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佐々木佳乃子が療養している家は、ここから近い立派な一軒家だった。
淡いクリーム色の壁と、青色の屋根が物語に出てきそうなメルヘンチックな造りである。2階に見える出窓には、小さな鉢植えとレースのカーテンが見えた。
絵梨奈がインターホンを押すと、シモダは慌てて胸元のボタンをきちんと閉め始めた。印象が悪いとは自覚しているらしい。
絵梨奈がインターホン越しに事情を繕って話している間に、シモダは僕を肘で小突いてきた。
「ついて来てくれないかと思ったぜ。急に興味を持ち始めたな。お前も選ばれし者としての自覚が芽生えてきたようじゃないか」
僕は何も言わずに肩を竦めた。正直な理由は、絵梨奈に味を占めたからである。佐々木佳乃子も一体どんな美人だろうと気になったのだ。集団パニックのことなどどうでもいい。
「お母様、開けてくれるって。よかったわね」
絵梨奈は振り返って、にっこりと微笑んだ。道中で買った見舞いの品を、僕は姿勢を正して持ち直す。
佳乃子の母親は美人だった。
物腰も柔らかく、自分達を歓迎する言葉の端々に育ちの良さがうかがえた。品のあるタイトスカートとブラウスは上等なもので、化粧も年相応にしっかりと、それでいて自然な発色をしている。
僕は失礼のないように手土産を渡しながら、佐々木佳乃子に期待を持つ。母親の血を色濃く継ぐならば、絵梨奈か、それ以上の美人だろう。
そしてその予想は、的中した。
僕はパジャマ姿のままベッドの上で書きものに興じている佐々木佳乃子を見て、ここまで足を運んだ甲斐があったと静かにため息をついた。
うねうねと自然に伸びる髪は茶色く、少し丸まった背中に流れている。ちょんと突き出した唇は血色のいいピンク色で、療養中とは思えないほど健康的に見えた。
「佳乃子ちゃん。お友達が来てくれたわよ」
母親が声をかけても、彼女は構わず一心不乱にノートに何かを書き込んでいた。
絵梨奈がおずおずと覗き込んで、「ひっ」と息を飲む。僕もその背後から覗き込むと、全く同じ記号がいくつも、ノートの端から端までびっしりと埋められている。
丸の中に、アルファベットのUの字のような、もしくは顔のない簡略化された笑顔のようなマークだった。
「ねえ」
僕はそのノートに視線を奪われていたせいで、佳乃子が呼んでいるのに気づかなかった。再度呼ばれて顔を上げると、彼女は確かに僕に向かって「こっちへ来い」と手招きする。
「あなたにも必要よ。手を出して」
右手を差し出すと、彼女は下に手を添え、ボールペンの先を手の甲に滑らせた。
丸を書いて、中にアルファベットのU。
手の甲にそのマークが浮かんだ瞬間、僕は、求めていた女性は佳乃子なのだと悟った。
彼女こそが、誰よりも美しく、誰よりも真っ当で、そして誰よりも渉に近い女であった。
僕はそう気づくといても立ってもいられなくなり、すぐさま彼女を抱きしめて口付けたい、このベッドの上で本能に身を任せたいという欲求に震えたが、どうにか理性を味方につけ、ゆっくりと息を吐いた。
「ありがとう」
「これであなたも大丈夫ね」
佳乃子はにっこりと笑うと、再度作業に取り掛かった。
「これは、何のマークなの?」
絵梨奈が無粋な質問をするので、僕はキッと睨んでやった。佐々木佳乃子という素晴らしい女性を見つけた手前、絵梨奈は僕にとってその他の石同然に成り下がったのだ。
「嬉しい印よ」
佳乃子はにこりともせずに答えた。
「ニコニコ笑ってるってことかしら。もっと説明してもらえる?」
馴れ馴れしくマークの浮いた手に触れる絵梨奈を、僕は冷たく振り払う。
「やめろ」
自分でもゾッとするほどの低い声が喉から出た。凍りつく絵梨奈の表情に、僕は努めて笑みを見せ、取り繕う。
「聞いても説明なんてしてくれないよ。それどころじゃないのは見てわかるだろう。佳乃子はいま、素晴らしい作業に勤しんでいる。また後日、落ち着いたら来ようじゃないか」
「ええ。そうしてくれる?」
佳乃子はやはり手を止めずに、そう言った。
「今、忙しいの。これが終わったら連絡するわ」
「電話番号を書いておくよ。気が向いたらでいい。声を聞かせてくれ」
僕は佳乃子の勉強机から適当にペンを取り出し、ふっくらと柔らかい彼女の手の甲に番号を記載した。彼女はちょっとくすぐったそうに肩を竦めたが、すぐに作業に取り掛かる。
僕はちょっとだけ彼女の髪を撫で、背後にいる母親と、二人に分からないようにそっと囁いた。
「僕は君を抱きたい」
「これが終わったらね」
彼女は事もなげに答えた。
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