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(だいじょうぶ。きっと、だいじょうぶ……)
そうっと深呼吸。あなたの胸中は思いのほか凪いでいる。それはかれの返事が前向きなものだろうと自惚れているわけじゃなくて。これまでのこと――たくさん笑いあったり、それに敵いっこない、稀有な怒ったり泣いたり。……出会ったばかりのとき、ふたりはランドセルを背負うくらい幼かったというのに。
たとえるなら、当たりまえの通じない異星人。運命がいたずらしなければ、けっして交わらなかった座標軸の者同士。さいしょは「あいての世界」にふれたくて頭を悩ませてばかり。興味のないフリして、可憐な嘘をひねくり回さなくちゃいけなかった。……それなのに。
いつからだろう。いまはもう、会えないときに理由が必要なくらい、毎日のなかに息づいているかれ。思い出たちが証明してくれる、「ふたり専用の結びつき」。
これからも孤独な一方通行の感情を抱いて、かれの側にいるくらいなら。いっそのことあらいざらい打ち明けたほうが楽になれると天秤にかけた、あなたなりの覚悟。
あなたは胸もとで空書きをする。文字にならない文字をさらさら編んでいく。しなやかで薄い、繊細な指。幼いころから手紙を書く趣味をもつあなたの、没頭して考えごとをするとき限定、ほとんど無自覚な手癖……。
とはいえ、お目当ての記憶をサルベージするのは、蝶結びをほどくのとおなじくらい容易かった。あれは去年の二学期、球技大会前日の帰り道。憂うつな黄金色の景色のなか、あなたがハート模様の田んぼをみつけ、「ねえ、あれ見て。ほら――」と、かれのブレザーの袖をあなたが引っぱった日のこと。
ボックス席のとなりで読書をしていたかれの視線が、あなたの指さす方角にむく。ゆっくりピントが合い、「ああ」とか「んー」とか、気の抜けた不明瞭な返事をはさみ、それから――あなたをとりこにする――眩しそうな笑みをうかべて、
「こういうのが、《《ほんとうのさいわい》って呼べるのかな。一生に一度の奇跡じゃなくて、もっと些細でありふれてる、日常のそばでかんじられるような」
亜麻色の長い髪が頬にかかり、あなたの表情をかくすけれど。かれは何となく察していた。会話のリズム、ふざけた影のゆれ方。いつだって相合傘のパーソナルスペース。おたがいに心をゆるしているから、距離感が迷子になって肩をぶつけあうなんて日常茶飯事。
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