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幼稚園児の息子の手を引いて、夜道を歩いている。
今夜は丁度満月だ。私と息子の二つの影、大きいのと小さいのが、月明りに照らされた路面の上で、伸び縮みを繰り返しながらついてくる。
と、息子が突然、変な動きを始めた。路面の上をやたらめったら足で踏みつけている。小さな体重が路面の上で跳ね回る、パタパタという軽い音がする。
「何をしてるの?」
「うん、自分の影を踏もうと思ったんだけどさ。自分の影って踏めないんだね」
子供らしい発想に思わず吹き出してしまう。
「あはは、それは無理だよ。自分の足と一緒に動いちゃうからね」
「やっぱり、駄目かあ。パパでも出来ない?」
「それは無理だねえ」
がっかりしたような顔をする息子が可哀想になって、こう言ってみた。
「じゃあ、そのかわりパパの影を踏んでごらん」
「本当?」
途端に息子の表情が明るくなった。
「ああ、いいよ」
「ようし」
妙に興奮した息子が、思い切り私の影の上で飛び跳ねる。
「えい、えい。このパパめ。こうしてやる。えい、えい」
「わあ、やめてくれえ」
嬉しそうにはしゃいでいる息子の姿が微笑ましい。
「痛いか、痛いか。えい、えい」
「痛い、痛い。やめてえ、助けてえ」
気が付くと、つい、子供の他愛もない遊びに本気で乗ってしまっている自分がいる。やっぱり、自分の血を分けた子供は可愛いものだ。
と、突然、息子がおとなしくなった。何やら俯いて黙り込んでいる。
「どうした?影踏み、もうあきちゃったの?」
「そうじゃないの。でも……」
何やら妙に固い顔をして、口ごもっている。
「どうした?何か気になるのかい?」
月夜とは言え、夜道の真ん中だ。側には真っ暗な森もある。何か怖いことでも思い出したのだろうか。
「大丈夫だよ。怖いことなんかないよ」
「だって、その子がいるから」
「その子?」
息子の発した言葉に驚いて、思わず辺りをキョロキョロ見回す。子供がいるのか。だが、子供はおろか、私と息子以外には野良猫一匹見当たらない。戸惑う私に向かって、
「そこ」
息子が私の足元を指差した。
目をやると、長く伸びた自分の影。その背中のあたりが、なにやら盛り上がっているように見える。よく見ると、別の小さな影がくっついているように見える。
「その子を踏んづけちゃ可哀想だから。だからパパの影踏めないの」
私は突然思い出す。だって、あれは連れ子だったんだから……血を分けた子供じゃなかった……いっこうに自分に懐こうとしないあの目つき……もうイライラして限界だったんだ。誰だってそういう気持ちになるだろう……「痛い、痛い。やめてえ、助けてえ」……うるさい!お前を産んだ母親も立派に死体遺棄の共犯だ。あいつは俺とくっつくために、お前のことなんか、とっくに見捨てていたんだよ!さっさと成仏しやがれってんだ、クソガキ!
「僕のことは殺さないでね」
月明りの中で息子が微かに笑う。私の背中が突然重くなった。
[了]
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