第3話 下野

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第3話 下野

「で?部長なんて言ってた?何を売るんだって?」 会社近くの居酒屋に春樹を連れてきた。今日は金曜日だから客がいっぱいで、カウンター席しか空いていない。 カウンターに座り、二人ペアで活動する営業内容を春樹に聞いている。 さっきは会社で「大っ嫌いだ!」と叫ばれ、めんどくせぇと思ったから咄嗟に話題を変えて「ペアよろしくな」と伝えた。 大嫌いだと言われ、下野はうんざりしたが、顔には出さず笑って春樹と握手をした。嫌な相手でも笑顔で握手が出来るのは、営業部で鍛えられた成果である。 なんてことない。 だが…こんな奴と、果たして上手く付き合えるのだろうか。春樹とは同期ではあるがまともに話をしたことは、数えるほどしかないはず。それに、性格も違えば話が盛り上がる共通点もなさそうだ。 本当にめんどくさい奴に巻き込まれてしまったと、下野はまた心の中でため息をついていた。 「下野はホントに何も聞いてないんだな… マシュマロだってよ。マシュマロを注文販売するんだ、って部長が言ってた」 ビールを溢しそうになってしまった。マシュマロとは…また微妙な商品だ。そんなの食べる奴っているのだろうか。 なんだろう…コイツとペアになり、マシュマロという微妙な商品を売ることになり、俺はついてないのだろうか。最悪ということかもしれない。 「マシュマロ?そんなもん人生で一度も食べたことないと思うぞ。キャンプに行くわけじゃないし、わざわざ買ってまで食べるもんじゃないよな。こりゃ大変だ」 すいませーんと、ビールを追加で注文する。春樹はあまり飲まないようで、泡がなくなったビールがまだ大量に残っていた。 「チョコレートでもなく、グミでもなく、マシュマロって。ほとんどの人が、毎日食べるってわけでもなさそうだしな」 と、春樹は、呟きながら意外にも焼き鳥を美味しそうに頬張っていた。 「大方、マーケティング部が発注間違えて、大量に仕入れてしまったんだろう。 それを売りさばいて欲しいのもあるんじゃないのか?それより、佐藤…よく食べるな。小さい体で大食いなのか?」 「お前は本当に失礼な奴だ。振った女の子の名前も忘れてるし、デリカシーない発言ばっかりするし、部長の話は聞かないし。営業部のエリートなんて嘘みたいだな」 吐き捨てるように言うが、追加で頼んだ焼きおにぎりも、頬張って食べている姿に下野の中で好感度が上がった。 「そう言うお前もデリカシー無いぞ?俺のこと知らないくせに大っ嫌いってよ…それに、嫌ってる奴とペアの仕事なんて最悪だろ?だけど、やるしかないんだから、少し歩み寄れよ」 お互いタイプは違うようなので、プライベートなら歩み寄る必要もないが、仕事なので仕方がない。それに、歩み寄らなければ一緒に仕事をするのも上手く出来ない。 ビールを飲みながら、何とか歩み寄る方法をと、下野は考えていた。 春樹がスマホで何か検索をしている。 横からチラッとスマホを見ると、『二人 距離 縮める』というワードで検索を始めていた。 「おい…そんなんで歩み寄れるのかよ。嘘だろ…」 検索ワードはどう見ても、付き合いたてカップルが検索するワードだ。 下野が呆気に取られながら伝えると、真面目な顔で答えた。 「ほら、検索結果に『ずっと仲良しでいられるルール』ってあるぞ!このルールをやってみればいいんだ。これをやると仲良くなれる気がする」 そこにはこう書いてあった。 ・きちんと名前で呼ぶ ・おはよう、おやすみの連絡をする ・我慢できないことは伝え合う ・ありがとう、ごめんねを言う ・記念日はきちんと祝う ・隠し事はしない ・喧嘩したら次の日に持ち越さない ・嘘はつかない 恋人同士のルールだろ…しかも、バカップルがやるようなルールだろ、恥ずかしいと、それを見た下野は思った。 こりゃ完全に間違った検索だな、女と付き合ったことない奴だ。こいついくつだっけ?俺と同じ歳だよな、頭の中は中学生かよっと、下野は頭を抱えビールを飲み干した。そして、春樹に伝える。 「佐藤、お前、童貞だろ…」 「お前は!ほんっっっとにデリカシーがない。嫌な男だ!」 図星だったようで、真っ赤になって怒り、恥ずかしがっている。 怒ったり、恥ずかしがったりと、案外忙しい奴だなと思い、下野は春樹を眺めた。 赤い顔のまま、春樹はスマホの画面を食い入るように見ている。仕方ない…めんどくせぇけどこいつの提案に乗ってやるかと、下野は気持ちを切り替えた。 「よし!じゃあ、それひとつずつやってみるか。えーっと、まずはどれだ?名前か…名前だな。『きちんと名前で呼ぶ』か。佐藤、いつも何て呼ばれてる?」 「えっ…うー…会社では佐藤。家族からは、春かな…」 「じゃあ、春ちゃんな。よろしく、春ちゃん」 「…ちゃん付けするな!じゃあ、お前は」 「俺の下の名前は寛人なんだ。友達とか彼女とかは寛人って呼んでるか…」 会社では下野と呼ばれるが、地元の友達や恋人になった女の子にはそう呼ばれる。 「お前、彼女いるのか!それなのに美桜にちょっかいかけたのか?」 「おい、名前!名前呼べよ。今決めたばっかりだろ?春ちゃん?」 「くっ…ひ、寛人」 名前を呼ぶだけで春樹は真っ赤になって噛みながら懸命に呼んでいる。下野はこの反応に一瞬だけ見入ってしまった。 何だか面白い…ような気がした。 そんなに飲んでないけど、酔ってきたかもれしない。 必要以上に『春ちゃん』と呼んで揶揄ってみたくなる。下野の周りにはいないタイプだ。中学生のような高校生のような、子どもっぽい春樹の反応が面白く思えた。 「じゃあ次!次は何だ?『おはよう、おやすみの連絡をする』か。連絡先交換ってことだな。春ちゃん番号教えて?」 やっぱりちょっと酔ってきたんだと自分で自覚する。さっきまでは、面倒くさい!と心から思っていた。だけど、今日は、酔ってるから仕方ねぇよなと、下野は春樹の話しに付き合っていた。 「え、え、うん。えっと、」 居酒屋のカウンターで『ずっと仲良しでいられるルール』をひとつずつやっていく。
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