南 和彦と水上 司

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南 和彦と水上 司

都内 某ホテルの一室 「忙しい所、わざわざ来てもらって すまないね…」 南 和彦 内閣危機管理監は、水上 司に向かって穏和な微笑みを浮かべ、目の前にあるソファーに座るよう勧めた。 オールバックの銀髪に黒ブチの眼鏡をかけ、痩せ型で顎の尖った南は役人というより神経質な大学の教授のように見える。 「いえ 時間だけはありますから。」 そう応えた水上は苦笑いを浮かべ、話の続きを待つ 「まだ若かった頃、お父様には大変世話になっていてね… あの様な事故で、君のお父様とお姉さんが亡くならなられた事は大変残念に思っていた。 私は、以前から君の動向には注目していたんだ… 恩師の御子息という事もあるが、良くも悪くも君は有名人だからね。」 そう言って南は一呼吸置いた。 水上は急に父と姉の話題を持ち出されて動揺した。 父と姉の関係は今をもってしても判然としていない、アレは本当に事故だったのだろうか? もしかしたら、父も自分と同じ様に姉と寝ていたのではないか… そんな答えの出ない猜疑心が2人の死後、何十年も水上の頭には燻り続けている。 水上は死者に嫉妬していた… 「一つ君に聞いて良いかな?」 その言葉で水上は我に返った。 「君は以前、大物政治家の児童虐待問題をマスコミにリークして今の閑職に追いやられた。 しかし君とその政治家の利害関係は、私が調べた限り見つける事が出来なかった つまり君にはこの件では何も得る物が無かったはずだ、自身の破滅を知りながら得のないリークを何故行ったのか? ちょっとその事に興味があってね…」 南はそう言って再び笑顔を浮かべた。 ソレは子供が、何か面白い物を見つけた時に浮かべる笑みなのか、大人が諦めた時に浮かべる皮肉な笑いなのかは、水上でさえも判別がつかなかった。 感情の波が読みづらい、喰えない男だと水上は思った。 「法と正義の為に…  後悔はしていません。」 水上は即答し、南はそれを聞き一つ頷いた。 「リーク当時、既に被害者の少女は亡くなっていた。 当の議員は官僚あがりで、隣国との太いパイプを持つ今時珍しい優秀な政治家だった。 彼がいなくなった事で失われた国の損失は計り知れない… 君自身も窓際に追いやられた。 誰の為にもならない不毛な行為の様に私には思えるのだが。」 「そうかも知れません。でも…  たとえどれほど優秀で有能でも、法律という一線を越えた者は処罰されなければならない… それが法治国家ですから。」 「だからリークしたと…」 「皆が奴を庇い、他に方法が有りませんでした。 そして、そんな昔話をする為にわざわざ此処に呼び出した訳ではないですよね?」 南は自分の組んだ指先を見つめると暫く沈黙した。 覚悟を決めたように口を開いた時、彼の顔からは笑顔は消えていた。 「君には、ある重要な仕事をして欲しくて今日は来てもらいました。 やり方も人選も君に一任しますが、仕事の内容を聞いた後で、出来ませんと言うのは無しです。 私は君が適任だと思い上に推薦しました。 事は一刻を争い、こんな説明しか出来ないのは不本意なのですが… どうだろう、引き受けて貰えないだろうか?」 そう言って南は水上に深々と頭を下げた。 南の呼び出しを受けた時から、こんな事だろうと予想はしていた。 島流しにされた自分を、わざわざ呼び出して仕事を与えるなど、南の酔狂ぶりも 中々だと思う一方で、他に受ける人間がいなかったのだろうという気もしていた。 南は父に近しい人物だったらしい。 一つ貸しを作っておくのも悪くないかも知れないと思った。 それに南が、これ程迄にもったいつけるが何なのかが気になり始めていた。 「お話を伺わせて下さい。」 水上がそう応えると、南は鞄から出した報告書を何も言わずに差し出した。 報告書を読み終える… この案件が絡みだったからこそ、自分に連絡してきたのだろうと水上は感じた。 「ノアに関係があったから、私に声をかけてくれたのでしょうか?」 南は、やや穏やかな表情に戻り首を横に振った。 「全くその事を気にしなかったと言ったら嘘になる… でも私が君を推薦した理由はそんな事じゃない。  と呼ばれていたその実力を見せて欲しい。」 南はそう応えると控えめにニヤリと笑った。 それは嘘ではなかった。 ソレを守る為に水上は身を粉にして働いてきたし、自分が行ってきた事は間違いではなかったと今でも信じていた。 しかし本当にそれだけだったのだろうか? あの政治家を社会的に葬ったのは、自分の底にあるを抑えきれなかったからなのではなかったのか? 被害者の少女 は姉の優里に少し似ている気がしていた… 死んだ姉の水上優里は、霊が見える人間がいるように、自分にはが見えるのだと言っていた。 当時の水上がを開くとどうなるか尋ねると、優里は笑って答えなかった。 今ならわかる… 優里は水上の蛇口を開いたのだ。 優里を失った水上はその後、砂を噛む様な人生を歩んでいた。
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