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外はすっかり日が暮れて、星が瞬いていた。暖房の効きすぎで暑かった店内との温度差に鼻がツンと痛む。
頭一つ分背の高い渉の横を歩きながら、そっと見上げた。
意外と筋肉質な腕、少しうねりのある赤茶けた髪。上下に動く突き出た喉仏。
そしてあの特別な、虹色の瞳。
渉が突然こちらに向いた。視線が交わったので、どきっとして逸らす。
「答えを教えてよ」
言われた当初は何のことかさっぱりわからなかった。しかしすぐにあの鏡嫌いの男の話かと思い立ち、
「ああ。あれね。鏡を見る時って無意識に顔を作るだろ。画面の消えたモニターや、カップの中の紅茶は映さないよそ行きの顔だ。男はそれが嫌いだったんだ。誰もが鏡の前では、見られるための顔を作ってしまう。他人にこう見られたいって願望が透けて見えるようで、すっごく気持ち悪いんだってさ」
と答える。
「その言い分だと、憎むべきは鏡じゃなくて人間だろ」
渉は唇を尖らせる。その仕草が子供のようで可愛らしく、僕は思わずくすっと笑った。
「そいつも自覚はしていたよ。でも男は鏡のせいにしたいんだ。鏡を見る全ての人間を憎むわけにはいかないからね」
「とんだ責任転嫁じゃないか。憎いと思ったら、憎んでしまえばいいんだよ。それが例え世界中の人間でも、血のつながった家族でも、心から大切な友人だったとしても」
僕はもう一度、彼の瞳を盗み見た。
渉と同じものが欲しい。何を好み、何を嫌い、何を感じているのかを知りたい。あの瞳の奥に、何を映しているのか、何を見ているのか知りたい。
今なら、それを望んでもいいのだろうか。
渉に愛される世界。渉の隣に立つことを許される世界に行きたいと、願い続けていた夢が叶った、今であれば。
「あっ」
僕は突然歩き方を忘れた。
今までどのように足と手を動かしていたのか急に分からなくなったのだ。交互に動かしていたっけ。それとも同時?どの筋肉を動かして、どうやって歩いていた?ギクシャクとぎこちなく体を動かしながら渉を追う。
僕の意識は完全に、渉と繋がった右手に集中していた。顔が燃えるように熱い。喉まで飛び上がるほど鼓動が響き、一言でも発したら口から心臓を吐きだしてしまいそうだ。
「店にいる時から様子がおかしかったのは、これが原因だろ?」
振り返った渉が笑う。
慌ててあたりに視線を向ける。幸い周りに人はいない。
僕は真っ赤になった顔を隠すように俯いた。
人通りのない夜道は、二人の距離を近づけた。指を絡ませて密接した手が、寒空の下でも燃えるように熱い。
かなり手汗をかいてしまった。気持ち悪くはないだろうかと渉に視線を向ける。渉も少し照れたように笑うので、喉の奥で変な音が鳴ってしまった。
手汗がひどい。今すぐにでもハンカチで拭きたいくらいだ。それか、あそこの水飲み場で汗を流したい。指の先や爪まで丁寧に洗って清潔に乾いたところで、願わくばもう一度指を絡ませて歩きたい…。
僕たちは全く同時に発言した。
被った渉の言葉はしっかり聞き取れていたのに、理解が追いつかず、僕はただひたすら「え?」と繰り返した。渉は悠然と微笑んでいる。
繋がった手に力を込める。
心臓は相変わらず喉元まで飛び跳ね続けた。
「家においでよ」
渉が立ち止まって振り返り、僕のはちきれんばかりに動く心臓のあたりを人差し指でとん、と触れた。続く言葉に、拳銃で撃ち抜かれたような衝撃が走る。
「君もそれを、期待してるんだろう?」
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