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食事症候群
『なんて残酷なことをしてるの!!!』
『下衆な行為は慎みなさい!!』
『汚らしい』
──────
彼女は、オーブンを動かしている。早く出来上がらないかとうずうずと。そんなに直ぐにはでき上がる訳が無い。今の今に入れたばかりなのだから。
今日は森の中で取れたトマトと、バジル、キノコのピザ。1人用にしては大きすぎるのは分かっているのだが、それよりも楽しみが強かった。早く出来上がるのを待っている。まだかな、まだかな、オーブンの目の前を行ったり来たり。さすがにあと少し時間はかかる。
「誰にも見つからずに採取できただけ良かったわ。」
育てれば早いが、育てるとしても種を入手するには困難だった。この世の中には、食材を育てるという必要性がなくなってしまっている。
「早く出来ないかなあ。お腹すいた。」
オーブンの前に行くことに疲れ、椅子に座る。目の前に置かれていたのは、懐かしい家族との写真だった。
「ママ、パパ今何してるの?お空の上で。何食べてる?」
私達はただ食事をして生きていこうと、この団欒を楽しもうとしていただけなのだ。目の前のご馳走に手を合わせ、ありがとう、と伝えていただけ。
記憶の中で鳴り響く銃声に耳を塞いだ。
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森の奥まで入ってきてしまった。社会に疲れ、人生に疲れ、何を楽しみとして生きていけば良いか分からなくなっていた。全ての家に国によってつけられた監視カメラのおかげで、自分の命を捨てることが容易ではなくなってしまった。
ここまで歩いて半日近く、何も飲まずにここまで来てしまった。太陽の光があれば体内に燃料となるカロリーは生成される。しかし水分は外から取らなければ、体に入ってくることは無い。死を覚悟し、ここで終わらすと考えていたのに、体は水を欲している。
「なんかいい香りがする」
今までの人生の中で、昔に嗅いだことのあるような、懐かしく、楽しかったようなそんな香り。心の底で、おいしかった、と呟いていた。
香りの方向へ足が向く、小さな一軒家が立っていた。
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「いただきます!」
家族全員で声を合わせて目の前のご馳走に手を合した。母が作ってくれたハンバーグ。美味しそうだった。早く食べたいのをぐっとこらえて、目の前の食材に感謝をした。
「何をしている!」
外から大きな声で男の人がこちらに銃口を向けていた。
「食事は禁止となったはずだ。何を食べようとしている!!」
食事は重罪、命を刈り取ることは、今の世界では同じ事をされてもいいというほどの、悪いこととなっていた。
食べなくても生きていけるように、街の人々はなっている。しかしその病気に、家族全員かかることが出来なかった。かかりたくても、なることが出来なかった。
目の前の銃口が部屋の中全てを壊していく。あらゆる全てのものを。目の前のハンバーグでさえも、そして、私の愛する母も父も、全て。私の愛する全てを壊していた。
衝撃で私も床に転がる。それを男は死んだと認識したらしい。立ち去って仲間を呼ぶ声がする。逃げなければ、私は小さく床にころがったハンバーグを口にして走って外へ出た。
誰も来ないであろう森の中、そこには誰も住んでいないと分かる一軒家が立っていた。
ここで過ごすしかない。
私はその家に転がり込んだ。
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オーブンから美味しそうな匂いがする。少し静かになっていた。もう出来ただろうと扉を開ける。部屋に充満する焼きたてのピザの匂い。トマトの芳醇な香り、バジルのアクセントもきいている。火傷しないように慎重にテーブルの上に置いた。
「美味しそう…」
早く食べたいのを我慢して、手を合わせて声に出す。
「いただきます!」
その時、玄関の前で物音とともに、男性の声がした。
「あ、あの、どなたかいらっしゃいますか?」
あの時を思い出す。あの残酷に愛する全てを壊したあの時を。
声の主は、喋りながら家の周りを歩いている。リビングの横の窓に到着していた。
「あ、居た!あの!!」
恐怖で体が強ばる。頭を抱えてうずくまってしまう。目の前のピザが冷めていくのもわかる。だけれど、声を出すことも何をすることも出来ない。声の主を見ることすらも出来なかった。
「え…?!大丈夫ですか?頭痛い??え、どうしよう、窓から、うーん、窓からだけどごめんなさい!」
幸運にも、いや、生憎にも男の目の前の窓は開いていた。男は急いで中に入ってくる。それを解りながらも、何も出来ない自分に苦しく感じていた。
背中に温もりを感じる。
男は背中をさすってくれていた。
「大丈夫、大丈夫。ゆっくり深呼吸して。何も俺怖いことしないから。大丈夫。呼吸に集中して」
優しくて、大きな手で、懐かしく感じてくる。嫌なことがあった時に父がしてくれたような、あの温もり。
体の緊張が緩くなった。顔を上げて男を見る。優しそうな顔で、細くまだ若い男性だった。あの時の男とは違う。怖くない目だった。
「落ち着いた?」
背中から手を離した彼は、目の前に置いてあるピザを見る。
「懐かしい!ピザだ!」
「食べますか?」
気づいたら声が出ていた。
「ううん。大丈夫。俺、食べたら死んじゃうから。」
そうか、私以外の人達は、食事ができない。そんな病気にかかって、それが普通になっている。
「カロリレス症候群、なんですか?」
「そうだよ。昔はよくみんなそれで怖がってたよね。」
「私…、」
「でも、中ではそれになれなかった人がいるって聞いたことあった。皆が食べなくなったから、その人達を差別してるニュースが良く流れてたし。君もそうなのかな?」
「…うん。」
「ママとパパは?」
彼はテーブルに置いてある写真を見つめている。
「殺された…」
「だから怖がってたのか…大丈夫、なんもしないよ。香りに釣られてここに来ただけ。ほら、僕のせいだけど、ピザ冷たくなる前に食べな?」
目の前のピザを口に入れる。少しの雑念がすぐに消えていった。美味しい。すごく美味しくて、優しい味をしている。
隣にいる彼はただ、微笑ましそうに私のことを眺めていた。
「食事できるのいいな。」
「…なんでですか?食べなくても生きていけるのに。」
「生きていけるってより、生かされ続けてるとしか思えないよ。なんの楽しみもなく、こうして動けるんだから。」
「あ、そうだ。ちょっと待っててくださいね。」
何故か彼のために何かをしたくなってしまった。立ち上がってキッチンの冷蔵庫を開ける。まだ取れて使っていないトマトを見つけて、ミキサーにかけた。液状になったトマトをコップに入れる。このままだとトマト過ぎるかもしれない。少しレモンの汁を垂らして、サッパリさせてあげよう。そのまま彼の座る場所へ持っていった。
「これ。」
彼は目の前にあるものを見つめている。
「液体なら、水分なら取れるって、カロリレス症候群の人も水は飲むって聞いたから。」
彼は、ゆっくり口にコップの縁を付ける。一口入れて飲み込んでいた。
「…美味しい!すごく美味しい…昔食べたトマト…懐かしい」
彼は泣いている。どうしようと悩みながら、先ほどしてくれていたように背中をさすってあげた。
「…好きだったんだ、楽しかったんだよ、誰かと一緒に、他愛のない会話をして、ご飯を食べるのが…」
彼は私の頭を撫でている。左手の薬指に銀色の指輪がついていた。よく見ると首のネックレスにも指輪がある。女物のような細いものだった。
「…俺にも好きな人がいたんだ」
コップを持つ手が震えている。
「愛してた。でも、この世では初めてだと言われる病気にかかった。何も食べれない、何も口に入れられない。俺は彼女に食べれるようになにかできるように色々工夫した。最後にたどり着いたのは、ミックスジュースだった」
涙目で私を見つめている。優しく懐かしくそして、苦しかったと言わんばかりの瞳で。
「それを口にして、『おいしい』って。でも、周りの人達も感染していっていた。俺の愛する彼女は、ただそれが辛かったみたいで、自分で死んで行った。俺すらも苦しめたって手紙残して」
ありがとう、そう呟きながらコップの中のものを見つめている。私はどうしたらいいか分からなかった。けれど、
「ここに居て、ここで一緒に食事楽しんで…貰えたら…」
彼は居場所を探している。食事できない体で、食事をしたい心を抱いて生きている。
「…いいの?」
「私も、1人は…寂しいです。パパ、ママと、食べる食事が好きだった。誰かと美味しいねって言い合える場所が、時間が好きだったから。」
「ありがとう。」
彼がゆっくりとネックレスについた指輪を、私の写真の横に置く。やっと、居場所が出来たよ。そう伝えているようだった。
窓から優しい風が吹く。
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「今日は何を取るつもり?」
「あっちにいいのがあったの!でも、手が届かないから」
「どれ?」
「これ!」
私が指さす方向には赤く可愛い実がなっている。知恵の実なんて、大層な言葉をつけられているけれど、美味しいのなら食べてしまう。
「リンゴか!美味しそう、下でちょっとまっててね」
「うん!」
「これで何を作るつもりなの?」
「リンゴジュースと!アップルパイ!」
「楽しみだぁ!」
森の中で、命を貰って生きている。二人の命は、やっと自由で、楽しくて、美味しい時間に変わっていっていた。
命が尽きるまで、命を大事に愛し続けていく。
《〜完〜》
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