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――――弱い。
弱すぎる。
器も力も脆弱。
その体で支配者とは笑わせてくれる。
レルフの名も落ちたな。
お前の父は災厄を払うほど強かったというのに。
……五月蠅い。
そんなことは誰よりも自分がよく知っている。
冷たい、刺さるような蔑みの視線を受けながら、クライヴは目を覚ました。
最悪の目覚めだ。流石にあの量の書類を片付けたからか、思っていたより疲れていたようだ。
「……いや」
クライヴは布団の中で、視線と気配だけであたりを探る。
悪夢の原因はきっと、外的要因にもある。それは今もクライヴを見ている殺気立った視線が一つ。
窓の外か。
クライヴは布団をすっぽりと頭まで被った。これで脳と心臓は正確に狙えなくなったはずだ。
さて、どう出る。
少しの気の乱れも逃さないように、神経を研ぎ澄ませる。
布団の隙間から、月光に照らされた床が見える。窓枠の影、机の影、椅子の影。
ふと、影が動いた。
その刹那。
硝子が割れる音と共に、何者かが布団に刃を突き立てる。しかし、羽毛の感触しか伝わってこない。
間一髪、ベッドの下に潜り込んだクライヴは、床に落ちている大きな硝子片を手に取った。つ、と朱色の液が線を描く。
このままでは身動きが取れない。何者かが部屋の扉を開けようとする。
クライヴはもう一つの硝子片を、相手の足に投げつけた。ブーメランのように飛んでいった硝子片は、肉を切り裂いて向こう側の壁に当たって砕けた。
「!こざかしい……」
敵が忌々し気に呟く。ククリナイフのような刃物が隙間から見える。
「……そこだ!」
咄嗟にクライヴはベッドの下から転がり出る。相手はその隙を見逃さない。無駄のない洗練された動き、確実に獲物は首を狙っている。
ククリナイフを硝子片で何とか躱す。力強い斬撃に、硝子片は呆気なく砕け散った。
クライヴはぎり、と歯噛みした。すぐ近くに獲物になりそうなものはない。護身用の短刀は錆びているから、と言ってチェストの中に仕舞っている。今この状況で取り出すのも無理な話だ。
どうしたものか。
クライヴを嫌悪する者がいるとはいえ、まさか殺し屋を雇ってまで排除しようとするとは。そんな金があるなら経済でも回してくれないかと、埒もないことを考える。
「ふん、悪く思うなよガキ。こっちは一応雇われのみなんでね」
殺し屋の男のククリナイフが、不気味に煌めく。
「別にかまわないが、そう簡単には死んでやらん」
白銀の一線を描きながら、刃が振りかざされる。相手の目くらましに硝子片を飛び散らせたり、モノを投げつける。クライヴは斬撃を躱し続け、相手の消耗を待つ。だがしかし、それは浅慮だった。
「クライヴ……?どうしたの?」
扉の向こうで母の声がする。それに気を取られ、集中力が切れたからかもしれない。
不意にヒュ、と気管が鳴る。クライヴは壁に手を付き、喘鳴交じりに咳き込んだ。
「っ、来る、なっ!」
扉を開けようとする母を、咳き込みながら必死に制止する。
その隙を、プロが逃すわけがない。
『くそっ……』
刃が喉を突こうとまっすぐに向かってくる。
則ち、死だ。
ククリナイフが眼前まで迫ったその時だった。ぴたりと、髪の毛一本ほどの隙間を残してナイフの動きが止まった。
「っ……?」
想定外の事態に、クライヴは硬直したままだ。そっと、ナイフを掴んで押し戻してみた。
紅い飛沫と共にぐらりと男の身体が傾いだ。その奥に、月明りに浮かぶ人影がある。
風に靡くガーネット色の髪、鋭いブロンドの瞳がこちらを射抜く。
生き物の死を実感するのは初めてだ。だというのに、不思議と、その光景に高揚感にも似た胸の高鳴りを感じた。それが何かなのかは分からない。生死の賭け引きが、思考をおかしくしたのだろうか。
「なによー、まだほんの子供じゃない。ちゃんと下調べしろっての」
「……」
どこか不満そうに、その女は呟く。女は、絶命した殺し屋の男の首元に細長い針のようなものを刺した。
「ちょっと失礼するわねー。これが私の報酬になるから」
「……お前は何者だ」
クライヴが警戒心をあらわに、低く問う。女は呑気に返した。
「私も殺し屋よ。この男と同じく、貴方を殺しに来たの」
クライヴが眉を顰める。
殺しに来たにしては。
「殺気がないが」
「あら、そんなことまでわかるの?流石支配者様ってところかしら」
女は怪しく微笑む。
「本当は支配者だし、殺したらものすごーく報酬が跳ね上がるんだけど、私が依頼を受けたのは『此処の住所の長男を殺してくれ』だったのよね」
「なら間違ってない。殺せばいいだろう」
クライヴはククリナイフをそっと拾う。女は男を見たまま呆れたように息を吐く。
「私はね、子供は殺さないって決めてるのよ。子ども好きだし。大人たちよりも未来があると思わない?」
「……その言葉、違う風に聞こえるが。成長した。
後のことが楽しみかのような。……まるで、果実の収穫を待つかの如く」
うげ、と女は気味が悪そうにクライヴを見る。
「貴方可愛くない子供ねー。そういうところまで見抜く?普通」
「生憎、可愛くない子供だから命を狙われているんだがな」
クライヴがククリナイフを女に向ける。女は顔色一つ変えずに平然としている。
「……お前も殺し屋なら、一つ依頼する」
「何かしら」
「俺を殺そうとしたやつの素性は分かっているんだろう」
「まあね。そういうところ、うちは厳しいから」
紅い望月の月明りでクライヴの瞳が一層赤みを帯びる。
「その依頼者の暗殺を依頼する」
女は驚いた様に目を丸くすると、思わず噴き出した。
「っ、あっはははは!貴方面白いわね!」
ひとしきり笑うと、クライヴの瞳をまっすぐ受け止める。
「良いわ。その依頼承った。報酬は?」
「言い値で雇おう」
「悪くないわね」
女は男の首元に刺さった針を抜き取ると、割れた窓枠に足を掛けた。
「私は吸血鬼のスカーレット。スカーレット・ウォレス。静かに眠るように、音もなく殺すのが得意な沈黙の暗殺者。じゃあ、二、三日後に会いましょ。支配者クライヴ・レルフ様」
去り際に、あ、そうそう。とスカーレットがクライヴに言い残す。
「貴方、殺し屋の方が向いてるかもね」
そう言って、窓枠から飛び降り、姿が見えなくなる。代わりに一匹の蝙蝠が飛び去って行った。
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