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あれ? あの女の人、僕に向かって手を振ってるのかな。まるで、『おいでおいで』をしているよう。
彼は、道の向こう側にいる女の人に引き寄せられるように。車道に出ようとして足を向けた……
「バウ! バウ!」
「ダメ、そっちに行っちゃ!」
彼の袖をヒシっと掴んで離さない女性の声と、足元で大きく吠える犬の鳴き声で、ハッと彼は気がつく。
ここは交通量が多くて事故が多発する場所だと。
そして改めて道の向こうを見ると、そこには小さな花束が置かれているだけで、女の人はいなかった。
「どうしたの君? まるで引き寄せられるように、車がビュンビュン走ってる道路に出ようとするなんて」
「あ、ありがとう。向こう側の人に呼ばれてる気がして、つい」
彼は、道路の向こうをチラチラ見ながら、袖をしっかりと掴んで離さない女子に返事をする。
「え、もしかして君って見える子なんだ。ここは『気』が淀んでて危険だから、早くここから離れよう」
彼女は意味のわからない独り言を呟くと、彼の袖を引っ張るようにして、犬と一緒に通りの反対方向にある公園に向かって、そそと歩き始める。
* * *
彼女は、同じ高校の隣のクラスの女の子だった。
実は前から気になって仕方がなかったんだよね。彼女を見るとドキドキが止まらない。胸がキュっと締め付けられて、冷や汗が背中を垂れるんだよ。コレが恋? なんだろうね、きっと。
でもさ、何故か彼女の前まで行くと足がすくんで声をかけられないんだよ。やっぱり、恋心って凄いよね。
そうやって悶々としてたら、なんと飼い犬を散歩中の彼女と偶然に出会えちゃうし。これは、なんてラッキーなんだろう。
だってさ、僕っていつの頃からか不運に好かれちゃう体質になっちゃって、いつも悪いことばかりに出会うのに。
それが憧れの彼女に声をかけてもらって、まるでデートみたいに歩けるなんて夢のようだよ。
このままいつまでも、ワンちゃんのように散歩について行きたいぐらい。
* * *
うわー、ラッキー。
やっと彼に声をかけられた。
隣のクラスにいるのは知ってたし、彼が私に近づこうとしてたのは薄々気がついてたんだけど。
でも、彼は一向に声かけてくれないんだよね。
やっぱり女の子から声をかけるのって、すんごく勇気がいるんだもの。それに、そもそも、私には彼に言えない負い目があるし。
だからこそ、彼が声をかけてくれるのを、今か今かと待ってたのに。彼ったら、私の前に来ると蛇に睨まれたカエルみたいになって震えちゃうんだもの。そんな状態で私から声をかけたら、それこそハラスメントになっちゃう。
だからこそ、こうやって偶然に彼を捕まえて会話できるチャンスが巡って来たなんて。これも毎日散歩に連れていく犬のコマちゃんのおかげかな。こんど、おこずかいを前借して高級ドッグフードをプレゼントしないとね。
──そう、あれはまだ私たちが幼かったころ。
神社の境内が遊び場だった私は、本殿で遊べないうっぷんを晴らすべく、裏手にある古くて小さな祠を自分の隠れ家として、好き勝手に使ってた。
そんなある日。
絶対に触るんじゃないぞ、とおじいちゃんからキツく言われていた、古いお札が貼ってある壺から声が聞こえる気がして。つい出来心で剥がしてしまう。
そして現れた黒い塊から、逃げるように境内を走りまわってたら偶然通りかかった男の子と衝突しちゃうし。
黒い塊が倒れた男の子にスーッと吸い込まれていくのを、私はただあぜんと見てるしかなかったの。
それ以来探し続けてきた男の子が、今、私の掴んだ手の先にいるんだもの。
このままデートして……いやそうじゃなくて。早く除霊してあげないと。
* * *
彼らはお互いを意識するようにチラ見しながら、公園を抜けて、その先にある神社に向かう。
「あれ、このままだと神社に入っちゃうよ。確か犬は『穢れ』とかで、神社のような神聖な場所には入れないんじゃなかった?」
彼は不思議そうに彼女と犬を交互に見る。
「えへへ。それはね、ダイジョウブなの。だってこの子は、神社の守り神だもの。それに、危ない君を見つけてくれたのもこの子だしね」
彼女が犬にかけられていた紐を外すと、犬は境内の入り口にある空の台座にぴょんと飛び乗ると。
「バウ、バウ」
吠える声を合図に、台座の上の犬は神社で良く見かける狛犬の像にあっという間に変わる。
「ね、そう言うわけで、私は狛犬のコマちゃんの散歩がかりなんだ」
彼女は狛犬の変身を確認してから、振り向いて彼を恥ずかしそうに見る。
「で、実は私。き、君に大事なお話があるんだ。チョットだけ私の家の中に来て、くれるかな」
「え、そんな。まだ知り合ったばかりなのに、いきなり君の家に上がるなんて」
彼の背後には、黒い影がたちのぼる。
台座の上の狛犬の像は、目だけがギラギラとして黒い影を睨みつける。
彼と彼女の交際は、まだ始まったばかり。
(了)
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