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「………旅に出ようと思います」
神殿長が、アデルの瞳を見る。かつての父の朋友でもあった男の、憐憫が込められた優しくそして優しさが痛い視線を避けるように、アデルは目を閉じた。
「おぬしに、神の祝福があらんことを」
いいえ、いらないんです。そんなものは、もう。
そんな言葉を飲み込んで、アデルは祈りの形に組んだ手をほどく。そして、言葉少なに部屋に戻ると、少ない荷物を持ち、空になったクローゼットを開けると、一番奥にあの『弟』が渡してくれた父と見知らぬ女性の肖像画を置いた。一応これで『返した』ことになるのだろうか。
そして、履き慣れた神殿騎士見習いの皮のブーツの紐を締めて、夜の庭に出る。そして庭の片隅にある井戸の前までやってくると、手にしていた父の剣を、力いっぱい井戸の底へと投げ捨てた。
「さよなら」
ばしゃん、と鈍い水音が響く。その音をなんともなしに確認してから、そのままくるり、と神殿の門へ向かって古びた大きな鞄ひとつを手に歩き出す。夜の冷たい風が気持ちいい。神殿の門をくぐり抜け、大通りへと足を運ぶ。今ならどこへでも行ける気がした。街の大通りを抜けて、森の街道へと出る。すると、足元で何かが鳴く声が聞こえた。
「あなた、この前の………?」
先日、木の洞に隠してやった魔物の子供だった。
「………私と、一緒に行く?」
甲高い声でピョンと跳ねて、魔物の子がアデルの隣を歩き出す。
「あなたに、名前を付けてあげなきゃね」
真っ暗な夜だというのに、世界は何故か色付いて見える。何もかもが心地よい夜を、アデルは魔物の子を連れて、軽い足取りで歩き出した。
二人の人生が交わることは、もうない。
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