雪女に赤い花束を

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 普通はその場に留まって雪が小降りになるのを待つべき状況だが、背中で痛みに耐えきれずうめき続けているあごひげの男の事を考えるとそうもいかなかった。 「くそ、進むしかねえ。下に向かって歩きゃ何とかなるだろ。おい二人とも横から俺の体支えてくれ」  女二人は「分かった!」と叫んで左右から金髪の男の腰を手で支える。4人がさらに前に進もうとした時、突然凛とした声が響いた。 「そっちはだめ!」  驚いた金髪の男と女二人が辺りを見回す。斜面の下の方から何か黒い物がこちらに近づいて来るのが見えた。  それは女性の長い髪だった。小柄な若い女性がまっすぐに4人の方へ歩いてくる。その全身が見えた時、金髪の男と女二人はハッと息を呑んだ。  あまりに場違いな服装だった。その女性は冬物ではあろうが、一重の和服を着ていた。模様が一切無い白い着物を灰色の帯で留め、足元は白い足袋。形はスニーカーに似ているが、太い藁で編んだ雪沓(ゆきぐつ)という古風な履物。  最新式の防寒スキーウェアを着ている4人でさえ震える寒さの中、その女性はそんな軽装で長い黒髪を強風になびかせながら、しっかりした足取りで歩いて来た。そして彼らに告げた。 「その方向に降りて行くと沢に落ちますよ。雪で覆われて水面が見えませんから危険です。あのゆるやかな斜面を一度登った方が早く人がいる場所に着けます」  着物の女性は懐から鮮やかな赤の組紐を取り出し、それを広げて端を手渡した。 「これを握って私の後についてきなさい。私が安全な所まで案内します」  数秒呆気にとられていた彼らは、ハッと気を取り直し、赤い組紐を金髪の男と女二人でつかんだ。 「では行きますよ」  着物の女性が足を前に踏み出す。スキー客の若者たちは組紐に引っ張られるように、少しずつ前に進んだ。  斜面がゆるやかになっている場所があり、その狭い道を登ってスキーコースの近くまで登る。未だに激しい風と雪が吹き付ける中、着物の女性は時折雪を振り払うために長い髪を片手でかき上げる以外は、まるで晴天の下を歩いているかのように、迷いのない足取りで見えないスキー場の事務所棟の方へ歩いて行く。  ほとんどホワイトアウトと言っていい激しい降雪の中、4人は着物の女性の組紐に導かれて姿勢を低くして必死に歩き続けた。  何十分経っただろうか、ようやく真っ白に閉ざされた視界に、スキー場のパトロール小屋らしき建物がかすかに見えてきた。  着物の女性が先に建物にたどり着き、戸を叩いて顔を出したパトロール隊員たちに事の次第を告げた。  パトロール隊員たちが飛び出して来て、4人のスキー客を保護した。パトロール小屋に4人は入り、ソファの上にあごひげの男の体を寝かせる。  中年のパトロール隊員が電話を掛けた後、金髪の男と女二人に告げた。 「もうじき救急車が来る。多分骨折してるが、命に別状はないだろう」  金髪の男が振り向いて着物の女性に礼を言おうとした時、小屋の扉が開いて強風が中に吹き込んで来た。  あの着物の女性が戸を開いて外へ出て行こうとしていた。パトロール隊員が思わず叫んだ。 「ちょっと、あんた。どこへ行く気だ? 外はまだ猛吹雪なんだぞ」  着物の女性は上半身だけ振り向いて、雪と見まがう、という表現がピッタリの白い肌の顔を向けて言った。 「ご心配なく。長年この近くに住んでますから、雪には慣れてます。それではお大事に」  そして本当にそのまま猛吹雪の中に去って行った。パトロール隊員が扉に駆け寄ってもう一度戸を開け、呼びかけようとした。 「ちょっと待ちなさい、あんた。いくら地元の人間でも、この悪天候は……」  その声は途中で途切れた。ほんの数秒前に出て行ったはずの、あの着物の女性の姿はもうどこにも見えなかった。横なぐりに舞い散る降雪で、パトロール隊員でさえ視界が利かない。  彼があきらめて小屋の中に戻ると、そのやり取りを見ていた金髪の男がぼそっとつぶやいた。 「まるで、雪女だ」
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