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2024/08/08
暑い暑い云うけれども、熱中症対策で、病棟は寒いくらいだ。昨日外出した感想は、「外は暖かい」である。存分に温まってサーティワンを食べようとしたら、夏休みのせいで食べるところが見つからず断念した。
さて、哲学をしてみた。タイミング的にここでお披露目より先に主治医に見せたのだが、好評だった。
議題は「自由の選択」、ではどうぞ。
生活の豊かさに関係なく、大抵の人は何かしらの趣向を持っているだろう。そうして、一部の人間はそれらを探究していく。その探究心が豊かな生活を実らせるのかもしれないが、それは一部の人たち、ほんの一部の人間に限られる。その他大勢の人達は、時間がない、金銭的に余裕がないという理由を正論化して、自分を豊かにする機会を切り捨てる。何故なら、それは義務ではないからだ。
興味の選択、探究心の方向性、全て自由なはずなのに、人は不自由だと訴える。あるいは、自身が選択した事由を義務化して縛り付ける人もいる。
自由というのは、義務ではない。選択を許されたものである。選択したそれらを「しなければならない」と感じた時点で、それは自由とはいえなくなるのではなかろうか。自由を上手に扱う人は、心を豊かにする力のある人だと思う。心の豊かさと生活の豊かさは比例するものではないのかもしれないが、貧しかろうと、生活に豊かさを感じる人もいるだろう。しかし、「しなければならない」と思った時点で、豊かな生活を手放すことにつながるのではないか。自由というのは、あくまで必ず求めなければならないものではない。義務と自由は、同一になることはない。絶対に重ならないものである。
では、義務とはいうのは、何を指すのか。束縛することではないのは確かだ。何故ならば、自分を束縛することで悦びを感じる人もいる。それはまさに自由に在るといえるだろう。好むものに没頭し、深めていく行為は、どんなものであれ自由と言えるだろう。そうすると、人間の義務とは、自由を求めるか否かの取捨にのみに在るのかもしれない。しかし、人には自由を選択する自由がある。それは本来、義務ではなく権利である。人間は自由に生きるという義務を持たない。あくまでこれは権利である。
義務と感じている限り、自由を手に入れることはできないだろう。
主治医から来たコメントは「真理を見つめる力がありますね」だった。
実は、小説を書かなきゃ、何かをしなきゃと思う自分を手放したくて書いたものである。たくさん書いても今は打ち込むことはできなくて、でも書きたい。しかし書きたくても筆が進まない。そんなことを思っていたら、制約はあっても、未知乃は意外と自由なのだと思ったのだった。
ノートは十冊を越えて、かさばるからルーズリーフに変えた。
哲学することが未知乃は好きだ。というわけで議題、募集中である。
では、皆さまへの感謝をここに記して、失礼。
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