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地上45階建、屋上ヘリポートのある最高部までの高さ212.77メートルの超高層ビル――オークラホテルも入居する浜松市のランドマークで、静岡県最大の高さを誇るアクトタワー。
外観は音楽の街らしく、ハーモニカを象って造られたという。
そんなタワー内、街が一望できる地上三十階にあるホテルラウンジ近く。
藍と白を基調にした女子トイレの一室で、私は名前も知らない男とセックスしようとしているのか。
この状況に一番驚いているのは他でもない私自身だった。
どう考えても普通じゃない。
ちゃんと理性が働くことができたのなら、絶対にこんな選択をしなかった。
積もっていく自分への嫌悪感に耐え切れず、私は瞑っていた目を開き、唇を重ねる男を見た。
長いまつ毛に覆われた栗色の瞳が目と鼻の先にある。
ラウンジで話しかけられたときに彼の目に走った憂鬱そうな影を見たけれど、息を潜めているのか、今は見つけることができない。
そんな私の思いなんて知ることもなく、彼は何度も私の唇を奪っていた。
グロスをたっぷり塗った唇から、堪えきれずにまた吐息がこぼれる。
甘くなんかない。
なのに、男の唇は溶けるほどに熱い。
初めて声を掛けられたときみたいに、私をなし崩しにしてしまいかねない危ういキス。
リズムよく繰り返されるそれは手足の指先をじんじんと痺れさせ、体の力が奪われそうになる。
すると今度は彼の指先が私の首すじをかすめて、黒いワンピースドレスの細い肩ヒモに達すと、するりと撫でるように落とされた。
そのままドレスの外へとこぼれた胸へと、指先が滑らかな円を描きながら乳房の輪郭をなぞっていく。
唇を引き結んだ。
声を押し込む。
それでも耐えきれずに懇願にも似た声が漏れてしまう。
彼を見れば、うっすらと口元に笑みが見えた。
心から楽しんでいるようなほほ笑みにほぞを噛む。
――楽しむな。
心の中で言い放って、彼の視線から逃れるように天井を見上げながら歯を食いしばる。
「我慢しなくていいよ」
艶やかで澄んだテナーの響きが耳元でする。
――いやなヤツ……
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