リップクリーム-1

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リップクリーム-1

「ねえ、昨日これ落としたっしょ」  翌朝、あたしは登校して真っ先に和泉の机に直行した。久しぶりに晴れた朝、おはようの声が飛び交う教室内でカバンから「これ、イズミンのでしょ」と百均で買ったかわいいイチゴ柄の小袋を取り出す。日直日誌を書き込んでいた和泉が不思議そうな顔をした。 「俺、なにか落とした?」  戸惑ったように袋を開けた和泉が中を見、驚きに目を丸くした。その顔を見つめ、「イズミンのだよね?」と念を押す。和泉は袋とこちらに目線を言ったり来たりさせたが、すぐに花が咲きほころぶように破顔した。 「ありがとう。ちょうど探してたんだ」  少し照れたように赤みを差す頬に胸がどきりとした。今朝の晴れ間に似合うはつらつとした笑顔に顔が熱くなってくる。 「そう? よかった」 「うん、ありがとう」  和泉が自然な動作で日誌をめくり、あたしも自分の席へと机の間を歩き出した。だが、心臓の音は大きくなり、手に汗が滲んでくる。  和泉に渡したのは昨日貸した、はちみつのにおいのリップクリームだった。実験室で遭遇したときに彼らがなにをしようとしていたかは知らない。だが、少なくとも和泉はキスも嫌がっている。もしキスされて嫌ならまた使ったら。そういう気持ちを込めて渡したのだが、昨日はあたしを突き放した和泉がリップクリームは受け入れてくれた。和泉の思考回路が理解できないあたしは、ただ直感に従って行動することしかできない。  和泉の笑顔が頭の奥でチラつき、うるさい心臓の音が周りに聞こえないようにと前でカバンを抱きしめた。自分の席に座り、前に座る和泉の後ろ姿を眺める。ぴんと伸びた背筋と少し刈り上げた襟足が涼しげで、どきんと胸が音を立てたあたしは慌てて目を逸らした。
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