1 常闇の〈蝦夷地〉

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1 常闇の〈蝦夷地〉

 (サウス・ポイント)を目指して村を出発してから、1か月以上が経っていた。  永遠の闇に閉ざされた〈蝦夷地〉の原野は、今日も煌々と輝く月の光で妖しく照らされている。いまは9月初旬なので雪もそれほど深くはないけれど、これから冬になるにつれて桁違いの積雪になる。その前になんとしても、〈蝦夷地〉を縦断してサウス・ポイントに辿りつかなければ。  零下20度を下回る酷寒と何時間もスキーで雪を蹴ってきたのが災いし、いよいよ意識が朦朧としてきた。経験上、これは危険な兆候である。距離をあまり稼げていないが、今日はここで野営しよう。  犬ぞりを曳いている秋田犬のホープに止まるよう合図をし、バックパックから組み立て式の簡易テントを引っ張り出した。慣れたもので、組み立てには分厚い手袋をしたままで5分もかからない。敵意をむき出しにした〈蝦夷地〉の夜気から、束の間の逃避行だ。 「よしよし、今日もよく頑張ったな」  ホープも中へ入れてやり、凍りついた毛をタオルでくるんでやる。夏でも外気温度が氷点下20度を下回る〈蝦夷地〉では、濡れた身体でいることは即、死を意味する。  乾燥した衣類に着替え、相棒と一緒にシュラフへ潜り込む瞬間だけが至福のときである。身体は冷え切っており、震えはいつまでも止まらない。それでも疲れから、やがて気を失うように眠りに落ちた。  翌朝(もちろん単なる概念であって、依然として外は夜の闇に閉ざされている)、わたしたちは渋々シュラフから這い出した。今日も今日とて闇夜のスキー行脚である。  空を見上げると、満天の星々が輝いていた。月が昇っていない昼のあいだは天の川の灯りを頼りに進まざるをえない。月に比べれば明るさはずいぶん乏しいものの、曇天になって空が隠れされていないだけましである。いまでは暗順応が進み、この程度の照度であれば支障がなくなりつつあった。  身を切る冷風のなか、ホープと一緒に一心不乱に雪面を蹴る。わたしも相棒も、さすがに蹴り足が鈍り始めていた。昨晩なにも口にしていないのだ。  出発から1か月、すでに食糧が尽き始めていた。
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