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頭の中でイメージする。ドレスアップした晴翔と一緒に、クルクルと円を描いてステップを踏んでいる様を。まるで本当にダンスをしているかのように体全体でリズムをとり、ダンパーペダルを踏み込む。
手がクロスする。でも、少しもぶつからなかった。彼がどう演奏したいのか、次にどうしたいのか、なにを表現したいのか。驚くほどわかるから、考えるよりも前に体が、指が動いていた。
共鳴した音がコンコース中に響いていく。まるで岩にぶつかって弾けた波しぶきが大きく広がって飛んでいくように――
周りは人だかりで壁ができていた。皆が固唾を飲んで演奏に聞き入っている。
「最後までしっかり……気を抜かないで……」
フィナーレに向かって駆ける。
心、重ねて――!
鍵を打つ。
重なり合って膨らんだ音が波紋のように余韻を広げていくと、怒号のような拍手の音が静寂を切り裂いた。
彼の体が私から離れるや否や、私は振り返った。
「はる……」
最後まで声にならなかった。
彼がいた。彼だとわかってはいたけれど、確かめずにはいられなかった。
夢なのか、現実なのか。
パリへ行ったと思った人が、確かに目の前にいて、ほほ笑んでいた。
彼に会いたかった気持ちが堰を切って溢れだす。
しっかり彼の顔を見たいのに、涙が溢れ出る目では滲んでしまってよくわからなくなってしまっている。
――とまれ! とまれ、涙!
漏れる嗚咽をなんとか落ちつかせようと歯を食いしばる。
両手でぐいぐいと涙を拭う。
なのにとまってくれなくて、私はうつむいた。
彼に言わなければ。ちゃんと、自分の言葉で、届く声で、距離で伝えないと。そう思ってうつむいた頬に彼の指先が当たった。
ハッとして泣いたままの顔を上げる私を彼はしっかり抱きしめた。
鼓動が聞こえる。
心地よい体温にくるまれる。
「好きだ」
耳元でハッキリと晴翔の声がした。
「あなたのことがずっと好きだった。ちゃんと気持ちを伝えたくて戻ってきたんだ」
スーツに皺が寄るくらい強く、私は彼を抱きしめ返した。
「私も……私も晴翔が好き! 大好きよ!」
彼に伝えた途端に、心の中のつかえがすべてなくなった気がした。
彼は腕の力を抜くと、そっと私を引き離した。
目と目を合わせ、ほほ笑んでから、そっと私の唇にキスをした。
「もっと早くこうするべきだった。遠回りしちゃったね」
「ううん、いいの。会えたから……それでいい」
もう一度彼と強く抱き合う。
するとヒューヒューという歓声が上がった。
我に返って周りを見回す。
そうだった。
すっかり忘れていたけれど、多くのギャラリーがいたのだ。
そんな中、私達は濃厚なラブシーンを繰り広げたことになる。
彼を見ると、バツが悪そうに肩をすくめていた。
彼は私の肩を抱くと、祝福してくれる観衆たちに深くお辞儀をし「ありがとうございます」と照れたように笑った。
ギャラリーたちの拍手から逃げるように、二人で改札口へと歩いた。
どうやら相当恥ずかしかったみたいで、らしくないほど彼の耳が真っ赤になっていた。
「場所を変えてゆっくり話をしよう。これから二人どうしていくか……さ」
「いいかな?」と続けた晴翔に、私は一も二もなく頷き返した。
彼は黙ったまま前を向いて私の手を強く握った。
嬉しそうに前後に大きく振る彼の手を同じ強さで握り返した。
半歩下がってついていく私を、彼が時折、気遣うように振り返る、その優しいほほ笑みに笑顔を返しながら、寄り添うように、ずっと――
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