chord 34 心、重ねて

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 一方的に話が進む。  初めて彼と会ったときもそうだった。  私の話なんか聞かないでリードし続ける。  彼と通話したまま周りに目をくべるけれど、彼らしい人物をどうしても見つけられない。  どこにいるのだろう。  疑問と不安を抱えたまま、言われたようにグランドピアノの前に座る。  試し弾きが可能になっている。  定期的にメンテナンスもされているから、ピアノの上には埃ひとつ落ちていない。  艶やかな光沢を放つピアノを前に一呼吸置く。 『傍で聴いてるから。瀬奈さんの思うままに弾いてみて』  スマホを耳から離す直前に、晴翔の囁きが聞こえた。  そっとピアノの上にスマホを置く。  もちろん、言われたまま通話状態を保って。  鍵盤の上に指を乗せる。  一年前の発表会のときに何度も弾き込んできた曲。  楽譜がなくても身体が覚えているのは確かだ。  そしてなにより、晴翔と初めて一緒に弾いたもの。  彼の音をまだ私の耳は覚えている。  だから自信を持って弾ける。  イントロ部分のカデンツァ。  指をしなやかに走らせる。  ハープでの演奏の場合は奏者の自由なアレンジが加わりやすい部分を私は思いきって強い音で弾いていく。  イントロから繋がる主題に移るときには音を小さくする。  三拍子のワルツのリズムは一拍目を長めに、二拍目、三拍目は短く切っていく。  前半部分を抑え目にして、徐々に盛り上げる。  華やかな宴へ誘うように。期待感を膨らませて――  彼への気持ちを指先に乗せる。  傍で聞いていると言った。  それならば、届けたいと思う。  彼を好きだと思う気持ちを精一杯、丁寧に一音、一音に乗せていくのだ。
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