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罰掃除-3
「じゃあな、千尋」
一緒に帰るのかと思いきや、和泉がネクタイを結び直している間に碓氷は教室を出て行く。和泉が「待ってよ柊馬君」と焦った声を出して追いかけていき、あたしは何度目かのため息をついて椅子をひっくり返した。
連続で椅子を持ち上げていると腕が疲れる。気合いを入れるために金髪をシュシュで結んだとき、ぱたぱたと足音が戻ってきた。
「姫宮さん」
扉から顔を覗かせた和泉が恐る恐るといった小さな声でこちらを呼んだ。
「……柊馬君に言われて気づいて。その、掃除、手伝おうか」
なるほど、口止めってことね。あたしは肩をすくめ、最後の椅子をあげた。
「誰にも言わないからいいよ、そういうの。罰掃除だから、ウチ一人でやんなきゃ意味ないし」
和泉から顔を背けると、灰色の綿埃が黒く鈍く光る床を転がっていくのが視界に入る。あたしは思わず舌打ちをした。あたしはこう見えてきれい好きだ。教師が罰掃除と言うだけあって、あまり掃除をしていないように見える。どこのクラスが担当なのよ。そう思ってから、化学教師が担任の自分のクラスが担当であることに思い当たって頭を抱えたくなった。
「あのイケメン、人を使うなんてむかつく。イズミンも言いなりになるなんてダサいよ」
思わずきつくなった口調に、後ろにいる和泉がおろおろする様子が脳裏に浮かんだ。だが、聞こえてきたのはくすっという笑い声で、思わずそちらを振り返る。黒のフレームの中の目尻が下がって、暗く見えた顔立ちがやわらかくなった。
「ちゃんと話すのは初めてなのに、いきなりそんな呼び方をするんだね」
和泉の声は案外低くて落ち着いていた。そちらに向き直ると、一五〇センチのあたしよりずっと背が高い。標準服の白シャツをきちんと着こなす黒髪の和泉は、透明な水を思わせる。中学の卒業式の日に黒髪も卒業してメイクに励んでいる自分とは違い、どこか透き通った色をしているように見えた。
「ミンってかわいいじゃん。ムーミンみたいだし」
あたしの返しに和泉が目を細める。そして教室内に入ってくると、掃除用具の入った灰色のロッカーの扉を開けた。
「やっぱり手伝うよ。俺が手伝っても先生にはバレないでしょ」
「イズミンって委員長オーラがフルスロットルしてるよね。ウチと全然違う。いかにも優等生って感じ」
だが、ほうきを手にした和泉は「優等生ならここであんなことしないよ」と静かに否定した。
「姫宮さんが思ってるほど優等生なんかじゃない」
あたしはさっきの光景を思い出し、軽く頷いた。
「じゃ、罰掃除の共犯になって。ウチは窓側から掃くから」
すると和泉は「分かった」と素直に頷き、廊下側から掃き出す。会話のない静かな教室にほうきが動く音だけがした。
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