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見るからに暴行を受けましたという身なりの同僚が、高位の騎士と共に再び牢屋の入口へと戻ってきたことに、見張りを担当していた騎士が驚きのあまり口を開けて固まっていた。再び階段を駆け下り、トーマが入れられている牢屋の前まで舞い戻れば、彼は息も絶え絶えな状態へと悪化していた。その様子が予想以上だったようで、高位の騎士・ライアスは息を飲む。
「何だ、これは……」
思わず出た言葉は、声が震えている。先ほどハロルドがした報告は、高熱を出しているでは無かったか? 目の前でぐったりと倒れ込んでいる少年は、凍えるような寒さの中、薄着で両手が赤黒く腫れ上がっている。顔も少し擦りむいた後があり、彼が不当な暴力を受けたのは明らかだった。顔色は既に青白く、限界が近い。
「鍵を……!」
ライアスに告げられ、ハロルドはハッとする。鍵は同僚に奪い取られてしまっているのだ。敬礼をし、今すぐ取りに戻りますと報告の後走りだそうとしたのだが、上官からは下がっていろと厳しい声が飛んできた。何をするのか、驚く彼の前で、腰に下がっていた剣を引き抜いたライアスは、扉へとそれを振り下ろす。大きな音を立てて鍵穴の部分が壊れ落ちると、迷いなく牢の中へと入って行った。
あまりの出来事に呆然と見守るハロルドの前で、ライアスは倒れているトーマへ声をかけながら肩を軽く揺する。しかし何の反応も示さず、意識を失っている姿に、小さく舌打ちをするとそっと抱き上げた。予想よりも軽い体は、筋肉などはほとんどついていないことが分かる。力仕事とは程遠い世界で生きてきたのだろう。途端罪悪感に襲われるが、今は謝罪よりも治療が優先だ。瞬時に気持ちを切り替え、牢の外へとトーマを連れてライアスは出て行った。
「君、」
「何をしているんだ!!!」
抱き上げられているトーマを間近で見て、悔し気に唇を噛み締めているハロルドへと声をかけたのだが、それは怒鳴り声でかき消されてしまった。ドタドタと大きな足音をたてながらトーマを牢屋へと放り込み、ハロルドに暴行を加えたあの同僚騎士が戻ってきていたのだ。肩を揺らしながら叫んでいるのは、怒りからなのか、急いできた息切れなのか、はたまた両方なのか。高位の者相手だと分かっていながらも、そいつを戻せと怒鳴りつけてくる。
トーマに気を取られていて気づかなかったハロルドは驚いて振り返るが、同様に怒鳴り付けられたライアスは、騎士を強く睨みつけた。その迫力に一瞬尻込みをするが、騎士は負けじと睨み返す。
「そいつは罪人だ、勝手に連れ出されては困る!」
「何の罪で投獄された」
「そんなの、お前には関係ないだろう! おい、何をしている、早くそいつを牢に戻せ!」
「この少年の惨状はお前のせいか」
言い聞かせやすそうなハロルドへとターゲットを変え怒鳴りつける騎士へ、ライアスは構わず続ける。低く唸るような声には怒りを隠すことなく伝えてくる。それだけで周囲の温度が下がったかのような錯覚に陥り、自分が向けられた訳ではないはずなのだが、ハロルドは恐怖からツバを飲み込む。
「そ、そいつが騒ぐから……正当な理由だろう!」
「なるほどな」
ライアスが頭から足の先まで、しっかりと観察をする。顔や特徴を覚えると、今度は興味を無くしたかのように騎士への視線を外した。そのまま視線は自身の隣に立っていたハロルドへと向けられる。
「君、名は」
「は! ハロルド・ブレアであります!」
「ハロルド、君も怪我を負っていて辛いとは思うが、この少年の荷物を明日城まで持ってきて欲しい」
「滅相もございません! しかしながら、私でよろしいのですか?」
「この状況で信頼できるのは君だけだ」
目を細め笑う姿は、先ほどと同一人物とは思えぬほど優しいげで驚いた。おまけに身に余る言葉を思いがけないタイミングでいただき、ハロルドは恐縮してしまう。
「ミラージュの遣いの荷物だと言えば案内するように手配しておこう」
「ご配慮感謝いたします!」
敬礼をするハロルドへ、頼んだよと気さくに声かけをしてからライアスは歩き出す。まるで2人しかこの場にいないような振る舞いで怒鳴り続ける騎士の前を通り抜ける。相手にすらされていないことに、初めて震えるほどの怒りを感じた騎士は、興奮のままに剣を引き抜いた。
「貴様ァ……!! 貴族である俺を無視するとは、いい度胸だ!」
「おい、何を!?」
「知っているさ。だが男爵、だろう?」
度を越した同僚を止めようとハロルドが声を荒らげるが、今度は以外にもライアスから返事が返ってきた。しかし、足を止め振り返った彼が向けたのは、見下しきった視線だった。剣を向けている相手に対して煽るような態度を取られ、騎士はさらに興奮状態へと陥っていく。
「馬鹿にしているのか?! 貴様に受けた侮辱は、」
「私はライアス・ロットナーだ」
たった一言、ライアスが自身の名前を告げ、取り合うことなく階段を上っていく。ただそれだけだと言うのに、今にも切りかかりそうだった騎士はピタリと動きを止めると、あ、あ、と言葉にならない声を漏らしながら手にしていた剣を落とした。
その様子に驚いたのは行く末を見守っていたハロルドで、見る見るうちに真っ青な顔色へと変化し、固まってしまった同僚に困惑する。ライアス・ロットナー、どこかで聞いたことのある名前のような気もするが、それを思い出すことができない。だからこそ、一体何が起きたのか、その名前が何のか……まったくもって理解が出来なかった。
◆
ぐったりとしたトーマを抱えたまま大股で歩みを進めていたライアスは、玄関ホールまで出てくるとそこに複数人の部下を連れたモーガンが立っていることに気づいた。悪い男ではないが、規則には人一倍厳しい男でもある。それがライアスが知っているモーガンと言う人物で、だとすれば、間違いなく自分のことを止めてくるだろう。その予想は正しく、モーガンは慌てたようにライアスの名前を呼びながら駆けつけてくる。あえて聞こえないふりをして、出入り口へと急いでいれば、先回りしたモーガンがライアスの前へと立ちはだかった。
「お待ちください!」
「すまない、急ぐので失礼する」
「ライアス様! 聞けば、その者は窃盗の疑いで投獄されていたのだとか。いくらライアス様でも、身元も分からない者を」
「彼が聖女の重要関係者だったらどう責任を取るつもりだ!」
「なっ?!」
予想外な発言に、モーガンは言葉を失った。聖女? そんな高貴な方の関係者がその汚らしい少年だと言いたいのか、気でも触れてしまったのではないか、視線だけで問うてくる。
本来そんな重要人物が自身で長蛇の列に並んで入都手続きをするとは思えない。豪華な馬車に乗せられ特別扱いをされているはず、常識的に考えればそれが普通の考え方だ。だが、今回の後継人はあの破天荒なミラージュだと言う。それはごく一部にしか知らされていない情報でもあり、その一部にここの騎士たちは入っていない。だからこそ、モーガンの反応をライアスにも理解はできる。
「全責任は俺が持とう。だから行かせてくれ」
そう頭を下げられ、モーガンは仰天する。自分よりも遥かに地位の高い者に頭を下げられるなんてことは初めての経験だ。おまけに、彼の後ろには複数人の部下もいる。そんな者たちの前で惜しげもなく下げられる頭に、これは大変なことをしてしまったと震える。
「も、申し訳ありません、ライアス様……!」
その場で膝をつき、頭を下げたモーガンに、慌てて部下たちも同じ体制をとる。やっと事の重大さに気づいてくれたと安堵したライアスは、協力感謝するとだけ告げると外へと歩みを進めた。
塔のすぐ近くに待たせておいた愛馬は、玄関より出てきた主人の姿を見つけると嘶いた。こちらだとアピールをしている甘えん坊な愛馬に少しだけ表情を崩したが、今は構ってられそうにない。大股で馬の元へと寄ると、主人が抱えている人物に気づいた。傍まできた所で、馬はゆっくりと頭を下げ少しでも乗りやすい体勢をとった。
「おまえ……ありがとう」
ブルル、鼻を鳴らし答える姿はどういたしましてだろうか。相変わらず表情豊かな馬へ、まずはトーマを横座りで乗せ、首部分に寄りかからせる。落ちないように注意しながらその後ろへと跨ると、しっかりとトーマを座りなおさせ、彼の腰をきつく抱き寄せた。片手で手綱を握り脇腹を軽く蹴ってやると、任せろと言わんばかりに馬は走り出した。
深夜の市街地を疾走し城へと入る。既にライアスの部下が待機しており、馬上でぐったりしている見知らぬ少年の姿に一瞬驚いた表情を浮かべるも、すぐに馬の手綱を変わる。素早く降りてトーマを再び抱き上げたライアスは、頼んだと一声かけて今度は医務室へ向かい駆け出した。
兵舎に隣接しているそこは、騎士専属の軍医が詰めており、24時間体制を取っている。他の医者たちより荒っぽい者が多いが、確実性を考えればここで間違いはない。暗い廊下を大股で進み、目的の医務室前までくれば、待っていたかのようにドアノブが回り扉が開く。深夜だというのに煌々と明かりが灯っている室内をバックに、年老いた軍医が立っていた。
「待っていたぞ、ほら早く寝かせてやれ」
この軍医には何も知らせていなかったはずなのに、全てを見通しているような彼は、口の端だけあげて笑う。長年この軍医へお世話になっているライアスはこの人には敵わないと舌を巻いた。奥のベッドへと通され、言われた通りにトーマを寝かせる。高熱はいまだ下がっておらず、浅い呼吸を繰り返している姿に心が抉られるようだ。
「先生……!」
「ひどい脱水を起こしているな……熱も異常に高すぎて臓器がやられる心配がある……今すぐ聖女を連れてこい」
「今すぐ、ですか?!」
忙しなく投与する薬剤の準備を始めた軍医に指示され、ライアスは戸惑った。こんな深夜に聖女の部屋へ行き、更には叩き起こして連れてこい、だなんて無理に決まっている。しかし、この医者が今すぐにと言い切るのだから、緊急の処置が必要な状態なのだろう。強く奥歯を噛み締めたライアスは分かりましたと頷いてから、再び部屋を飛び出すように駆け出していった。
「本当に呼びに行きおった。あの男をこうも簡単に動かすとは……長生きはしてみるもんさな」
どうせ無理だと断られると踏んでいたのだが、素直に言うことを聞いたライアスを思い出し、軍医は喉の奥をクツクツと鳴らしながら笑う。聖女を連れてくる成功率は五分、完全に運次第だ。処置の準備は並行しておいた方が良いだろう。気持ちを切り替え、仕事に取り掛かることにした。
非常識な時間帯に聖女と言う高貴な存在を連れ出してくると最高ランクの 任務をなんとライアスはやってのけた。慌ただしい足音が廊下から響いてきたと思えば、勢い良く開いた扉からはライアスに続き、寝間着にカーディガンを羽織っただけの聖女その人が顔を覗かせていた。
「こやつ本当に呼んできおった!」
笑いながら叫ぶ軍医に構うことなく、ライアスがあそこのベッドだと指をさせば、金に近い茶の髪を揺らしながら彼女は駆け寄る。
「大丈夫ですか?!」
透き通った声はまさしく聖女そのもの。苦しそうに眉を寄せているトーマの手を両手でそっと握ると、その場で膝をつく。深く息を吐き、祈るように両目を瞑れば、彼女の体はまばゆい光で包まれた。温かく柔らかいその光は範囲を広げていき、トーマの全身をまで広がる。ほどなくして光は収束していき、何事もなかったかのように消えて行った。
「何度見ても奇跡の力だ」
感心したように頷いている軍医の隣で、ライアスは不安げにトーマの顔を覗き込む。すると、彼の顔色は先ほどとは比べ物にならないほど良くなり、苦しそうな表情もなくなっている。痛々しく腫れあがっていた怪我も消え、傷跡ひとつ見当たらないではないか。正しく聖女の祈りが届き、治癒が完了しているだが、目覚める兆しは見えない。
「アメリア殿……」
「大丈夫……後は、この方を信じましょう」
優し気な微笑みを浮かべた聖女・アメリアはライアスの問いかけるような呼びかけに力強く頷いた。癒しの力が発現してからさほど時間も経っていない、年若い少女だと言うのに、その説得力たるや。しっかりと聖女の器を兼ね備えた彼女に、ライアスは強く頷き返すのだった。
ピクリと瞼が震え、ゆっくりと目を開く。見覚えの無い天井をぼんやりと眺めたトーマは何が何だか分からなかった。ここはどこだろう。意識を失う直前までは牢屋の中で倒れていたはずなのだが……比べ物にならないほど暖かく清潔感があるように感じる。それに、なんだか手を握られてとても落ち着いた気持ちになったような……
「ひょっ?!」
視線を横へと向け、文字通り飛び起きる。彼の手は、昨晩駆けつけた聖女によりしっかりと握りしめられており、彼女は寄り添うように椅子に座り眠りこけていたのだ。朝日に照らされる彼女は、まるで天使かなにかのようで、この世にこんな神々しい人間が存在するのかとトーマは目を疑った。呆然と見つめていれば、彼女の瞼も緩く震え、何回か瞬きの後に目を開ける。見つめていた黒い瞳と目が合うと、彼女はハッとして起き上がりしっかりとトーマを見つめる。
「気分はどうですか?」
「あ、いや……あれ? 元気ですね……?」
問いかけにやっと昨日までの辛さが消え、むしろ疲れも取れていつのも増して調子が良いことに気づいた。不思議そうに首をかしげながらのトーマの回答を聞いて、アメリアはやっと肩の力が抜けた。
「良かった……もう! 心配したんですよ」
「あはは……ごめんね」
「トーマさんは無理ばかりなさるんだから」
「無理しているわけじゃないんだけど……」
「自覚されていないのですから、性質が悪いですっ」
「ごめんって。ありがとう、アメリア」
手を握った状態で交わされる会話。自然とお互いの名前を呼び合い、まるで古からの親友のような親しい間柄のようなやりとりに驚く。それがアメリアにとっても同じようで、あら……? と自分の口を抑えていた。なぜこんなことを言ってしまったのか全く理解できていない様子だ。そんな彼女の行動にすら懐かしさを感じ、それからトーマはここへ来るに至った夢の内容を思い出す。
金のような茶のような色の髪を腰まで伸ばした、緑色の瞳をした少女、それは目の前にいる彼女で間違いなく、彼女が自分が探し求めていた聖女その人で間違いない。なぜかと聞かれると全く分からないのに、確信だけがある。聖女と解除者、お伽話の言い伝えは、目には見えない効力ではあるが、きちんと効いているようだ。
「変なの……でも、悪い気はしないかな?」
「はい、なんだか嬉しい気持ちです」
「俺も」
同時に理解をした2人はどちらともなくくすくすと笑いだす。穏やかな空気が流れていた早朝の医務室。それは、突如として轟音で開いた扉で一変する。
「おい待てレオルド! まだ彼は眠っているかもしれないんだから、」
「うるせぇな、それなら叩き起こすまでだろうが!」
「あ……!」
アメリアには聞き覚えのあった声のようで、慌てたように後ろを振り返る。どうしましょうとトーマの手を握り切羽詰まった表情を浮かべた彼女だったが、相手は待ってくれるわけもなく、ベッドの周りを囲っていたカーテンを勢いよく開けられた。
「アメリア!」
「レオルドさん……」
困ったように笑うアメリアが、カーテンを開けた人物の名前を呟いた。金の髪を肩ほどまでに伸ばしている青年は目が覚めるほどの美しい顔立ちをしている。シルクのような見るからに肌触りの良さそうなシャツを羽織っているものの、前を止めていたために鍛え上げられた筋肉が晒されていた。寝起きのまま駆けつけてきたのだろうか、焦りと憂いを帯びた表情でアメリアを見つめてから、トーマへと視線を向ける。途端、その場から吹き飛ぶのではないかと思うほどの怒気が飛んできた。
「ひぇ……!」
「おい、てめぇ……何してんだ……」
地を這うような声、額には青筋がいくつも浮かんでおり、爆発寸前の表情でトーマの事を睨みつける。美形のマジ切れの迫力がすごすぎて、何を言うことができないが、どう見たって、アメリアがトーマの事を両手で握りしめているので、トーマに過失は無いはずなのだが……それを言ったとしても、彼は聞いてはくれないだろう。あわや殴りかかろうとした所で、後ろにいたライアスが羽交い絞めをする。
「待て待て! 待つんだレオルド!」
「くそっ、放せよ!」
「やめろ、彼は解除者かもしれないんだぞ?!」
「だからなんだよ?! オレはこいつをぶっ飛ばさなきゃ気がすまねぇ!」
「アメリア殿! なんとか言ってやってくれ!」
揉みあう2人におろおろしていたアメリアは、突然名前を呼ばれてびくりと肩を揺らす。ビビり散らかしているトーマに気づいた彼女はなんとしてでも守らなければと頷くとその場で立ち上がり、両手を大きく広げトーマを庇うようにして立ちはだかった。
「やめてください、レオルドさん! トーマさんは、解除者で間違いありません……!」
「は? 名前で呼んでんのか……?」
「それは本当か?!」
滅多に出さない大きな声で伝える。暴れまわる猛獣のようだった彼は、アメリアの一言でぴたりと動きを止めると、信じられないと首を振り憂いを帯びた瞳で彼女を見つめる。静かになったと判断し拘束を放されたレオルドはそのまま床へと膝を付き、両手を地面へと付ける。打ちひしがれている彼の頭上では、驚いているライアスがアメリアへと問いかけ、会話を交わしていた。
「名前……オレなんて、最近やっと呼んでくれるようになったのに……?」
役割の判明をした事実よりも、トーマとアメリアの親密度が高いことの方がよっぽどショックだった彼はなりふり構わず嘆く。ものすごく綺麗な顔を悲し気に歪め絶望の眼差しでアメリアを見上げているにも関わらず、彼女は一切スルーしてライアスと話し合っていた。
(だ、大好きなんだなぁ……)
自分の事を話し合っているのだが、いまいち状況は掴み切れていないトーマは、唯一1人だけ彼の不憫さに同情するのだった。
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