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食堂での料理は、懐かしい味がした。食事中、トーマは食べ始める前に自身のグラタンを半分ほど別皿へと取り分けてアメリアへと渡した。何をしているんだと不思議そうに見ていた護衛たちだったが、涙目で感謝しながらそれを受け取ったアメリアは、だれよりも早く食事が終わりスプーンを置く。
ぺろりと食べきった姿に、育ち盛りだなとライアスの独特な感想が返され、それが妙にツボに入ったトーマが飲んでいた水が器官に入り死ぬほど咽た。それにアメリアが心配をする、そんなわいわいと楽しそうにしている姿を見せつけることで、声を掛けにくい雰囲気を作る事に成功したわけだが……それを意図せずに素でやりきってみせたトーマとライアスの才能にウィルは感心した。
この辺は心配せずともなんとかなるだろうと思いつつ、1人不貞腐れた顔でソーセージを頬張っているレオルドを見て、こっちが問題かと小さくため息をつくのだった。
食事を済ませると、すぐに村を後にして歩き始める。次の町までは夜までに到着できるとの事だ。街道なので整えられてはいるが、先ほどの村娘も言っていた通り魔物との遭遇は避けられなかった。
王都へと向かう途中何度も戦闘を体験したお陰で、トーマも魔物自体には驚かなくはなった。少し先に溜まっている時などは目に見えるのですぐに戦闘態勢を整えられるのだが、突然横から飛び掛かられた時は驚きの方が勝ってしまい、すぐに戦えないことも多い。そこを心配していたのだが……蓋を開けてみれば、トーマの出番は全くなかった。
最終的に町へとたどり着くまでに遭遇した魔物の数は片手で数えられる程度だったが、その全てを戦闘に突入するよりも先にライアスが薙ぎ払ったのだ。何よりも魔物の発見率が異様に早い。一番目が良いようで、溜まっている魔物たちもかなり先から発見してくれるし、気配を察知して飛び出してくる前には既に剣を引き抜いている。トーマが気づいた時には既に戦闘は終わっており、しかも何事もなく腹を掻っ捌き硬貨を手に入れていた。血に濡れた部分まで自身で処理をしているのだから、本当にトーマの出番はなかった。
寡黙で良い人の印象が強かっただけに、素直に毎回ライアスに対してすごい! 強い! と称賛をしていたのだが、レオルドとウィルにとっては、このライアスこそが通常のようで、実際はもっと強いのだと言っていた。さすがは護衛リーダー、実力は折り紙付きだ。
途中何度か休憩を挟みつつ辺りが暗くなり始めた頃、少し先に街の明かりが見えてきた。ここまでくれば町まではすぐだ。かなり歩いたためアメリアは大丈夫かと護衛が心配していたのだが、彼女は夕食についてキラキラとした表情でトーマに語っていた。どちらかと言うと、それを笑顔で聞いているトーマの方が疲れた表情をしており、体力の最低値はこちらを基準とした方が良いだろうと認識を改めたりした。
王都の中でも2番目の規模となる町。ここでもきちんと騎士たちが入口を守っていたが、ライアスたちを見かけた瞬間に敬礼をして道を開けてくれた。トーマ1人の時とは扱いが雲泥の差だが、こちらには聖女がいるのだから当たり前だろう。ついでに言えば、護衛3人たちもそれなりに地位のあるメンツなので顔パスになるのも納得だ。
本当は手厚い待遇で招待をしたい所だろうが、旅の間は一般人と同等の扱いをするようにとなっているので、街の中へと入っていく聖女一行に騎士たちは名残惜しそうな視線で見送った。
土地勘があるのか、護衛たちは迷うことなく街中を進んでいく。夜も更けており、一般的な店は既に閉まっており薄暗い印象だ。この時間で空いているのは酒場ぐらいだったが、昼間は活気にあふれているのだろう。
まずは寝泊りをする場所の確保にと、宿屋へと向かう。扉を開ければオレンジ色の光と暖かい風が肌を撫で、ほっと息を吐いた。それなりに慣れてきてはいるが、やはり雪の夜は寒さが身に染みる。宿屋の一階は食堂を兼ねているのか、人で賑わっていた。
キョロキョロ辺りを見回しているトーマとアメリアをウィルとレオルドに任せ、ライアスがカウンターへと向かう。亭主へ声をかければ、空いている部屋は2つだけだと言う。無事両方を押さえることができ、料金を支払えばその場で鍵を渡された。
荷物を置こうと2階へと向かう。部屋は隣同士のようだ。2人部屋の鍵をアメリアへ、4人部屋を護衛陣で使用することとなり、30分後に下の食堂で会おうと解散となった。1人は廊下に残り、交代で荷物を置こうかと相談している護衛たちの隣でトーマはごくりと唾を飲み込む。
とうとう、この時が来てしまった。これから何度も体験することになるであろう、男との同部屋……ミラージュの幻覚魔法で上半身は男になっているので、着替え等で気を遣う必要もないし、そうそうバレる事はないと思うが、用心をするに越したことは無い。
深呼吸をして覚悟を決めていると、そっと裾を引っ張られる。見れば、未だに部屋に入らず心配そうに見つめているアメリアがそこにいた。
「トーマさん……」
心配で仕方がない、そう目が語っている。彼女がここまで心配するのも理解できる。トーマの力が無くなれば、聖女としての役目を果たすことができないのだ。それだけではなく、純粋にトーマ自身の体の心配もしているのが痛いほど伝わってきた。
ライアスも、レオルドも、ウィルも良い人だ。きちんと線引きもできるタイプだし、そもそも護衛対象に手を出すなんてことはしない。それは分かっているのだが……泣きそうな顔でトーマのマントを握り締め俯く姿に、なんて優しい子なんだと、こちらまで優しい気持ちになっていくのをトーマは感じた。
白くなるほど強く握り締められた手へ両手を重ねる。そっと力を入れると、彼女はゆっくりと顔を上げた。揺れる緑の瞳をしっかりと見つめ、トーマはできる限り優しい笑顔を浮かべる。
「大丈夫」
「でも……」
「ありがとうね、アメリア」
自分は本当に大丈夫だと伝えると、彼女は渋々だが頷いてくれた。決して納得はしていないだろうが、これが一番トーマの負担にならないのだと理解はしている。これ以上引き留めては、トーマの立場を更に悪くしかねないと思い、アメリアはそっとマントから手を放す。それを見て、トーマもゆっくりと彼女の手を解放する。
「何かあったら、私のこと呼んでくださいね! 駆けつけます!」
ぐっと両手を握ってそう言うと、その場から逃げるように鍵を開けて部屋へと入っていく。一部始終を見守っていた護衛たちは、不思議そうな視線をトーマへと向けたが、彼はそれに取り合うことはせずに、疲れたねぇといつも通りの表情を浮かべながら同じようにさっさと部屋へと入っていった。拒絶するように扉を閉められて、3人は顔を見合わせる。
「あの2人、初対面じゃなかったか……?」
「ええ。馬車の中でも随分と仲良さげでしたし、移動中に意気投合したのでは?」
「仲が悪いより、良いに越したことはないしな。まあ、良いか」
「世界の命運を共有されていますし、通じるものがあるんじゃないですか?」
興味なさげに続けるウィルと、まあ良いかと曖昧に笑うライアスとは対照的に、レオルドはずっと無言のままトーマが消えて行った扉を睨んでいる。その様子に、ウィルはこれ見よがしとため息をついた。
「レオルド、いい加減になさい。解除者だって護衛対象です」
「分かってる」
「なら良いんですけどね。男の嫉妬は見苦しいですから」
「はぁ?! 嫉妬? オレが?!」
「そうやってすぐ怒鳴るから、聖女が怯えるんです。まったく、少しはトーマ殿を見習いなさい。女性の扱いが一番慣れてるのは貴方だったはずでしょう」
「誑し込んでんのはオマエの方、いでっ!?」
言い終わる前にウィルがレオルドの眉間へ人差し指をめり込ませた。眉の間に寄っていた皺をこれでもかと揉みこまれ、眩暈すら感じる。
やめろと腕を払いのけようとすると、ウィルの指が引っ込む。やめたのかと思えば、再び迫ってくる指をムキになって叩き落そうとするが、速さで比べればウィルに勝てるはずがない。剣技で言えばライアス、力はレオルド、速さはウィルと相手の得意な分野では負けを認めている辺り勝てる勝負ではないと分かっていつつも、八つ当たりをせずにはいらないほどイラつきを感じているのだ。
ぽっと出の解除者、出身も不明、弱々しい身なりで魔術師、まだ出会って2日目と言うにも関わらず、自分よりもアメリアの心を開き、彼女に信頼されて慕われている存在。その全てが気に食わない。
さっさと支度をするぞとライアスに窘められて一方的なからかいを止めたウィルが部屋へと入っていく。その後を追うようにライアスが続き、すぐ戻ると告げると部屋の扉を閉めた。廊下には静寂が訪れ、知らずに詰めてしまっていた息を吐く。まずはレオルドがここに残り、準備を整えたライアスと交代、その後休憩の後に食事へ向かう。夜の護衛はレオルドとウィルが交代体制で担当となる予定……ライアスのことだから、最低限の片付けと支度をしたら戻ってくるだろう。それまでに気持ちを切り替えなければと、苛立ちに任せ髪を掻きあげた。
予定の時間となり、一行は1階の食堂へと降りてきた。入店した時よりも遅い時間のため、更に混みあっていた店内。唯一真ん中あたりの席が空いていたので、早々にその席を確保した。
レオルドとウィルでアメリアを挟むように座り、その向かいにトーマとライアスが腰かける。メニューを手にすると、酒場も兼ねているようで食事以外のメニューも豊富だ。早々に食べるものも決まり、近くにいた店員へと手を上げれば、エプロン姿が可愛い若い女性の店員がお盆を脇に抱え駆け寄ってきてくれた。それぞれメインを注文する中、アメリアも同じように一品だけの注文に留めていることにトーマは首をかしげる。腹ペコ聖女の事だ、それだけでは絶対に足りないはずなのに、無理しているとしか思えない。視線だけで彼女へ足りる? と問いかければ、彼女は大丈夫ですと頷き返してきた。男に知られるのは恥ずかしいのかなと考え、後で何か差し入れすればいいかなとも思い、トーマもここではそれ以上追求することもなく引く。
水を飲みながら何気ない会話を交わしつつ料理を待っていれば、突然入口の扉がけたたましい音をたてて開いた。何事か、視線を向ければ、男が二人立っていた。
「誰か、ポーションを分けてくれないか?!」
1人の男が切羽詰まった声で店内へ向けて叫ぶ。それもそのはずで、彼が支えているもう1人の男は血だらけで息も絶え絶えな状態だ。引き摺られていると言っても過言ではない。腹部に巻かれた布は血が染みて黒く変色しており、かなり深い傷を受けているとわかる。
「え、嘘……」
トーマの後ろでそんな呟くような声と共に、ガシャンと陶器が割れる音がした。振り返れば、先ほどオーダーを取ってくれた女性店員が顔を真っ青にして入口を見つめている。手にしていた食事が乗った盆を落としたことも忘れ、名前を叫びながら血まみれの男の元へと向かって駆け寄っていった。
途端周りからは動揺や同情の声が聞こえてくる。可哀そうに、助からないだろう、宿屋の息子がイキり過ぎだなどと囁く声で、あの深手を負っている青年が宿屋の息子で、今駆け寄っている女性が妻であること。一発狙うために珍味である魔物の肉を求め、近くの森へと入って行ったことが分かった。
目先の利益と小さな魔物ぐらいなら自分でも倒せるだろうと言う傲慢さ故の自動自得、哀れみはあるが同情はできないと見ていたトーマの前で、アメリアが立ち上がる。何をするのかと思い、すぐに彼女の目的が思い当たった。ここで治癒を行うつもりなのだ。こんな不特定多数の前で唯一無二の奇跡の力を発現したらどうなるのか……慌てて止めようと立ち上がった所でもう遅く、彼女は既に男性の元へと駆け寄っていた。
「アメリア殿!」
制止するようキツイ口調でライアスの声が飛ぶ。トーマよりも早く動いていた彼は、既にアメリアの元へと駆け寄っていて、華奢な肩を掴み引き剝がそうとするが、彼女はその手を思い切り叩いた。
「放してください! 時間がないんです!」
初めて聞いた彼女の怒鳴り声に、一瞬ライアスの動きが止まる。その隙を見逃さなかったアメリアは、男性に縋り付き泣いている女性店員の肩を優しく撫でた。
「大丈夫、私が癒します」
「癒す……?」
ぐしゃぐしゃな泣き顔で見上げてきた女性店員に、彼女は安心させるように微笑みを浮かべ深く頷いてみせた。軽く体を押せば、アメリアへ場所を譲るように女性店員はスペースを開ける。
床へ座り込み、上半身を連れてきた男性に支えられていた重傷を負った男性の呼吸は既に弱々しい物へと変わっていっていて、助かる見込みは全くないように見える。それは誰が見ても明らかだった。
もう無理だと周りが諦める雰囲気の中、自分が血で汚れることも厭わずに、彼の両手をアメリアは握り締めて静かに目を閉じる。一呼吸置き、意識を集中させると、辺りはまばゆい光に包まれすぐに収束した。まぶしさに目を瞑った一瞬の内で、目の前で倒れていた男性の呼吸は平時にように落ち着きを取り戻していた。
彼女が聖女の力を使用する場面を初めて見たトーマは、あまりの神々しさに息を飲む。自身が治癒を受けた後、眠りこけていたアメリアを見た時も天使か何かかと錯覚したが、あれは序の口に過ぎなかったと言うわけだ。
店内にいた客たちは、何が起こったのか分からずじっと男性とアメリアを見つめている。そんな中、怪我をしていた男性の瞼が震えるとゆっくりと瞳を開いた。泣きながら男性の胸へと飛び込んできた女性店員に、アメリアは再び場所を明け渡してやった。
「あぁ……良かった……!!」
「あれ、ここは……?」
「覚えていないのか、お前、ボアに襲われて……」
「そう、だった……え、でも、全然痛くない……?」
「こちらの方が癒してくださったのよ」
訳が分からず困惑した様子でアメリアを見上げた男性に、彼女はにこりと微笑み、はいと頷いた。
「腹部を深く抉られていたのと、腰辺りの骨が折れていましたが、もう治っているはずです」
そう言われ、男性は慌てて自分の腹へと視線を向ける。確かに巨大な猪のような風貌で、気性が荒いとされているボアを狩猟している際に、逆に襲われ鋭い牙が腹へと刺さり、そのまま引きずられ木へと叩きつけられて気を失ったのだと自身の怪我の原因を思い出した。腹に血でどす黒く変色している布は、同行していた友人が自身の服を破き応急処置してくれたものだ。記憶もしっかりとしている。
ここまで引きずってでも連れてきてくれた友人は、後ろでじっと見つめていた。確認するように視線を向けると、友人もそうだと肯定の頷きを返す。焼けるような痛みで気が遠のきそうになっていた先ほどとは違い、今は全く痛みは感じない。
アメリアの言う通り、治っているのか……緊張しながら巻かれた布を破き、傷口を露わにしてみせた。
果たして聖女の言うことは本当なのか、野次馬も固唾をのんで男性の行動を見守っていた。遠くから傷口を覗き込んでいた野次馬の1人が、水の入ったグラスを渡してやる。血で汚れていた腹部を洗い流してやれば、抉れていた傷跡1つない、綺麗な腹部が現れた。それに驚き、自分の足で立ち上がる。まったく痛みはなく、なおかつ自然と動く下半身に男性は驚きの表情で叫ぶ。
「治っている……!」
「うおおお!!!」
その一言に、割れんばかりの歓声があがった。抱き合って喜ぶ男性と女性店員へと持っていたグラスを掲げ乾杯をすると、今度は治した張本人であるアメリアへと視線が集まる。
すごいな嬢ちゃんと気軽に声を掛けてくる客たちにアメリアは戸惑いながらも笑顔を返した。気軽に肩を叩こうとしてきた客とアメリアの間へライアスが割り込んだ。
「申し訳ないが、彼女へは触れないように」
「なんだ兄ちゃん」
「おっさんが気軽に触っていい相手じゃねぇんだよ」
「ライアスさん、レオルドさん……!」
威圧的な雰囲気のライアスと喧嘩腰のレオルドに挟まれ、アメリアは焦ったような声を出した。その様子に、席に座ったまま眺めていたウィルはため息をついた。
「まあ、こうなりますよね」
やれやれと言ったように頭を振ると、揉め始めたレオルドと男性客の元へと割り込んで行った。対人スキルの高いウィルのお陰でその場は丸く収まるが、店内の興奮は冷めやらない。結局は聖女様ご本人であるとバレてしまい、飲めや歌えやの大騒ぎだ。家族経営をしていたせいで、宿屋の店主からは息子を助けてくれた命の恩人からお金は取れない、宿・飲食代も要らないし好きなだけ滞在してくれて構わないとまで言われてしまう。流石に巡礼の旅があるので長期宿泊はしないが、今日だけは世話になるとライアスが対応していた。
そして、聖女ご一行のテーブルには、食事が乗った皿がこれでもかと溢れかえっていた。女性店員が動揺して落としてしまい提供が遅くなったわびと、助けてくれたお礼だと数品サービスで追加されていたのだ。最初は遠慮するも、感謝の気持ちだと言われたことと、アメリアがじっと料理を見つめていたこととで受け取れば最後。その細い体のどこへ入るのか、吸い込むようにして料理がアメリアによって綺麗に消えていく。その様子を面白がって、周りの客からおすそ分けが大量に流れ込み、彼女が座るテーブルだけは大量の皿が重なっていったのだ。なるべく隠そうとしていた腹ペコ具合もしっかり露呈してしまったせいか、アメリアは幸せそうに全てを平らげていった。
長時間にわたる食事を終えた所で、今後についてまとめようと言うライアスの発言の元、場所を2階の部屋へと移した。
まだゆっくりしていけば良いのにと言う客たちを声を受け流しつつ、男性陣が使用している4人部屋へと入る。簡素な椅子へアメリアを座らせ、そのセットである机の上へ行儀悪くレオルドが腰かけた。近くにあるベッドへトーマが座り、向かいのベッドはライアスが座っている。ウィルは入口の扉に背を預けて腕を組み立ったままこちらを見ている。彼は大方見張りだろう。
「聖女であることが公になってしまっただけに、直接癒して欲しいなんて声を掛けてくる者も増えるだろう。そうなった際だが……」
「もちろん、対応します!」
「そういうと思っていたよ……しかしアメリア殿、現実問題、個別で対応していたらキリが無くなってしまう」
「でも、この力は私個人で使うような物でもないですし、必要とされる人に平等に与えるべきだと思うんです」
聖女としての模範解答に眩暈がしそうだ。トーマが目を細め、眩しい顔で彼女を見ているのを発見したウィルが小さく吹き出した。そんな2人のやり取りとは関係なく、話はどんどんと進んでいく。
「アメリアがやるっつってんだから、やりゃぁ良いだろう。治癒を受けさせるかどうかはオレらで選定すりゃいい」
「その選定が難しいから問題なんだろう……」
アメリアに好意的なレオルドは完全に彼女側の意見だった。どうにかやらせてやれと難題を押し付けられ、ライアスが辟易する。助けを求めるようにウィルへと視線を送り、それを受けた彼は困りましたねぇと苦笑いを浮かべた。
「例えば、極悪人が善良な市民から権利を奪って治癒をして欲しいと訴えてきたら、貴女は対応しますか?」
「対応します。癒した後に、正当なる場所で裁きを受けていただきたいです」
「これは……感服いたしました。でしたら、私としては聖女の判断に従いますのでどちらでも構いませんよ」
「ウィル~……」
頼りの綱が全くもって頼りにならなかった。凛々しい眉毛をしょぼんと下げて力ない声でウィルの名を呼ぶライアスに、ウィルはただくすくすと笑うと、ちらりとトーマの方へと視線をやった。ぼんやりと猫背気味に見守っていたが、お前はどうなのだと視線で問われていることに気づき、慌てて背を伸ばす。
「道中の行いも見ているわけだし、治癒をしたいって気持ちも尊重できればとは思いますけど、手あたり次第は効率が悪いですよね……」
「そうだよ、トーマ殿もそう思うよな?!」
やっと現れた同意見の人間に、ライアスがパっと顔を上げた。先ほどまでのどんより具合はどこへやら、ぱあと周りに花でも飛びそうなほど嬉しそうな顔をしている。
「だからこそ、俺たちで優先度と方法を今決めませんか?」
「やっぱりそうなるよなぁ……」
一転、再びどんより暗い顔を作ったライアスが項垂れる。非常に面倒くさいし、できればそんなことをせずに目的地まで行きたい所とトーマも強く思うが……公衆の面前で奇跡の力を披露してしまったのだから、これっきりとはとてもじゃないが言えないのも事実だ。
だからこそ、こちらで先にルール決めをして、それを守らせれば良いだろうとトーマは口にする。
「町単位で、聖女の治癒を受けられる上限を決めましょう。1つの町に割ける時間は最大5日として、8時間対応、1人当たりの所要時間が3分としたら1日辺りは160人まで。これの上限とは別で、病院や孤児院など優先度の高い人枠を作りましょう。朝夜の時間外4時間対応でも、400はいけるはず。一般で治癒を受けられる人に関しては、希望者からの抽選が良いかな……例えば明り取りに使うようなクズ石を色違いで3種類用意して、希望者には1つ取りに来てもらう。全てに当日の22時頃に発動するような魔法を掛けて、オレンジが午前中、白が昼、青が夕方とすれば、混雑緩和にもなるかな。外れた場合でも、残念賞として使える明り取りの石がもらえるし感じは悪くないと思う。ただ、町の概ねの人口が分からないから用意する総数が予想になるのと、場所がな……」
「それなら力になれるかもしれない」
最後の方は最早独り言となって、腕を組んで悩み始めたトーマに、ライアスが声をかけた。1人でしゃべり続けていたことにいまさらながらに気づいたトーマはそっと唇を噛締め彼の方を見れば、力強く頷きを返してくれた。
「大丈夫だ、人口数と場所なら俺の方でどうにかできると思う」
「すごい! じゃあ、後は石の準備と、」
「おい、ちょっと待て!」
自分の想像がどんどんと形になっていくと興奮してきた所でレオルドが待ったをかける。予想外の人物からの発言に驚くトーマを、レオルドは心底軽蔑した視線で睨みつけていた。
「アメリアをどんだけ働かせる気だよ」
「あ……」
1日12時間労働を強いろうとしていた事に気づき、あまりにひどい労働環境に反省する。しかも、こんなに働いたとしても無給なのだ。慈善事業でしかない行いに、ここまで体を張る必要はないだろう。ごめん、とアメリアへ頭を下げたトーマに彼女はとんでもないです! と首を振った。
「私じゃそこまで考えられなかったですし、やれます!」
「いや、でも、さすがに疲れちゃうし……」
「大丈夫です、やらせてください!」
「でも……」
「大丈夫じゃないでしょうか。この町の病床は、トーマ殿の想定数よりも遥かに少ないですから。1日6時間を一般、2時間を特別枠の対応で十分やれると思いますよ」
思わぬところから来た援護射撃だったが、ウィルがくれた情報はかなり有益だった。国内でも2番目に規模の大きいこの町を回せれば、これから先もやっていけるはずだ。アメリアの希望を潰すことなく、なんとか旅を続ける道を見つけられそうだ。病床数が少ないことは意外だったが、やはり医学は日本とは全く違う異世界はそういう物なのかと思うしかない。
そうしましょう! と頷くアメリアの一言で話し合いは終わった。アメリアの負担が大きいとレオルドはやはり不満そうだったが、大丈夫ですからと本人による念押しで渋々ながら頷いてくれた。それでも、今日の所は早く休むよう言えば、アメリアは素直に従い自身の部屋へと戻っていく。それを送っていくとレオルドも一緒に部屋を出て行った。
「まとまって良かったぁ……」
「トーマ殿には感謝しかない……ありがとう」
「いえ、俺の方こそ、2人とも有難うございます。俺1人じゃ決めきれなかった」
「例には及ばないさ。さて、悪いが、俺も出て構わないか?」
「え、この時間にですか……?」
「ああ。治癒活動の件、先方にも早めに伝えた方良いだろうからな」
「確かに」
「すぐに戻ってくるつもりだが、遅くなっても俺の事は気にせず休んでくれ」
「むしろすみません、お仕事増やしてしまって……」
「構わないさ、適材適所ってやつだよ」
マントを着込み支度をしているライアスへ、トーマは頭を下げる。それに気にするなと笑ってみせた彼は、通り抜けざまに下げられているトーマの頭を軽く撫でてやった。小さい子供へとするような撫で方に驚きのあまり固まったトーマに気づくことなく、入口を守っていたウィルへ後はよろしくと声を掛け部屋を出て行く。パタンと閉まる音を聞いてから、そっと自身の頭を触る。
(この年で撫でられるとは……)
意外とバグっている距離感に呆気にとられる。別に嫌な気はしなかったが、これがイケメンに限るってやつなのだろうか。上手く消化しきれていないトーマを他所に、ウィルは斜向かいにある入り口に近いベッドの脇へと剣を立てかけた。
次々に装備を外していく音で、ふと我に返ったトーマも、とりあえず脱ぐかと思考を切り替えていく。たくさんのボタンで留められているロングジャケットへと手をかけ、一つずつぷちぷちとボタンを外していった。
「必要とされる人に平等に与えるなんて、できるんでしょうか」
「……え?」
「貴方は聖女を一番に支える解除者ですから、あの場では彼女の肩を持ったでしょうが……トーマ殿個人だと、いかがですか?」
ボタン外しに集中していたトーマが顔をあげると、ラフな格好でベッドに腰を下ろしたウィルがこちらを見ていた。笑顔を作られてはいるが、その目は一切笑っていなく、どちらかと言うと冷たい印象を受ける。見極められているのか……だからと言って、何が正解かなんてトーマには分からないので、せめてもと困ったような笑顔を浮かべてみせた。
「そう、ですねぇ……」
「すべての人を平等に助けている間に、寒さの影響で人々が死んでいくかもしれませんよ」
「でしょうね。でも、それって国の責任でしょ?」
挑発するような物言いに、トーマは変わらずの笑顔で切り返す。その発言が意外だったウィルは、何も言わずにじっとトーマのことを見つめた。
「こうなる未来が分かっているなら対策を取るべきだし、全ての責任を聖女に押し付けるのはどうなんだろうって思いますけど」
「それは、仰る通りだ」
挑発は失敗に終わった上に、見た目と腰の低さに見合わず、トーマも物怖じしないタイプだったようだ。聖女と解除者、協調性はあるが譲らない所もあるようで、中々扱いが難しいなとウィルは苦笑いを零した。
「きっと、あの子も平等になんて無理だと分かっていると思いますよ。それでも、わずかな可能性があればと今できることを模索しているんだとも思います。優しい子だから。だからこそ、俺は俺ができうる限りであの子のサポートをしてあげたい」
「なるほど、そうきましたか」
「それに、癒した後に裁きを受けなさいって説教する聖女様なんて、最高にカッコイイじゃないですか」
「確かに。あれには私も驚きました」
意地悪な質問だったはずなのに、アメリアの正しい判断に聖女なのだと納得させられてしまったのだ。思い出し笑いを零してから、ウィルはトーマに向けていた視線を外した。それが、君の考えは理解できたと合格点でも貰ったようで、知らずに詰めていた息を吐いた。その後は特に会話は続かず、剣の手入れを始めたウィルにならい、外し掛けだったジャケットのボタンを外す作業へと戻る。
ジャケットを脱ぎ、軽く肩を回しながらマントを掛けている所へ重ね掛けしようと伸ばしかけた手を止めた。マントが濡れていたのだ。この上へ重ねがけをしたらジャケットが濡れてしまうだろう。そこそこの暖かさは保たれてはいるが、温風も火もないので、明日の朝はマントもジャケットもしっとりと湿った状態となってしまう。それは嫌だなぁと顔をしかめ、トーマはいったんジャケットを腕へかけると、マントへ意識を集中させた。風で布を乾かすイメージ。
片手をマントへ向け掌へ魔力を集中させると、マントが急にたなびいた。それは一瞬で、次の瞬間には乾いたマントがかかっている。軽く触ってみれば、しっかりと乾いているのが確認できた。日常でもよく使っていたこの魔法を乾燥機なんて名付けたら、ミラージュが乾燥機! と叫びながら使うようになって、面白かったことを思い出す。あの人が使うと、部屋一体全ての水分が吹っ飛ぶぐらいだったけれど。
懐かしい思い出に頬を緩ませながら、乾いたマントの上へと持っていたジャケットを引っ掛ける。さて、次は鞄の整理でもしておこうかと振り返った瞬間、これでもかと大きく目を見張ったウィルと視線がかち合った。
「トーマ殿、貴方……今、何をしたんですか?」
「え? 服を乾かしただけだけど……」
「信じられない……呪文もなしに、そんな魔法を……今のはなんと言う魔法ですか?」
「いや、えっと、これは俺が勝手に考えたやつで、大したことは」
「貴方自身で考えたのですか?! 魔法を?!」
「え? ええ?」
興奮気味に言葉を食われ、トーマは後ろへ後ずさる。
それを逃がさないとばかりに、ウィルは立ち上がるとギラついた目でずんずんと間合いを詰めていった。
「あ、あの、ウィル、さん……?」
「貴方、魔術師と仰っていましたが、実際は魔導師では無いのですか?」
背後にポールハンガー、向かいに様子のおかしいウィルに挟まれ、何とか身を守ろうと両手を胸の前あたりで上げて制止するようジェスチャーを試みる。
「そんな大層な身分じゃ……!」
「ではなぜ詠唱もなしに魔法を? 自身で魔法を考えるなんて事を、一介の魔術師ができるはずが無い」
が、努力空しく……ずいっと目の前まで寄ってきたウィルを、トーマは必死に押し返した。線が細いし美形な見た目に騙されやすいが、彼も歴とした騎士なのだ。目一杯な力で押し返しているにも関わらず、相手はビクともしない。
「ちょ、近い!」
「興味深いです、他にどのようなことが可能なのですか?!」
逆に、必死に押し返していた手をウィルの両手によって握り締められてしまった。ほんのりと頬を赤く染めながら、美しい顔を近づけてくる姿は、今までのイメージを大きく覆す。
常識人で護衛陣の中の良心だと思っていたが、一番ネジがぶっ飛んでいるのは彼なのかもしれない。
「さあ、教えてください。トーマ殿!」
(ああ、地雷踏んだわ……)
自身の甘さを悔やんでも遅く、この魔術オタクに見合う情報を与えるまでは解放してもらえないのだと、見通す力を使わなくても見える未来があるのだった。
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