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五年生になったある日。ぼくは山下くんや佐々木くんと別れて家へと帰っていた。
アパートが近づくにつれ、なにかの鳴き声が聞こえ、だんだんと大きくなっているのに気づいた。
ぼくの家は木造二階建てのアパートだ。角を曲がってアパートが見えた。一階にあるぼくの家の前でくーんくーんと鳴いている犬がいるのに気づいた。
ぼくが近づいても犬はちっとも怯えることなく、ぼくに何度もジャンプして近づいてきた。
「あはっ、なんだお前。ここ、ぼくの家だぞ? かわいいなあ」
ぼくの膝に何度もとびついてくる犬を撫でた。犬はキャンキャンと吠えながら笑っているように見えた。しばらく家の前でじゃれあっていると、大きな音を立てて上の階の扉が開いた。
「うるせえ! 静かにしろっ!」
上の階のいつもお酒を飲んでいるおじさんが手すりから身を乗り出して怒鳴った。いつも夜は自分のほうがうるさいのに。
「ごめんなさいっ。ほら、おいで」
ぼくは家の中に犬を招き入れた。
ランドセルを置いて床に座ると犬は飛びこんできてぼくの顔をぺろぺろと舐めた。くすぐったくて「やめろやめろ」と言ったけど、やめてほしくなかった。ぼくはとても幸せだった。
幸せだったのは、お母さんが帰ってくる前までだった。
「ダメよ。外に逃がしてきなさい」
お母さんは厳しい表情を崩さなかった。ぼくはお母さんを冷たいと思った。お母さんはぼくのことを全然わかっていないと落ちこんだ。
「かわいそうよ。こんなに懐いてくれてるのに。ぼく、犬をずっと飼いたかった。お金も出さずに飼えるのに……」
それでもお母さんは首を横にしか振ってくれなかった。
「そもそもアパートでは犬を飼えないの。それに、ご飯を食べさせられなくなって結局逃がすとなったら、その時のほうがずっと悲しくなるものなの」
「ぼくのご飯ちょっと分けるから」
「ダメ」
ぼくは犬を抱いて泣いた。えんえんと泣くのではなく、めそめそと泣いた。静かに、でも聞こえるように、泣きながら本音を口から出した。
「……もう……ぐすん……いいよ……貧乏……じゃ……ぐす……なかったら……飼えてた」
お母さんの足の指がきゅっと内側にすぼんだのが見えた。お母さんは何も言わなかった。ぼくが犬を外に出すのをちらりと見て下唇を噛んでいた。
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