野杖 愛梨

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野杖 愛梨

水上司に、姉の優里はいつもの寂しげな微笑を浮かべる。 優里に手を伸ばして彼女の肩に触れた瞬間、夢から覚めた… 駅の片隅に置かれたストリートピアノ。 設置されて間もない頃は、物珍しさもあり多くの人達が弾いていたが、今は見向きもされず連絡通路のオブジェとなっていた。 彼女はメンテナンスもおざなりになっている、そのピアノを相手に必死な顔つきでラ・カンパネルラを弾いている。 駅の構内は皆が帰路を急ぎ、通り過ぎる人もまばらで誰も彼女のピアノなど気にも留めていない。 水上も、彼女の演奏を聴いていた訳ではなく、たまたま急ぎのメールを返す為に近くのベンチに腰掛けていただけだった。 ラ・カンパネルラは突然、途切れた。 携帯の画面から、ふと目を上げると彼女は巡回の警察官に職務質問されていた。 無理もない、時間は夜の10時をまわっているし彼女は制服姿だった。 事の成り行きを、何とは無しに水上は見ていた。 すると少女と目が合う… 彼女は水上に微笑むと、コチラに向かって手招きをした。 水上は彼女に微笑まれた時、死んだ姉の優里を思い出していた。 何故だろう? 少女は優里と顔立ちも雰囲気も似ていなかった。 すぐに あぁ そうかと納得する。 彼女の笑い方は優里のソレとよく似ていた。 水上には今でも分からなかった… 優里がその微笑みの裏で何を考えていたのか。 優里は私に何も言ってくれなかった。 だから勝手に、彼女はこの家での生活に満足をしていると思い込んでいた。 自分は優里さえいれば幸せだった。 だから彼女も同じ気持ちだと… 優里と同種の笑顔を作る彼女に、憧憬のような切なさを抱いてしまう。 だから気になった… この子も優里と同じ物を抱えているのではないかと。 少女は「パパー早く来てー」 とはしゃぐ様に声を上げた。 声だけは元気だったが、警察官から見えない位置にある彼女の顔は、明らかに不安そうだった。 彼女が何を企んでいるかは、一瞬で分かった。 水上に保護者になりすましてもらって、この場を乗り切るつもりなのだと。 場当たり的で、全く幼稚な手だ… 直ぐにバレると水上は思った。 そう思いつつ 「ハァ… 」と大袈裟に1つ溜息を突いて立ち上がると、少女と警察官に向かって歩きだす。 何をやっているんだ 俺は… 警察官は近付いて来た水上に向かって 「あなたが親御さん?」 と、いぶかしげに声をかけた。 「はい」と頷いた水上に不信感を感じたらしい、身分証の提示を求める。 彼女の父親というには、水上はまだ少し若かった。 手慣れた様子でこれから尋問が始まると思われたが、水上はスーツの内ポケットから警察手帳を出して「警視庁公安部の水上です。」と一言告げた。 警察官は手帳をじっくりと確認する。 彼は相手が同業者だった事、更に年齢には不釣り合いな水上の階級に動揺を隠せなかった。 一瞬躊躇(ちゅうちょ)したが、次の瞬間には水上達に作り笑いを向け 「そうでしたか… 失礼しました。」 と一礼すると、それ以上は何も言わずその場を後にした。 警察は縦社会だ。 長いものに巻かれない者は出世できない 皮肉にも、まだ若い彼の将来は有望だと水上は思った。 私はもう優里を守れなかった、あの時の無力な少年ではなかった。 警察官が去り2人だけになる… 少女は「ありがとう…」と言うと上目遣いに水上に笑いかけた… しかしその瞳には不安の色が広がっている。 彼女が無謀なのか、もしかしたら計算高いのかわからなかった。 しかし結果的には、彼女の企ては成功したと言える。 「さぁ また捕まらないうちに帰るぞ」 水上は少女の視線を断ち切る様にきびすを返すと歩き出した。 「うん…」と頷き後ろから少女が続く 「警察の人だったんだね…」 バツが悪そうに呟いた。 「お願い…両親には黙っていて  どうしてもピアノが弾きたかったの…  パパはピアノ好きじゃないから…  ピアノを弾く暇があるなら、ちゃんと勉強しなさいって…」 彼女は懇願する様にそう言った。 「もうこんな事はやめた方がいい… 大人を信用しすぎるな、君みたいな世間知らずは直ぐにつけ込まれて酷い目に遭うのがオチだ。」 呆れた様に水上は少女にそう忠告する。 ハイと頷いてはいたが、彼女はキョトンとした表情で聞いていた。 自分に言われている事が理解出来ていないのだろう。 仕方がない…まだ子供だ。 「君の名前は?」 「親の都合で名前がコロコロ変わっちゃうから、友達はからはって呼ばれてる」 彼女は事も無げにそう言うと、再び寂し気な微笑みを浮かべる。 水上はその顔を見るとまた胸が締め付けられるような気分に襲われた。
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