた。 ノアと関わる様になってアキは左手を無くす以前のように明るくなっていた。 出会った頃の、まるで太陽の様なアキが私は苦手だった… 中学生の時の私に、何百年も生きた今井先生はと言ってくれた。 だからに来ては行けないと… でも私はたぶん、今井先生と一緒の方が 気が楽なんだと思う。 そう心の何処かで思う私がいた… 私の蒼い目はと呼ばれているらしい、死の直前に先生は自分の記憶を深淵を使って私の中に残したのだ… アキの右手首に付けさせている水晶の珠数はと呼ばれる呪具で、全ての呪術を無効にする。 コレも先生が私に託してくれた物だった。 私はアキの前ではでいたかった。 私はアキの心が見えないように、破魔の眼で鍵をかけた… 私は、周りにいる他の人間達と同じ様にはアキの心を見続ける事が出来なかった。 アキの心を覗き続けたなら、この幸せな瞬間が、永遠に続くとはとても思えなかったからだ。 だって私は… 少し離れた場所にある、お飾りの様な小さなサイドテーブルの上にはアキの左手の義手が近代芸術のオブジェの様に置かれている。 アキの脳に埋め込まれた極小のチップは 脳の電気信号を左手の義手に特殊な電波で伝える。 そのためアキは半径2メートル位の範囲内なら手に義手を付けずとも自由にソレを操る事が出来た。 就寝時に近くに置くと、夢を見た時に誤作動を起こす為、少し離れた場所に置くのがいつものお約束となっている。 実際、アキの意志により床を蜘蛛のように這いずりまわる義手はまるでホラーの様で、面白がるアキを尻目に月子は気持ちが悪いから止めてよと、よく怒ったものだった。 ワインを飲み過ぎたせいか、手首に触れてもアキは目を覚さない。 その寝顔を見ながら、警察官ねぇ… とひとり呟き、月子は義理の兄の水上司の事を思った。 融通のきかない実直な性格ながら、カミソリ水上と呼ばれ周囲からの信望が厚かった警視庁公安部の元エリート… 水上はずっと死んだ父親と姉の幻影に囚われ続け、それが原因となって政治家のスキャンダルをマスコミにリークした結果、第一線から外され、冷や飯を食べさせられていた。 水上の死んだ姉は、芙美と同じ様にが見えたらしい… それが芙美との偽装結婚の理由の一つだった。 蛇口を使えば、どんな相手でも籠絡できるのに芙美は蛇口が無い水上に恋をした… 全く、皮肉な話だと月子は思った。 いや… 蛇口が無かったからこそ、芙美は水上を選んだのかも知れない。 同じ警察でも、島流しにされ商社の社長となっている水上と、交番勤務のアキが一緒に働く事はないだろう。 この時間がずっと続きますように… そう祈りながら眠り続けるアキに月子はそっとキスをした。 何故だかわからないが、切なくて涙がこぼれた。
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