君と、最期の散歩道を。

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「送ってくださってありがとうございます」 「いや、こちらこそありがとう」  元いた神社のベンチに戻ると言う太宰とともに境内へ戻り、そこで初めて礼を言えた。  帰り道、ずっと思索に黙り込んでいた僕の心中を知ってか否か、彼女は胸を張る。 「このはんなり美少女探偵にかかれば」 「はんなりを道頓堀に落としてきたようなヤツが何を言う」 「そうだ、連絡先を交換しましょう。これからも大学でよろしくということで」 「無視か」  とはいえ、異論はないのでスマホを取り出す。大学生のコネ作りは能動的であるべし。  太宰を、友達登録。  だが、今日はまだ帰るわけにはいかない。 「では、お気をつけて……」 「待て」  小さく手を振る彼女を、僕は制止した。  境内はほぼ無人。背後で木の葉のこすれる音だけがざわめく。  深呼吸。  さりげなく、鼓動を整える。  風がやんだ。  静寂が訪れた拝殿前で、僕は三本指を突き付ける。 「三つ、聞きたいことがある」 「はい、何でしょう」 「一つ目。なぜ自販機に目を付けたんだ?」  さっきの罵詈雑言が本当に嘘だったかのように、彼女は品よく微笑んだまま、首を傾げた。 「というと?」 「思い返せば、話が唐突だったんだよ。自販機に心当たりがあったんじゃないのか?」  あの会話が糸口となって、急転直下、名札発見に至ったのだ。あまりに都合がよすぎないか。 「偶然でしょう。水分補給は大事ですし」 「……確かに、散歩は運動だしな」 「しかもお転婆さんですからねぇ、余計に体動かしますよね」 「お転婆か」 「そうでしょう?」 「わんぱく坊主でも、やんちゃ小僧でもなく?」  太宰は口を閉ざした。だから、僕はそのまま言葉を続けた。 「二つ目。どうしてタロがメスだと知っているんだ?」  「タロ」という名前は、太郎を彷彿させるからか、今まで話をした全ての人に「男の子?」とまず訊かれた。米屋のおじさんも、タロの名前だけ伝えたところ、「わんぱく坊主」「やんちゃ小僧」と呼び始めたくらいだ。  だが、「お転婆」も「じゃじゃ馬」も、主に女に対して使う表現だ。  だから、僕は行き道の会話で覚えた違和感に、どちらの質問を呈するべきか迷ったのだ。  「男の子にじゃじゃ馬という表現を使うのか?」、あるいは「なぜ女の子だと知っているんだ?」。  太宰は薄く笑って答えた。 「失礼、私の日本語が悪かったようですね。しかし何でまたメスにタロという名前を」 「……昔、南極物語を」 「なるほど」  結局、太宰としては「タロがメスだとは知らなかった」という言い分だろう。  変わらず、太宰は愛想のいい微笑でこちらを見上げてくる。そこに透けて見える透明な芯は、やはり揺らがない。  なので、僕は切り札を切ることにした。 「三つ目」  切り札は、喉の奥で引っかかった。  あと一手。この一手で、真実に手が届く。  けれど、伸ばした手は震えそうで。知ろうとしている真実はあまりに信じがたく、それが怖くて。  迷って、迷った挙句、僕は静かに、最後の問いを呈した。 「……あの時、僕の服を引っ張ったのは誰だ?」  茶色い瞳が揺らいだのを見て、確信した。  やはり、そうなのだ。 「それは……」 「君じゃないよな。だって、」  一拍の躊躇いの後。 「――引っ張られたのは、ズボンのすそだぞ」  沈黙を、風がさらう。再び、木々がざわめいた。  太宰の穏やかな微笑は、それでも変わらなかった。  ただ、ふふ、と笑みをこぼすような吐息の後、格好つけた大仰な礼をして見せた。 「脱帽です。推理は私の専売特許と思っていましたが」 「称賛はいい。なあ、もしかして」  再び、迷った。迷ったが、さっき太宰は降参したのだ。僕の言外の意味を汲んだうえで。  ならば、やはり。 「もしかして、タロは……」 「神山タロ」  思わず息をのんだ。目を閉じた太宰の声が、突如、あまりにも凛とした、荘厳な音に聞こえた。  伏し目がちに薄く開いたまぶたの奥、長いまつ毛でけぶる瞳が、犯しがたい神秘性をまとっているのに見とれていると。 「顕現なさい」 『はい、姫様』  高く澄んだ声とともに、太宰の足元に、すぅっと小さな姿が現れる。四つ足、巻き尾、三角耳。一匹の柴犬だ。ただの柴犬ではない。背格好、表情、尾の巻き方、どこを見ても、間違いなく。 「タ……ロ?」  恐る恐る、その名を呼ぶ。そして、あまりに非現実的な単語を口にする。 「霊……なのか?」 「正確には、霊だったところを私に召し上げられた神使です」  僕は視線を上げ、依然表情を変えない少女を誰何した。 「君は……何者なんだ」 「私は」  胸に手を当て、今度はワンピースの裾をつまんでカーテシー。 「私の名前は犬束(いぬつか)太宰(だざい)。ここ大犬神社の娘で、犬を使役する祭神・通称イヌツカイノミコトの代理。その力をそのまま使うことを許された、一種の現人神です」 「……現人神、だって?」 「『犬束(イヌツカ)』の本義は『犬使(イヌツカ)』。私はこの近辺で亡くなった犬の霊を神使とし、使役することで、参拝客の願いを叶えるという神の役目を代行する。今のタロはその一体ですよ」  嘘だろ。信じられない。  だが。  僕は茫然とタロを見下ろした。タロも僕を見上げてくる。  この事実だけで、信じざるを得なくなる。 「驚きましたよ、まさか召し上げたばかりのタロの元主(もとあるじ)だったなんて。あなたの主張は全て正解。自販機で名札を落としたことはこの子に教えてもらいました。電話を口実に席を外した時」  彼女は膝をついて、畏れ多そうにじっとするタロを撫でながら僕を見上げた。 「この子、ずっと隠形したまま、ついてきていたんですよ。言ったでしょう、今もあなたを見守っているとしたら、と。だから、轢かれそうになったあなたを」  その先は、言われずともわかる。  僕もしゃがみこんで、タロに視線を合わせた。 「タロ」 『シンタローくん』  頭の中に直接響くような声が言う。 『ダメでしょ、急に飛び出しちゃ』 「お前が言うか」  笑いながら、滲む視界に移るタロをめちゃくちゃに撫でる。 「……ごめんな、本当にごめん」 『謝らないで。あなたは悪くない。それに、わたしはここにいる。姫様の使いとして』 「……そうか。それなら、これからも」 「伸太郎くん」  同じ呼び方をする声は、今度は上から降ってきた。いつの間にか立ち上がっていた太宰が、仁王立ちして見下ろしている。 「タロは今や、私の神使です。こうして顕現するには私の許可がいるんです。つまり、私がいなければあなたはタロには会えません。『これからも』の続きを先に言う相手がいるんじゃないですか?」  したり顔に辟易する。 「……何が言いたい」  まあ、だいたい分かってるけど。 「まだ返事をもらっていませんよ。私達は同じ大学の同級生。連絡先も交換しました。……もう、友達でしょう?」  先に自分が僕の言葉を無視したことは棚に上げ、その一言を催促する。全く、礼儀正しいかと思えば不遜で、品がいいかと思えば口が悪くて。  けれど、答えは一つしかない。僕は彼女に感謝していて、友達になるには十分に魅力的な人物だったから。  口にする直前に、そういえば下の名前だったのかと気恥ずかしくなったが、今さら変えるのもややこしいだろう。  僕は少し照れながら、犬を使役するにしては皮肉な名前を、その一言に添えた。 「これからもよろしく、太宰」 「ええ、よろしくです」
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