ボクはボク、イヌはイヌ。

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 ホームセンターの一画にあるペットコーナーに、青年は今日も訪れた。 「あれ?。今日もいたのか・・。」 硝子越しに声をかけると、その犬は嬉しそうに歩み寄ってくると、尻尾を震わせて青年を見つめた。もう子犬と呼べる大きさでは無かったその犬は、此処に随分といるのだろう。 「よかったら、だっこしてみます?。」 女性店員がそういいながら、青年の側に現れた。いわれるがままに、青年は奥に誘われると、店員はその犬を呼び寄せた。そして、そっと抱きかかえようとした時、 「あ、そのままでいいです。」 青年はそういうと、座っている状態の犬にそっと手の甲を近付けて、臭いを嗅がせた。最初、犬は手の甲をクンクンと嗅いでいたが、それが硝子の向こうからいつも見ていた人物だと解ったのか、急に和らいだ表情になった。それを見て、青年は、 「よしよし・・。」 そういいながら、優しく犬の頭や胸元を撫でた。すると、 「この子、ずーっと売れ残っちゃって。」 店員は少し寂しそうな顔になった。このまま一緒にいられるのに、何故そんな寂しい顔をするのか、青年は少し不思議に思った。すると、 「買い手がつかない犬は、別の業者に引き取られて、そこから・・、」 店員は、この犬のその後についての話を語った。それは悲しい結末だった。 「うーん、ボクの部屋は、ペット禁止だからなあ・・。」 夜勤の製造ラインで働く身の青年にとっては、犬と暮らせるだけの家を手に入れることなど、到底無理だった。青年は犬を撫でながら顔を近付けた。犬は無心な眼で青年を見ながら、嬉しそうに舌を出した。 「何ていう眼で見つめるんだよ・・。」 青年は思わず言葉が漏れた。 「この子、何時まで此処に?。」 「うーん、今週いっぱいはいると思うんですが・・。」 店員は曖昧な返事をした。業者の引き取りが早まることは無さそうだが、逆に売れる可能性もあったからだった。それは極めて低い可能性だったが。青年は店員にお礼をいうと、 「じゃあな。」 と、犬に別れの挨拶をして、その場を後にした。そして、一端自分の部屋に戻ると、パンとジュースだけの簡単な食事を済ませて、仕事に向かった。工場での仕事は単調だったが、明け方まで立ちっぱなしで続けると、終わる頃にはドッと疲れが出た。青年は同僚達ともほとんど言葉を交わすことも無く、仕事を終えると朝日が昇る前に急いで帰宅するのが日課だった。近くのコンビニで弁当と缶コーヒーを買うと、青年は部屋に帰って食事を済ませる。それを朝日が昇りきるまでに終えることで、彼にはそれがギリギリの夕食というルールだった。たまに実家と連絡するぐらいで、それ以外は昼夜逆転の生活で日々を過ごしていた。そして、寝床に就く前に、ラップトップを眺めながら、僅かに自分が社会と接点を持っていることを感じるのだった。 「犬・・かあ。」 いつもならそろそろ寝落ちする時間だったが、今日は妙にあの犬のことが気になった。上手く飼い主に出会えないまま、ずっとホームセンターの一画で過ごしているあの犬と、何をやっても上手くいかずに日々をただただ生きているだけの自分を、青年は無意識のうちに重ね合わせていた。そして、急に何かを思い立ったのか、青年はネットで検索を始めた。 「カタカタカタ・・。」 キーを叩いては、また別の検索をしていったが、 「よし。これでいってみるか。」 そういうと、青年は眠りに就いた。そして、翌日の遅い午後に目覚めると、青年は昨日調べた住所をメモった。そして、電車を乗り継いで、書き記した住所の辺りまでやって来た。そこは人里離れた山奥で、農家を営んでいるであろう家が数軒あるだけだった。近くには村役場があり、青年はそこをたずねると、 「すみません。ネットで移住希望者募集の記事を見たものなんですが・・。」 と、役場の人に申し出た。 「あー、はい。それはそれは。どうぞ、こちらへ。」 中年の女性がそういいながら、青年を出迎えた。小さな応接スペースに通されると、女性は手作りのパンフレットを持って来て、 「えー、これが概要です。」 そういいながら、移住した際に、この地で就ける仕事や、この辺りの文化や風習について、簡単に説明した。青年はその辺りの話は上の空で聞いていたが、 「借りれる家は古くて、ちょっと手直しが必要ですが、一人で暮らすには十分な広さですよ。」 と、古民家の話になった途端、青年の目は輝いた。そして、すぐ近くだからと、女性は青年を古民家まで案内した。役場から十分ほど歩いた所に、その家屋はあった。古びて枯れ葉が積もってはいたが、何時だが来てもいいように、役場の人が簡単に掃除をしてくれていた。女性は戸の鍵を開けると、 「中も見ます?。」 といって、青年を誘った。 「へー、こんな感じなんだあ・・。」 青年は黒くテカった梁や、窓の外に見える山の端を見ながら、まるで昔話に出て来るような家だなと思った。そして、 「あの、此処って、犬を飼っても大丈夫ですか?。」 青年は唐突にたずねた。 女性は初め、きょとんとした顔をしていた。 「犬・・ですか?。ええ、勿論、大丈夫ですよ。一頭ですかね?。」 「はい。小さめのを一頭。その予定です。」 青年の言葉を聞いて、女性は安心したようだった。青年もまた、安堵の表情で、 「では、またすぐに来ますので。」 そういい残すと、電車で元来た道を戻っていった。そして、仕事に向かう前に、ホームセンターのペットコーナーに顔を出した。 「あ、昨日の。」 「こんにちわ。こんばんわ・・かな。」 そういうと、青年は店員に挨拶をしながら、硝子越しに犬を見た。すると、昨日にも増して、犬は嬉しそうに駆け寄ってきて、ガラスに向かって立ち上がった。 「あの、多分ですけど、この犬、飼えるかも・・です。」 「え!、ホントに?。」 青年の言葉に、店員は驚いていたが、事情を簡単にせつめいすると、 「へー。それはいいですねえ。」 と、店員はまるで自分のことのように喜んだ。 「それまでに、売れちゃわなければいいけどね。」 「そういうことでしたら、ご売約にしておきましょうか?。」 青年の心配に、店員は気を利かせて、そういった。是非共にといいたかったが、青年は何事も上手くいかない人生を過ごしてきただけに、即答はしかねた。 「出来るだけ時間の掛からないようにはしてみますが、全ての段取りを終えて、それでもこの子がちゃんと居たら、縁があったってことで、引き取りに来ます。」 そういうと、青年はにこやかに犬と店員に手を振って、その場を去った。そして、職場に着くなり、 「え?、辞めちゃうの?。」 と、工場長が驚く声が事務所に響いた。青年は、大抵のことには優柔不断だったが、今日に限って、即断即答で辞表を出した。あまりに急に抜けるのは申し訳無いので、代わりの人が来るまでということで、残り数日、此処で働くことにした。勤務態度も全く問題無いし、不満めいたことを周囲にも漏らしたことも無かったので、彼が辞めることは、ちょっとした騒動になった。 「辞めるって、ホント?。」 「ええ。まあ。」 殆ど口を利かなかった同僚達も、流石に声をかけてきたが、特に話すことも無かったので、青年は淡々と受け答えだけした。中には、そんな簡単に仕事を辞めても、次の仕事に有り付くのは大変だぞという者もあったが、人生が大変なのは、昨日今日に始まった話では無い。その大変さを、どう変えるかの方が、よっぽど大事なんじゃないかと、青年は心の中で呟いた。そして、その数日後、青年はささやかな退職金を受け取ると、一端部屋に戻って仮眠を取った。そして、お昼前辺りに目覚ましのアラームで起きると、ホームセンターまで急いで駆けていった。 「はあはあ・・、すいません。あの子、います?。」 青年の声を聞いて、店員が、 「はい。大丈夫ですよ。」 そう答えると、青年は膝をガクッと着いた。そして、硝子の向こうに、駆け寄ってくる犬を見ながら、 「よしっ!。今日からボクがご主人様だぞ。」 そういいながら、にこやかに手を振った。犬もその様子を察したのか、いつもより余計に尻尾を振って、珍しくワンワンと吠えていた。青年は店員に購入希望の旨を伝えると、店員は何枚もの書類を持って来て、 「これとこれ、そして、これに必要事項を記入頂いて・・、」 と、早速説明を始めた。すると、途端に青年の顔は曇った。犬を飼うことをきっかけに、新たに自身の人生を踏み出してみよう。そういう自由な気持ちに溢れていた矢先の、煩雑な法的手続き。解ってはいたことではあったが、こんな風に杓子定規に事が運ばれては、何か自分の人生に水を差されたような気がしたのだった。 「この国は、ひと一人、犬一匹暮らすのにも、何かの承諾が要るんだなあ・・。」 青年は、そう心の中で呟いた。それでも、この先に待っているであろう、今までの轍から解放された、そんな生活に期待を膨らませながら、書類の一つ一つに記入を済ませると、退職金で犬の代金を支払った。そして、引っ越しを終えて、準備を整えてから犬を迎えに来る旨を伝えると、青年はその足で電車を乗り継いで、先日訪問した山奥に向かった。興奮して、いつもより早起きしたせいで、青年は車窓を眺めながら、ついウトウトとした。そして、駅に着いた頃には日が傾き駆けていた。青年は急いで役場に向かった。お役所仕事なので、定刻には締まるであろうことを十分に予期していた。 「すいませーん。先日伺った者ですが。」 「はーい。ああ、この前の。」 女性は青年を覚えていた。 「あの、早速ですが、移住したいと思いまして。」 青年はそういうと、すぐにでも此処に越して来れると考えていた。しかし、 「では、こちらの書類にご記入頂いて、身分証明書の提示もお願いします。その後、ちょっとした審査もありますので・・、」 と、やはり犬を購入した時と同様に、煩雑な法的手続きが必要だという事が解った。オマケに審査と来た。青年は、募集では無いのかと一瞬思ったが、しかし、昨今よく聞く田舎暮らしの失敗談の数々を思い出し、例え煩雑でも、せめて法的な部分だけでも契約を交わした方が、何かあった時に役立つのかもと、仕方無く書類に記入しながら、審査を受けることにした。  青年は特に身構えている訳でも無かったが、自身がこの地で暮らせるかどうかがかかっている審査だけに、多少意気込む気持ちもあったが、 「でも、自然体の自分を見てもらうしか無いよなあ・・。」 そう思うに至ると、あとは流れに身任せた。仕事も辞めてしまったし、いずれにしても今住んでいる所を引き払って、何処かにいかねばならないのは確かだ。そんな風に、青年は犬との暮らしを始めるために、自らで退路を断った。翌日、再び彼の地を訪れると、青年は役場に向かった。 「こんにちは。それでは審査を開始しますね。お気軽に、質問されたことにお答え頂いたら、それで結構ですから。」 特に面談形式でも無く、横にある応接のスペースで、係の男性と窓口の女性が書類を開きながら、この地でどのようなことをしてみたいか、そして、此処では主にどのような作業が年間に必要になるかといった、簡単な説明がなされた。青年は牧歌的で長閑な所ではあるなぐらいには思っていたが、それ以上は、この地に根を下ろすとか、地域に貢献するといった考えは全く持っていなかった。それでも、結果はすんなりと出た。 「結論から申し上げます。御目出度う御座います。」 係の男性がそういって、にこやかに笑った。 「は、はあ・・。有り難う御座います。」 青年はお礼はいったものの、一連の手続きや、その後の祝いの言葉、そして、何に対してか解らない自らの礼の言葉に、何となく違和感を覚えた。それでも、これでやっと、あの犬との暮らしが始められることに、青年は胸が躍った。そして、翌日には引っ越しを済ませてライフラインの登録を済ませた。そして、その翌日、青年はいよいよ、件のペットコーナーに犬を迎えにいった。 「いらっしゃいませ。」 「すみません。やっと、準備が整いましたので、迎えに来ました。」 青年は明るい表情で、店員にそう伝えた。その傍らで、硝子越しに犬がはしゃいで立ち上がろうとしていた。店員は犬にリードを付けて、青年のところまで連れてきた。 「はい。この人が、今日からアナタのご主人様よ。」 店員はそういうと、青年にリードの持つ部分を手渡した。犬は店員を見上げながら、一瞬、不思議そうな顔をしたが、青年がしゃがみながら、 「こんにちわ。そういう訳で、ボクがキミと暮らすことになったよ。よろしくな。」 といいながら優しく犬の頬や首元を撫でると、犬は青年を見上げて、嬉しそうに尻尾を激しく振った。 「よーし、我々の住む家に出発だー!。」 そういうと、青年と犬は店員に見送られながら、ホームセンターを後にした。そして、駅に着くと、青年は用意してあった手提げのケージに犬を入れると、 「一緒に窓の景色でも眺めようか。」 そういいながら、犬の頭が出せる程度の隙間を開けて、改札を潜ろうとした。 「あの、すいません。混雑中は犬は出さないようにお願いします。」 駅員が早速注意をして来た。勿論、青年は周囲に気を遣いつつ、ひっそりと端っこに座ってようと思ってたのに、殊更にそんな風にいわれるのは、ちょっと心外だった。幸い、真っ昼間の平日で、人も疎らだった。青年は一番空いてる車両の一番端っこに座りながら、中の犬が外を見れるように向きを整えて毛ケージを置いた。緩やかに流れる景色を眺めながら、青年と犬は次第に都会から田舎に移り変わる景色を楽しんでいた。そして、電車に揺られながら、ようやく到着すると、 「さ、喉が渇いたかな?。」 そういいながら、青年はケージを少し開けて、犬の頭を出そうとした。すると、 「お客さん、すみませんが、此処で犬を出されては困ります。」 またもや駅員が注意しに来た。そうなるかもと解ってはいたが、やはりそのようにいわれると、残念な気持ちが蘇ってきた。 「仕方が無い。家までいって、そこでのんびりしような。」 青年は優しく犬を見つめると、ケージを出来るだけ揺らさないように、越してきた古民家まで歩いていった。そして、夕暮れを背景にした古民家に着くと、 「お待たせー。さ、出ていいぞー。」 青年はやっと、犬をケージの外に出すことが出来た。長旅だったせいか、初め、犬は戸惑いながらケージから出るのを尻込みしていたが、青年が優しく外に誘ったので、尻尾を振りながら、青年の傍らに来て、ちょこんと座った。そして、 「ハッハッ。」 と息を弾ませて舌を見せながら、青年を見上げた。この瞬間を待っていたんだといわんばかりに、青年の胸は、一気に高鳴った。そして、 「よーし、よしよし。」 そういいながら、青年は何度も何度も犬の頭を両手で包むと、優しく揉みほぐすように撫でた。すると、犬の尻尾は座っているのに、まるで自動掃除機のブラシのように左右にピクピクと動いた。  家に入ると、青年はまず犬のご飯を用意した。それが終わると、今度は自分の食事の用意を簡単に済ませて、少し遅れて犬の傍らで一緒に食事を取った。 「ワンワン!。」 犬は青年が食べているおかずを欲しがったので、青年は味の濃くないおかずを選んで、それを手の平に載せると、少しだけ犬に食べさせた。 「美味しいか?。そうかそうか。」 誰も、何の邪魔も入らない、自分と犬だけの暮らし。夢にまで見たくつろぎのひとときを、青年と犬は十分に楽しんだ。外からは虫の音が美しい響きで伝わってきた。その夜、青年はピッタリと寄り添いながら、眠りに就いた。  翌日は朝から、役場の人が一緒にご近所周りをしてくれた。青年は犬を連れながら、この辺りに暮らしている人達に挨拶をして回った。大抵はお年寄りで、みんな気のよさそうな人達だった。それが終わると、今度は役場の人が、この地で出来そうな仕事をいくつか紹介してくれた。収入に繋がるものもあったが、その殆どは、農家の手伝いか、役場の事務作業だった。青年は働き者ではあったので、特に選り好みはせず、いわれるがままにそれらの仕事をすることになった。そして、仕事を終えて、ようやく犬と遊べると思って帰った途端、 「おーい。おるかねー?。」 と、ご近所の老人が代わる代わる、採れた野菜を持っては青年の元にたずねてきた。最初は、そういうお付き合いものんびりしてていいものだ程度に思っていたが、次第に居着く時間も長くなり、その上、不意な訪問は昼夜を問わず続いた。ドライな都会の人間関係とは真逆に、濃厚で閉鎖的な付き合いが、この辺りではどうやら支配的だった。 「何か、想像してたのとは違うな・・。」 最後の訪問者が帰った後、青年は犬の頭を撫でながら、そう呟いた。 「クーン。」 犬も、青年に同情するかのように、鼻を鳴らした。それでも、夜遅くには自分達の時間を確保出来たので、青年は心置きなく犬と戯れた。しかし、年に一度の祭りが近づいて来たある日、都会に出ていってた若者達が戻って来ては、寄り合いと称して青年を引っ張り出そうとした。 「あの、すいません。ボク、用事があるので・・。」 青年は何気に断った。すると今度は、一升瓶を片手に持った若者達が青年の家に押しかけて、勝手に上がり込んできた。 「付き合い悪いね、アンタ。まあええ。これでも飲めば、途端に打ち解けるでよ!。」 そういうと、若者達は無理矢理青年に酒を飲ませようとした。困り果てた青年を見かねたのか、突然、 「ワンワンワンワン!。」 犬が姿勢を低くして、若者達に歯を剥いて吠えた。 「何じゃ?、可愛げの無い犬やのお。」 若者の一人がそういいながら、片手で犬を遇おうとした。すると、 「ガブッ!。」 犬は若者の手に噛み付いた。小さな犬だったので、若者も冗談半分に痛そうなふりをして、その場を和ませようとした。しかし、青年は犬を宥めながら、そっと抱き寄せて項垂れた。 「すいません。ボク、こいつとそっと暮らしたいので。すいません・・。」 そういいながら、大粒の涙をポロポロと零した。その様子を見ると、犬は青年の頬を伝う涙をペロペロと舐め始めた。 「何じゃ。えろう興醒めじゃのう。いこいこ。」 そういうと、青年達は黙りこくって、青年の家を後にした。散らかった部屋を片付けながら、青年は溜息を吐いた。そして犬は、青年の側を離れずに、ずっと見守っていた。その一件があって以降、若者達が青年の家に来ることは無くなったが、お年寄り達は相変わらずやって来ては、長話をした。青年は仕事をサボるつもりも無かったし、この地の人達と関わる事も拒否はしてなかった。しかし、何もかもが一方的だった。この地での人との関わり方に沿うことが出来るかどうか。それがこの地での暮らしというものだった。そして、祭りの日、朝から賑やかなお囃子が鳴り響いた。近くの神社にはちょっとした夜店が建ち並び、正にお祭りムードだった。境内ではお神楽が奉納され、みんなは年に一度の大事な行事だといわんばかりに、激しく興じた。そして、その様子を、少し離れた杉木立から、青年と犬は見つめていた。何人かは、そのことに気付いて青年に声をかけようとしたが、あまりにも青白い青年の顔を見て、結局は誰も声をかけなかった。 「ボク達は、何の気兼ねも無く、自由に暮らしたいだけなのに・・。」 青年の無言の表情には、まるでそんな言葉が浮かび上がっているかのような隔絶感が窺えた。 「いこっか。」 「ワン!。」 祭りが終わる頃には、青年と犬の姿は無くなっていた。そして、僅かに荷物の遺された古民家に、主が戻ることは無かった。その後、山のずっと奥の、そのまたずっと奥の方で、嬉しそうに鳴く犬の声を聞いたという噂が立ったが、何時しかそんな話も忘れ去られていった。
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