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2024/08/15
部屋全員で夏風邪をひきまして、部屋から必要以上に出たらダメというプチ隔離を食らっている。喉が激しく痛くて熱が出るかと思ったが、漸く落ち着いてきた。
未知乃は体調が悪いと食欲が盛り盛りとなる。飲み込むときに喉が痛いと思いながらも、がっつり食べて、その後胃の調子が悪くなるというアホな仕様となっていた。
さて、今回は「心を動かす」である。
心が動いた瞬間を、感動したという言葉で表したり、最近ではエモいという。エモーションが語源であるから間違いではない。俗語というだけだ。
では、自分から心を動かすというのはどういう時だろう。
日常生活の喜怒哀楽、まさにこれが当てはまるのではないかと思う。
これは心が動いた結果ではなく、心を動かした結果に起こる強い感情ではないだろうか。
心が動くというと受動的だが、心を動かすと表現すると、途端に能動的な響きとなる。
何かが起こり、興味や衝撃を覚え、自らの意思で心を動かそうとする。若しくは、心を動かすことで何かが起こる。
人は様々なコトを見つけては、気付かぬうちに心が動くように行動しているように思う。そうして、色々な刺激を探しては、心を揺さぶるようなことを覚えて、その結果、自分で心を動かして、心の糧や心の栄養を得る。大事なのは、自分から何かを取り入れようとすることであり、それらは自然に体や心に入ってくるものではなく、意識的に行動を起こす、つまりは心を動かすことによって得られるものだろう。そうして心が動くのを待つのではなく、自分から探し求めていくことが大切であるはずだ。
心が動くというのは、どんなに強い衝撃だろうと、持続するものではないように思う。方や心を動かすという行為は、意志があれば継続し続けることが出来る。受動的と能動的の違いはここにあると思う。
人は様々な事や物に触れ合う機会を探しながら、常に心を動かして息をしているのかもしれない。
若しくは、息をするように心を動かし続けているのかもしれない。
さて未知乃、遂に書き溜めた小説をスマホで打ち込むことを諦めた。手書きで必死に推敲している。退院したら一気に打ち込むつもりだ。三十分のスマその時間で打ち込めるのは五百字程度、何万字と考えると途方に暮れる。
掌編などを書いた暁にはちゃんと打ち込んで公開しようと思う。
では、皆さまへの感謝をここに記して、失礼。
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