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chord 35 悲しい恋に手を振って
肌を突き刺すような寒さがあっという間に駆け抜けていき、気がつけば、また暑い季節がやってきていた。
晴翔と結婚を前提につき合うことになってから秋、冬、春を越えて、また新しい夏を迎えようとしている。
この一年は私にとって、本当に目まぐるしいものだった。
人生の大きな変化が起こっていたと言ってもいい。
晴翔のピアノデュオのパートナーとなるために、私は長年続けてきた講師の仕事を辞め、一心不乱にピアノと向き合った。
それこそ、トロイメライのマスターにプロとしての技術を教えてもらえるように志願し、徹底的にしごいてもらった。
それでも、まだまだだと言われているけれど、なんとかプロだと自信を持てるくらいにはなれたとは思う。
晴翔との実力差はあるとしても、大事なのは二人の息が合うことだからと、マスターにも背中を押されたことも大きいと思う。
そうやって、なんとか一月前にはヴェントジャパンミュージックからCDデビューもすることができた。
元々、動画サイトで話題になっていたこともあり、自分たちが思っているよりもずっとCDも売れ、知名度も上がったのは正直、想定の範囲外のことだったけれど、笹原は思った通りだと私に言った。
自分の目に狂いはなかったと、黒縁眼鏡を押し上げながらにんまりと満足そうに笑う彼に、東京に拠点を移して活動して欲しいとも言われた。
確かに彼の言うことはわかるけれど、私達はあくまでも浜松、地元で活動していくことに拘った。
自分たちの手で、音楽の街である大好きな地元を盛り上げたいという思いが強かったからだ。
なので、デュオを結成して初めてのコンサートとなる今日は、そういった意味もあって地元でどうしても開きたかった。
記念になる一回目だからこそ、演奏場所も初めから決めていた。
barトロイメライ。
知名度も上がっているから観客動員が多く見込めるアクトの中ホールでの開催を提案されたが、やっぱり私はトロイメライで弾きたかった。
アットホームな演奏会でスタートを切りたかった。
私達二人を支えてきてくれた人、見守って来てくれた人たちにまず、感謝を伝えたかった。
大勢に披露するのはそれからだと――
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