chord 35 悲しい恋に手を振って

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 看護師がどうぞと救急外来の自動ドアを開けて待っていてくれる。  ゆっくりと扉を潜り、一歩入ったところで足をとめて振り返った。 「圭吾……あのね……」 「わかってる。さあ、早く!」 「うん、ありがとう!」  忙しなく白衣の人たちが行き交う部屋の左奥に通される。 「まだ、意識を回復されたばかりだから……」  先ほどの看護師が耳打ちする。  晴翔は上半身起き上った状態の彼の頬や、額や腕には血の滲んだガーゼがくっついていた。  私が近づくと、彼は「軽傷だったんだよ」と笑った。 「外傷はほとんどなかったのにね、意識が戻らなかったんだって」  まるで他人事のように話す彼を見て、無事だった、生きているという安心感に堪えていた涙が一気に噴き出した。 「バカ……」  晴翔が笑うのをやめ、困ったように眉を下げる。 「晴翔のバカ!」  泣きじゃくる私の肩を、彼はそっと抱き寄せた。心臓の音が聞こえる。夢じゃない。  現実。 「泣かせないって約束したのにね」  彼の声が、囁きが、耳を伝って心の奥底に滲んで吸い込まれる。 「泣かせてごめん。でも、これを最後にするから、もう泣かないで――」  涙がとまらなくて、ぐしゃぐしゃに崩れた顔を上げたのは、やっぱり晴翔の顔をよく見たかったからだった。 「どうして事故なんか……」  尋ねる私に、彼は布団の中から小さな宝石箱を取り出して見せた。 「これ……が原因かな?」  苦笑しながら、晴翔は私の手にそれを渡した。 「初めてのコンサートが終わったらさ、渡したかったんだ」 『開けてみて』と促され、宝石箱を開ける。  開かれた中には1カラットほどのダイヤともう一つ、小さなピンクダイヤがはめ込まれた指輪が輝いていた。 「これ……」  忘れたことなど一度としてなかった。  1年前に約束した、もう一つの指輪だった。
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