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「はー、疲れた」
俺はくそつまらない補習を終えて、帰りのバス停へと向かっていた。
日はとっぷりと暮れている。
赤点だったからと言って、こんな時間まで学校に居残りさせられるなんてひどすぎる。
「つーか、アイツら勉強してないとか言いやがって。赤点取ったの俺だけじゃねぇか……」
テスト前に一緒に勉強してないなんて笑っていた友人を恨めしく思う。
その言葉に安心して本当に勉強していなかった俺が悪いんだが……。
「ん?」
向かう先のバス停に先客がいることに気付く。うちの高校の女子の制服だ。
残されていたおかげでいつもと違う時間だからか、今日は一人しかバス停には人がいなかった。
そいつは、俺が来たことにも気付かずに空を見ていた。
知った顔だった。同じクラスの女子。
だけど、話したことなんか無い。たしか、こいつはいつも休み時間にも誰かと話すより本ばかり読んでいる。
まあ、地味系女子だ。
名前、なんだっけ。
俺は、そいつから距離を取った場所でバスを待つことにした。
まだバスが来るには時間がある。鞄からスマホを取り出そうとして、
「ちっ」
俺は舌打ちした。そういえば、今日はスマホを家に忘れたんだった。学校にいるときも何度か癖でスマホを触ろうとしてその度に無いことを思い出した。
さすがに俺の舌打ちで人が来たことに気付いたのか、地味系女子がこっちを向いた。クラスメイトのよしみなのか、ちょい、と頭を下げる。
俺もつられて下げてしまった。
俺の仕草にはなんのリアクションも無く、地味系女子は再び空を見上げる。
ちょっとくらい反応してくれ。
地味系女子はスマホもいじらず、空を見ている。
一体何を見ているんだろう。まさか、UFOでも現れてるんじゃないだろうな。
俺も思わず空を見上げる。
スマホを持っていたら、絶対そんなことはしなかったと思う。
それで、思わず呟いてしまった。
「うお、月、めっちゃキレイ!」
満月だった。
しかもめっちゃデカい。
地味系女子はこれを見ていたのか、と納得する。
と、地味系女子を見ると、彼女は俺を見ていた。
そして、
「だよね!」
にっこりと笑ったのだった。
月光が彼女を照らしていた。
あれ? と俺は思った。
全然地味な顔じゃない。
笑うとめちゃくちゃ可愛い。
月の光のせいだろうか。
そもそもこんなにも近くで彼女の笑った顔、見たことなかった。
顔を真正面から見たこともなく、彼女のいつもの雰囲気から勝手にただの地味系だと思っていた。
「って」
俺はあることに気付いてしまった。
そして、口走っていた。
「ちょ、今の、違うから、『月が綺麗ですね』とか、そういうのじゃないから」
「夏目漱石?」
彼女が首を傾げる。話が早くて助かる。
じゃなくて!
俺は何を口走ってるんだ!
が、彼女は続ける。
「ああ、国語で先生が言ってたよね。でもあれって、本当に夏目漱石が言ったかどうか信憑性は低いんだって。都市伝説みたいなものみたいだよ」
「へ、へー」
さすが地味系女子。
よく本を読んでいるだけあって、詳しく知ってらっしゃる。
この話を、赤点を取るような俺でも知っていたのは、今日ちょうど国語で先生が雑談のように話していたからだ。しかも、たまたま授業を聞いていて、柄にもなく詩的でちょっといいじゃんとか思っていたからだ。
それをまさか、当日のうちに言葉にしてしまうなんて!
少し言い回しは違っても意識してしまうのは仕方ない。
「でも、ロマンチックだよね。アイラブユーの代わりに『月が綺麗ですね』なんて」
夢見がちに、彼女は言う。
恋に恋する乙女というやつだろうか。
そんなところも可愛く思えてくるのは気のせいか。
なんて、思っていたら彼女が急に慌てたようにばたばたと手を振った。
「って、あのね。私に愛の告白なんて、あるわけないからすぐわかるよ。だから大丈夫」
あはは、と少し照れたように彼女は笑った。
それから、再び空を眺める。
「でも、本当に綺麗な月だよね」
そう言う彼女の横顔はやっぱりキレイだった。
「お、おう」
俺はそう答えるだけが精一杯だった。
◇ ◇ ◇
次の日から、教室で彼女を見掛けるだけで俺の心は高鳴った。
ただの地味系女子だと思っていたのに。
あの夜は月のせいでキレイに見えていただけかと思ったけれど、どうやらそうではなかったらしい。
『月が綺麗ですね』
そう伝えたら彼女は理解してくれるだろうか。
いや、多分また笑い飛ばされてしまうだろう。
あの時は、ただの事故なのだが……。
それなら、今度は夏目漱石の言葉じゃなく、俺の言葉で伝えよう。
全く詩的じゃなくても、俺の気持ちが伝わるように。
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