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第1話 下野
普通こういうことは、新人研修でやることだろう。入社したての慣れない新人が、経験豊富な先輩社員にくっついて、営業のノウハウを教えてもらうものだ。
それなのに、なんで新人でもない奴の面倒を、俺が見なくてはならないのか。
株式会社モンジュフーズの営業部に所属する下野寛人は、部長の『鶴の一声』で方針が決まった営業活動にうんざりしていた。
株式会社モンジュフーズは、海外輸入食品を豊富に揃えている。巷では高級と呼ばれているスーパーを首都圏を中心に展開し、幅広い分野に輸入食品をも販売している会社だ。
その会社で下野は営業成績トップを独走中。現在、下野にライバルなどいない。
営業の仕事は楽しい。客先では、やりたいように提案できることが多い。この仕事は天職かもと思っているほどだ。
取引先の企業に新しい商品展開を考えていた時、部長が言った。
「今回の企画、下野は佐藤とペアな」と。
今回の企画とは?何ぞや?と、部長の話をまともに聞いていなかった下野は、周りにいる同僚に尋ねてみた。
すると、営業部に所属する全員が、二人一組になって会社の商品を売り、チーム別で売り上げを競うという営業活動をするんだと、教えてくれた。
まあ、そんなゲームみたいなことは建前だ。本音は営業成績優秀者が、成績が伸びない奴らの面倒を見るということをさせたいらしい。
優秀な人の営業のやり方を見せて指導し、できない奴らをどうにかして伸ばして欲しいといったところだろう。
ペアと言われた佐藤とは、下野と同期入社である佐藤春樹。
後輩でも新人でもない佐藤春樹は、ここ営業部で成績が最下位だった。
下野はため息をついた。
あいつは、要領が悪く運がない。だから成績も悪く、新人研修のようなことをさせられるんだと、下野はまたうんざりする。
考えれば尚更こう思う。
俺がアイツと一緒にやらなくちゃダメ?ペアは他の人でもよくないか?忙しい俺がやること?と。
「…そのゲームみたいなやつ、めんどくせぇな。やりたくねぇ」
心の声が大きく出てしまい、隣にいる同僚が返事をした。
「あー…まぁ、確かにな。新人研修みたいなもんだし。だけど、下野クラスだと部長に言えば何とかなるかもよ?他の仕事が忙しいって言えば免除してくれそう。お前は特別だから」
「だよな」と、同僚に返事をして部長のところに直談判に行く。自分は他とは別だと自覚はある。
営業成績トップ独走しているから、優遇されて当然という気持ちが起きた。
だからこそ、部長は『わかった!お前は外れていい』と言ってくれるはず。そう思っていた。
「…つうことだから!下野、よろしく!」と、思っていた展開とは別の言葉を言われ肩をたたかれる。
「いや、部長!マジで!俺、忙しいって」
直談判しても覆されず、今回はペア活動をマストでやり遂げなくてはいけなくなった。
「…めんどくせぇな」と、独り言を呟いたのを、ペア活動の相手である佐藤春樹に聞かれてしまった。下野は後ろにいた春樹に気がつかず呟いていた。
「俺はお前が嫌いだ!大っ嫌いだ!」
「はあ?」
春樹は、下野の目の前にまわり込み仁王立ちし「嫌いだ!」と下野に面と向かって言い放ってきた。さっきの部長との会話も聞かれていたようだ。
「お前のことが嫌いだ。人としても好きではない。そんな、子供がいるような顔をしているのに、酷いことするからだ!」
「子供っ?子供がいる顔ってなんだよ」
無茶苦茶なことを言われてしまう。
子供がいる顔とは…
「美桜に酷いことをしたからだ!わかるだろ?だから、嫌いなんだ!だけど、仕事だから仕方がない。ペアでやるのは仕事だろ?俺だって嫌だけど、やるしかない!」
美桜って…誰だっけ?
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